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久しぶりに登校してきた柳田さんは、大勢の人たちに囲まれていた。
その大半は女子である。柳田さんは意外と女子人気が高いという噂を聞いたことがあるが、どうやらそれは事実だったようである。
笑顔で肩を叩く女子、目元が潤んでいる女子、抱きつく女子。中にはどさくさに紛れて柳田さんの変な所を触ろうとしてくる女子もいたが、そういう不届者は、隣に控える眼光鋭い女子に肘をあらぬ方向へ捻じ曲げられていた。あの容赦のなさは、『鬼の風紀委員』こと風間菜々子さんで間違いあるまい。僕の通う土居山高校で柳田さんと並び称される10大美少女━━通称『土井山十傑』の一人で、確か柳田さんとは幼馴染のはずだ。
風間さんは、まるでSPのように柳田さんの側に張り付き、周囲に目を配っている。二人の間には、何か言葉で説明出来ない信頼のようなものが感じられた。明らかにジャンルが違う二人だが、どうやら姉妹のような強い絆で結ばれているらしい。
柳田さんの周囲に集まる人集りは途切れることを知らなかった。柳田さんは困った風に小首を傾げ、風間さんは早朝の整理券待ちの列に並ぶスロカスを引率する店員のような表情で何事かを叫んでいた。と、その時、
一瞬、柳田さんと目が合った気がした。
しかし、彼女はすぐに目を逸らした。逸らしたというより、目が合ったことさえ気付いていない様子だった。
それを見て、僕は確信する。
たぶん、柳田さんはあの日のことを憶えていないのだろう。
僕は安堵のため息を吐いて背を向けた。何を犠牲にしてでも葬り去らなければならない秘密を知るのは、これで世界で僕一人だけになったのが分かったからである。
柳田さんから離れていく僕の足取りは軽かった。
でも、心の方はどうしようもないくらい重かった。
※
気付いたら、僕はあの運動公園に足を運んでいた。
公園には何人かの遊んでいる子どもたちがいたが、その中に襟足の長いたかし君の姿は見当たらなかった。どうやらたかし君は、今日は違う所で遊んでいるらしい。
僕はウォーキングコース沿いに、ゆっくりと園内を歩き始めた。そして、あの日柳田さんと一緒に座ったベンチの前で足を止め、茜色の空を見やった。
(あれは単なる僕の妄想で、幻だったのだろうか?)
柳田さんが意識を取り戻したと聞いた日から、僕はそればかり考えている。
それを確かめる方法は簡単だ。直接、本人に聞けばいい。しかし、あの様子だと、彼女が僕を憶えている可能性はゼロに等しいだろう。風間さんに頭のおかしい不審者扱いされて、身体中の関節をバカにされるのがオチだ。
(それに、仮に憶えてるって言われたら、僕はどうしたらいいんだ?)
よくよく考えたら、全身の関節をバカにされるよりそっちの方がよっぽど恐ろしい気がする。結論。黙っているに限る。よし、そうしよう、そう決めたと、僕が腕を上げて伸びをしようとしたところ━━
後ろから誰かに思い切り蹴り飛ばされ、僕は盛大に前につんのめった。
振り向くと、そこに柳田さんが立っていた。
柳田さんは腕を組んで僕を見下ろしている。その顔はいつもと違って、何だか気合いが入っていた。目が合うと、柳田さんは不敵な笑みを浮かべ、
「どう? これがキミの大好きな柳田さんの120だぞ?」
と、言った。
僕はしばらく何も言うことが出来なかった。
ゆっくりと立ち上がり、時間稼ぎをするように砂埃を払う。
僕は、柳田さんの目を苦労してしっかり見つめた。そして━━
「正直、そんなでもなかったです」
と、言った。
柳田さんは笑顔のまま僕にゆっくりと近づくと、向こう脛を思い切り蹴り飛ばしてきた。
僕は痛いのか何なのかよく分からない涙を流しながら、向こう脛を抱えてその場にうずくまっていた。
<了>
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