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「私、最後は絶対泣くだろうなって思ってたけど、まさかこんな形で泣かされることになるとは思わんかったわ。あー、お腹痛い。こんな笑ったの、生まれて初めてかもしれん」
散々煽り倒してようやく満足したのか、柳田さんはこれ以上ないスッキリした笑みを浮かべてそう言った。
その目元には、うっすら涙が滲んでいた。
周囲を見回すと、いつの間にか夜の帷が降り始めていた。
空は藍色に変わりつつある。太陽は山の稜線の向こうに沈み込み、その裏側からはみ出した僅かな光が、かろうじて世界が夜に至るのを阻止しているに過ぎない。
柳田さんの身体は、もはやほとんど色を失っていた。
「・・・そういえば、大事なこと聞くの忘れてた」
僕は無言で柳田さんの方を見やった。
「キミ、名前なんて言うの?」
「・・・みかん畑三郎です」
柳田さんは頬を膨らませる。
「もうっ、そういうのはいいって」
「・・・いや、本当なんです。コレ、学生証です」
姓はみかん畑、名は三郎。それが僕の本名である。
「私が言うのも何だけど、マジか?」
「マジです。ちなみに姉と妹がいますけど、僕は長男です。三郎って名付けたのは、単に語呂がいいからだそうです」
「そういえば、前に小清水が私よりヤベー名前の奴がいるって話してたなー。アレ、キミのことだったんだね。私が言うのも何だけど、適当な名前だなぁ。・・・いやでも、自分の娘におれんじとか名付けちゃう奴よりかはマシなのかなぁ・・」
「柳田さんは、やっぱり自分の親に思うところがある感じですか?」
「思うところって程でもないけど、名前に関しては一生許さんからなとは言ってる。尊敬してるけどね」
柳田さんは身を屈めて僕の学生証を見つつ、「SNSで拡散してえなぁ」と物騒なことを言っていたが、やがてゆっくりと身体を起こすと、真っ直ぐな目で僕の目を見つめてきた。
「おーい、逃げんなー。ちゃんとこっち見ろー」
思わず目を逸らしそうになる僕に、柳田さんは笑って言った。
「みかん畑くん。・・・うーん、しっくりこないなぁ・・。しゃーない。特別大サービスで、三郎くんって呼んじゃる。感謝しなさいよ? 私が男の子を名前で呼ぶのって、父親とたかし君くらいしかいないんだからね?」
「自分の父親を名前で呼んじゃうってヤバくないですか?」
「自分の娘におれんじって名付ける奴はそれくらいの扱いでいーの。っていうか、話を逸らそうとすんな。最後なんだからちゃんと聞け」
僕は「・・はい」と頷いた。
それを見て、柳田さんは満足げに頷き返すと、
「三郎くん。キミには、今日一日私に付き合ってくれたお礼に、『私に最後に告白出来る権利』を進呈しよう」
と、言った。
※
それはあまりにひどくないですか?
僕は思わず抗議の声を上げそうになった。けれど、思いのほか真剣な眼差しの柳田さんの顔を見て、僕はその言葉を引っ込めた。
「キミ、ここで私に告っとかないと、一生モノの未練を残すことになるよ? いいんかー、それで?」
良くはない。良くはないけど、でも━━
「・・・僕なんかのことはどうでもいいじゃないですか? それより、柳田さんはいいんですか? このまま━━このまま・・」
終わっても。
その言葉は残酷すぎて、僕には言い切ることが出来なかった。
柳田さんは困った風な笑みを浮かべた。
「いいよ━━とは、流石に言えんかな。親や友達に別れの挨拶したいし、他にやりたいこともあるし。・・・でもね、私は今、幽霊なんだよ。だから、やりたいことは思うように出来ない。それならいっそのこと、最後にキミの一世一代の告白を聞いてあげるボランティアやるのも悪くないかなって思って」
「・・・他に、もっとマシなこと思いつかないんですか?」
柳田さんは意地の悪い笑みを浮かべている。
「ないね。・・・ほれほれ、早く立て立て。秒で振っちゃるけん、早く告白してきなー」
「振られるのが確定してる告白に何の意味があるっていうんですか・・」
「キミの人生にとっては意味があるんじゃないかな? それと、単純に私が楽しい」
「・・・絶対、理由後者でしょ」
僕は深々とため息を吐きながら立ち上がった。
そして、柳田さんの前に立つ。
僕は覚悟を決めて、彼女の目をまっすぐ見つめた。
「自分から目を逸らすなって言っておいて何だけど、こんな風にじっと見つめられたら、流石に恥ずかしいかな・・」
柳田さんは、少しだけ僕から目を逸らした。
「あーあ、私、今まで数えきれないほどの男子から告白されたけど、最後くらいは本気の顔面で受けてみたかったなぁ」
「何ですか、本気の顔面って」
「そりゃあ、言葉通りの意味よ。キミがいつも盗み見ている柳田さんが本気の柳田さんだと思うなよ? 女子はね、学校で本気の化粧なんてしないの。いつもの私が100だとしたら、本気の私は120あるんだからね」
「・・・それは、すっごく見てみたかったです」
「でしょ? ・・・キミがよぼよぼのおじいちゃんになって、天寿を全うしたら、その時は、キミの大好きな柳田さんの120を見せてあげよう。だからそれまで、ちゃんと真面目に生きるんだぞ? 小動物殺すとかもってのほかだからね?」
「だから、僕はサイコパスじゃないですって」
柳田さんは、「どうだか」と言い、笑った。
僕もつられて、笑みを返した。
お互いの顔には、涙の線が光っていた。
最後に残っていた陽の光が、夜の闇に吸い込まれるようにして消えていく。
僕は、深々と頭を下げた。
「柳田さん、ずっとあなたのことが好きでした」
返事は返ってこなかった。
ゆっくりと頭を上げると、そこには誰の姿も無かった。
「・・・秒で振ってくれるって、言ったじゃないですか」
でも、例え柳田さんから返事をもらえたとしても、僕はもう一生、柳田さんを忘れることは出来なかっただろう。
何せ、僕はずっとずっと前から、取り憑かれてしまってしまっているのだから。
柳田おれんじ、という人に。
僕は長いことその場に立ち尽くし、ただ黙って涙を流し続けた。
・・・
・・
・
しかし翌日、柳田さんは普通に意識を取り戻し、普通に回復して、数日後に普通に学校に登校してきた。
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