第二話『チェスボクシング部の風間さん』

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   本人すら何なのかよく分からないらしいのだが、柳田には『武』の才があるらしい。  体育で1か2しか取ったことがないくせに、『人間を壊す』時だけは妙な『スイッチ』が入るのだという。  「たお? だかなんだかの循環と解放が完璧に出来ているとかで、私は人間の究極点に達しているんだってさ」  それを教えてくれたのは奇妙な老人だったそうだ。  柳田が小学生の頃、おつかいの帰り道に、お駄賃で買った森●のビスケットサンドアイスクリーム(柳田の大好物。これを与えておけば大抵の機嫌は直る)をもちゃもちゃ食いながら歩いていると、前方から走ってきた羊羹みたいな形のミニバンがすれ違い様に急ブレーキをかけてきた。中からぞろぞろと黒服の男女が降りてくるのを見て、柳田は防犯ベルの紐に手をかけながら、「おとなのひとをよびますよ!」と言ったら、その中の一人の苦労人っぽいお姉さんがスライディング土下座して「大人の人は勘弁してください! ものすごく面倒なことになるんで、大人の人を呼ぶのは勘弁してください!!」と言ってアスファルトに額を擦り付けてきた。とりあえず悪い人ではなさそうだったので柳田は防犯ベルの紐から手を離し、何の用ですか?と聞いた。お姉さんは汗をダラダラかきながら、「いや、その、あの・・」と繰り返している。どうやらお姉さんにも、車が止まった理由が分からないらしい。柳田がアイスをもちゃもちゃ食べながらもう一個欲しいなーと考えていると、ミニバンの後方からドバイでしか見たことがないようなキンキンのリムジンがぬるりとやって来た。リムジンが停車すると、中から高級そうな和服に身を包んだ仙人みたいな老人が降りてきた。お姉さんは電流をくらったネズミみたいにガタガタ震えていた。他の黒服は90°の姿勢で首を垂れている。柳田はビスケットサンド超うめぇと思っていた。  「・・・」  老人は柳田の前に立つと、しばらくその顔をじっと眺めていた。柳田の手が再び防犯ベルの紐を握ろうとした時、唐突に老人は膝から崩れ落ちた。そして、滝のような涙を流しながら、  「・・・観音様が」  と、訳の分からんことを言った。柳田は小首を傾げたが、早く帰らないとお母さんに怒られるなぁと思って無視して通り過ぎた。後ろでお姉さんが今にも死にそうな顔で謎のアイコンタクトしていたので、防犯ベルの紐は引かなかった。翌日、地域の不審者情報に複数の黒服の男女と70代男性が女児に頭を下げていたという訳の分からん事案が載った。軽いネットニュースになった。  後日、老人とお姉さんがやたら高そうな菓子折りを持って柳田の家に謝罪に訪れた。老人の周りだけ何故か蜃気楼のように空間がぐにゃりと歪んでいて、お姉さんは10秒に1回の感覚でアマゾンの鳥みたいな声でえづいていた。柳田と柳田のお母さんは麦茶とお歳暮でもらったどこのメーカーが作ってるのかも分からん微妙な味のゼリーを二人に出した。  「お宅のお嬢さんは、『道』が完成されておりまする」  柳田のお母さんは、「はぁ、そうなんですか」と言って、菓子折りをこっそり開けようとしている柳田の手を引っ叩いた。その後、老人は結構長い時間『タオ』がどうだの『天』がどうだの話していたが、柳田は菓子折りの中身が気になりすぎて話をほとんど聞いていなかった。後に柳田はお母さんに「あの時あのおじいちゃん何の話をしていたの?」と聞いてみたが、実はお母さんも菓子折りの中身がすごく気になっていて、老人の話をほとんど聞いていなかったことが分かった。ただ━━  「要するに、おれんじはケンカがめちゃんこ強いってことを言いたかったみたいよ、あのおじいちゃん」  帰り際、老人は柳田の目をじっと見つめて、  「もし、アナタが『天』を掴みたいと思ったら、その時はこの私を━━『冥道』の元を訪れなさい」  と言って、一枚の名刺を渡した。柳田と柳田のお母さんは「はぁ」と答えた。老人は深々と一礼して帰って行った。お姉さんは終始メタンフェタミン中毒者みたいな動きをしていた。柳田と柳田のお母さんはとても心配になったが、菓子折りの中身が気になるので家に戻った。  菓子折りの中には『月島ぽてち』という聞いたこともないポテチが何袋か入っていて、何故か表面には先程の老人と、老人に抱っこされている柳田と同い年くらいの女の子の写真がプリントされていた。女の子はフリフリの服を着ていて、読モのように慣れた態度で媚びたポーズを決めていた。柳田はポテチをもちゃもちゃ食いながら写真の女の子を指差し、「コイツぜったいロクな女じゃないよね」と言って唾を吐いた。柳田のお母さんは娘の頭を拳骨の角でぶん殴りつつ、複雑な表情をして「この子、おれんじに似てるわね・・」と言ってため息を吐いた。ポテチはまあまあ美味しかったが、何故か全部コンソメ味だった。  後年、柳田は写真の女の子━━月島のの子と、文化祭のミスコンで熾烈かつ下等な争いを繰り広げた結果、審査員から「女性の名誉と尊厳を著しく傷つける品性下劣な女生徒」という残当な評価を得た上に両者失格かつ停学という恥を晒すことになるのだが、それはまた別の話である。          ※  老人の言っていた「お前はめちゃんこ強い」という言葉は、その後すぐに事実であることが判明する。  柳田は二足歩行が可能になった頃から『可愛らしい女の子』と周囲から言われ続けているだけあって、へんな男に付き纏われることも多い。ある日、一線を超えたゴミが柳田を攫おうとしたことがあったのだが、5Lのシャツを着たソイツを、柳田はいとも簡単に全身複雑骨折にした。その後も様々な種類のゴミに襲われたが、一度として危険な展開になることはなく、全員を流動食生活送りにしてきたのだという。その数が両手の指で収まりきらなくなった頃、柳田は自分の強さが普通ではないことを理解した。  「私はね、自分がケンカが超強いことを、ななちにずっと言えなかったの」  ろくでなしどもが転がる路地裏で、柳田は私の顔をハンカチで拭いながら言った。  目を開けると、何故か柳田は涙を流していた。  その目に悲しみと後悔と、そして何故か怯えが混じっている気がして、私は狼狽してしまう。柳田は涙を拭うと、俯いたままこう言った。  「ごめんね、ななち。私ね、ずっとずっと後悔してたの。あの時・・私がへんに気まずくなっちゃって、ななちとたかしくんと一緒に遊びについて行かなかったから・・私があの時、二人についていっていれば・・あんなゴミクズ、私が世界一汚い生ゴミにしてやれたのに・・本当にごめん、ごめんなさい、ななち。私がいれば・・私がいれば、あんなことにはならなかったのに・・。本当にごめんなさい、私が、私がいれば・・」  柳田は涙を流しながら、「私がいれば」と繰り返し続けた。  その姿が、あの時の女子高生のお姉さんと重なった。  「・・・何でアンタが謝るのよ。アンタ、何も悪くないじゃない・・」  私は柳田を抱きしめた。  私たちは抱き合ったまま、長い時間涙を流し続けた。
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