第二話『チェスボクシング部の風間さん』

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第二話『チェスボクシング部の風間さん』

   生徒会の用事を終え部室に顔を出すと、柳田が長机に座ってうんうん唸っていた。  「・・・なにやってんの、アンタ」  私が呆れた声を出すと、柳田は片手を上げて「おー、ななち」と言った。  柳田おれんじ。出生届を出した際、両親が親戚数名から絶縁されたキラキラネーム。私の家の隣に住む幼馴染で、幼稚園の頃から知っている腐れ縁である。  ななち、というのは、コイツしか使っていない私のあだ名だ。由来は、私の名前が風間菜々子で、幼い頃の「菜々子ちゃん」呼びが、年月を経て短縮された結果である。  ちなみに、私は昔コイツのことを「みかんちゃん」と呼んでいた。しかし、小学校中学年の頃になると、自然と「柳田」と呼ぶようになった。コイツは「みかんちゃん」なんて可愛らしい呼ばれ方をしていい生き物ではないことに気が付いたからだ。  「ななち、丁度いいところにきた。コレ見て、コレ。どう思う?」  「は?」  私は、何のことか分からず眉根を寄せる。柳田はしきりに自分の顔を指さして、何かをねだるような仕草をした。どうやら自分のツラを見て欲しいようだが━━  「私の顔面、どう? いつもよりすごくない?」  言われて見れば確かに、柳田の顔面はえらく気合いが入っていた。ちらりと長机に目をやると、化粧道具の数々が無惨な姿を晒してそこら中に散らばっている。どうやら、かなりの激戦を経たらしい。  「気合いが入ってんな、とは思うけど・・」  「おっ、ななちから見てもそう思う? 点数にしたらどんくらい?」  「点数って・・何が悲しくてアンタの顔面なんかに点数付けにゃいかんのよ?」  「そこはほら、長年私を見てきた幼馴染のフラットな意見が聞いたいわけよ」  たぶん公平な意見という意味で聞いているのだろうが、フラットにそんな意味はないし、そもそも長年一緒にいる幼馴染の意見が公平なものと言えるのだろうか? 頭に疑問符が付いたが、説明したところで右から左に抜けるのは分かっているので黙っておいた。  シカトしてもよかったが、餌をくれるまで一歩も引かない野良猫みたいな柳田の目を見て、私は仕方なしに答えてやった。  「うーん・・・七、かな?」  「七点満点中?」  「そんなわけあるか。十点満点中の七点に決まってんでしょ。何よ七点満点って。気持ち悪い」  「うわ、出たよA型の悪いとこ」  「血液型は関係ないでしょ」  私は、はああと重いため息を吐いた。  「アンタ病み上がりなんだからさっさと家に帰りなさいよ。っていうか、もう下校時刻だってのに、こんなところでなにしてんの?」  「ちゃらららっちゃら〜、がーんめーんこーじーいー」  「なんだその雑なモノマネは。んなことは見りゃ分かるわよ。私が聞きたいのは、何でこんな時間に部室で気合の入った顔面工事やってんのかってこと。何のつもりか知んないけど、アンタおととい退院したばかりなんだから、せめて家に帰ってやんなさいよ」  柳田はつい先日まで病院に入院していた。事故━━バナナの皮で滑って転んだことを事故と言っていいのか非常に迷う所だが━━に遭い、しばらく意識不明の重体だったのだ。それがつい先日回復し、今日になってようやく登校してきた。数日昏睡していたとは思えない程に健康体で、後遺症もないらしいが、大事を取るという言葉がある。私は授業の終わり際、柳田に寄り道せずにさっさと帰れと言ったはずなのだが━━  「うーん、そうしたいのは山々なんだけど、そういうわけにはいかない理由があるといいますか・・ぱくん」  柳田はそう言って、手元のチョコレート菓子を口に放った。ぱくんとかバカみたいだからやめろと注意しようか迷っていると、柳田はふいにお菓子の箱を私の方へやり、  「ななちも食べる?」  と、言った。  「・・・」  私はそれに答えず、黙って柳田の前に座った。柳田はお菓子を頬張りながら、上機嫌にふらふらと身体を揺らしている。  少し、声に真剣味を持たせた。  「・・・ねえ、アンタさ、本当に大丈夫なの?」  「? 何が?」  「何がって、アンタ・・」  「私がお菓子ダメなの、知ってるでしょ?」  私がそう言うと、柳田はお菓子を頬張ろうとした格好のまま固まり、「あっ」と言った。  「ごめん、ななち! ホント、ごめん! わー、何でだろ? ガチで忘れてたぁ・・」  柳田は大慌てで菓子の箱を引っ込めた。それを見て、私は益々不安を募らせる。  「・・・アンタさぁ、病院の検査の結果大丈夫だって言ってたけど、本当に大丈夫なの? いくら何でも私がお菓子ダメなこと忘れてるなんておかしくない?」  私のお菓子嫌いは昔からで、『ある事件』をきっかけにしている。  それは柳田も重々承知で、『あの時』から今に至るまで、コイツが私にお菓子を勧めてくることなど無かったのだ。  柳田は大慌てで手を振っている。  「いや、大丈夫! ホントに大丈夫だから! コレはただのド忘れだから! ・・・私ね、昏睡してる時にちょっと『へんなこと』があってさ、それ以来、記憶が曖昧というか、へんになってるところがあって━━」  「それを、『大丈夫』とは言わないんじゃないの?」  自分の表情がどんどん険しくなってるのを感じる。  柳田は困った風に頬をかき、「ホントに大丈夫なんだって・・」と言った。  首に有刺鉄線を巻いてでも病院に引っ張っていってやろうかと考えていると、ふいに柳田が「そうだ!」と言って両手を叩いた。柳田の両目は泳いでいて、誤魔化そうとしているのは明白だった。  「チェスボクシング部にを見つけたんだよ!」  それを聞いて、私は片眉を上げた。  私と私の上の代が無茶苦茶やり過ぎたせいで『土井山高校の帰らずの森』の悪名を持つ我がチェスボクシング部に、まさか入部希望者が現れるとは。  「あ、違う違う。入部希望者じゃなくて、あくまでもだから」  私は小首を傾げた。柳田は突然「くひひ」と奇妙な思い出し笑いをすると、  「ちょっと前にね、『何でも言うことを聞かせられる』二年の奴を見つけたんだ。そいつなら、きっと大喜びでチェスボクシング部に入ってくれるよ?」  と、言った。目に邪悪な光が宿っていた。  「・・・アンタ、そいつのどんな弱味を握ってんのよ」  「それは秘密。でもソイツは、私が『お願い』すれば、ベーリング海峡の蟹工船にだって乗るような奴だから」  誰のことを言ってるのか知らないが、どうやらよほどの弱味を握っているらしい。本来、そんな風に人の弱味につけ込んで無理矢理言うことを聞かせるのは、私のポリシーに反するのだが━━  現在、チェスボクシング部は部員不足で絶賛廃部の危機の真っ只中なのである。  ちなみに柳田は部員ではない。コイツは放課後の暇つぶしに喫茶店に寄る感覚で部室を勝手に利用しているだけの帰宅部である。  「私の代で伝統あるチェスボクシング部が潰れるのは忍びないから、正直二年の入部希望者はありがたいんだけど・・その、大丈夫なの? 『命いりません』とか、『重度の後遺症を負っても訴えません』とか、『逮捕されても部員は売らない』とか、書いてもらわないといけない契約書が色々あるけど・・」  「大丈夫大丈夫。何かゴネたら私の名前出せばいいから。そうすれば、仮に契約書に『金一千万、借りてないけど返済します』って書いてあっても秒でサインすると思うから」  そう言って、柳田はケタケタと悪魔みたいな声で笑った。妙に上機嫌だ。さっきから誰のことを言っているのかまるで分からないが、どうやらソイツのことをえらく気に入ってるらしい。  ふと、私の脳内で勘のようなものが働いた。  「ちょっと気になったんだけどさ、アンタがさっきから言ってる奴隷って、もしかして男子なの?」  柳田は少し意外そうに目をパチクリさせ、  「そだよ。ななち、よく分かったね」  と、言った。  それを聞いて、私の胸内に不思議な感情がじわりと広がった。  「・・・ほー」  夕飯の席で娘がやたら同じ男の子の名前を出すのに気付いた父親の気持ちというのは、こんな感じなのだろうか?   ほぼ毎日のように男女問わず告白され、雨後の筍のようにストーカーやそれに類するカスを生み出し続けている柳田だが、不思議と今まで誰かと交際するということがなかった。小学生の授業参観の時に「夢はGDP世界一の男の子のお嫁さんになることです!」と言って親を泣かせたこのバカが、ごく普通の女子高生のようにもどかしい恋愛に手を出す日がやってくるとは・・。私は、目頭が少しだけ熱くなるのを感じた。  「どしたん、ななち。急に目頭なんか押さえて」  「いや、ちょっとね・・。物凄く出来の悪い娘を送り出す親の気持ちになってた」  柳田は眉を八の字にして「はあ?」と言ったが、何かに思い至ったのか、急に顔を真っ赤にして立ち上がった。  「ち、違う! 違うから!! そういうんじゃないからね!! へんな勘違いしないで!!」  「はいはい、分かってるって。ところでその男子、GDPランキング何位なの?」  「GDPの話はやめろ!! それ私の特級黒歴史!! 誰かに話たら、例えななちでも許さんからね!!」  「土井山どころか町内の九割が知ってるエピソードなのに何を今更・・あっ、そうそう。アンタに彼氏が出来たら、ストーカーやそれに類するカスが活発化すると思うから、今度チェスボクシング部のOBと一緒にアンタのボディガードを兼ねた『第三回 生サンドバッグ大収穫祭』やるからよろしくね」  「だから、へんなイベントに私を巻き込むのをやめろ!! 私関係ないのに、前の時は警察の事情聴取で半日詰められたんだからね!!」  「アレはごめんて。OBの中に血の見過ぎでテンション上がり過ぎちゃった人がいて、うっかり証拠残しちゃったのよね。今度は証拠残さないよう、うまく殺るから大丈夫」  「何一つ大丈夫じゃない!! やるの字面が物騒!! そもそもの話、そんなイベントやるな!! OBとも縁を切れ!!」  「それはそうと、もうヤッたの?」  ヤッてねぇよころすぞと言ったところで、柳田が過呼吸を起こした。  カァカァというカラスの鳴き声と柳田の悶絶する声をBGMに、私は『第三回 生サンドバッグ大収穫祭』の案内文をどうしようか考えていた。  「・・・あー、くそっ、もう・・何で私の周りって、こんなに頭がおかしい奴が多いんだろ・・」  呼吸を取り戻した柳田が、心底うんざりした表情で呟いた。  私はOBからの「えっ、人を●してもいいんですか?」というメールに「好きなだけいいですよ」と返しつつ、柳田に声をかけた。  「どうでもいいけど、アンタ化粧崩れてるわよ?」  「うぇっ!?」  柳田は手鏡を見ると、「マジじゃん!!」と叫び、大慌てで顔面の再構築を始めた。  「さっきから言ってっけど、化粧なんか家でやんなさいよ。何をそんなに焦ってんの?」  「焦らないといけない理由があんの、こっちには!!」  「男か?」  「・・っ、違う!!」  答えるまでに一瞬、間があった。柳田は私から目を逸らし、白々しく鏡を見始めた。確定である。どうやら件の二年と待ち合わせをしているらしい。  むむむ、と唸りながら真剣な表情で顔面をいじっている柳田を見て、コイツ結構本気なんだな、と改めて思った。  「・・・ねぇ、ななち。さっきから私の方見て腕組んでうんうん頷いてるの不愉快だからやめてくんない? 何度だって言うけど、そういうのじゃないんだからね?」  「そういうんじゃないんなら、何なの?」  「・・・何というか、その・・あの時、八十点だったのが悔しいというか、何というか・・」  「はあ?」  柳田は訳の分からないことをぶつぶつ呟いていたが、やがて説明するのがめんどくさくなったのか、髪をガシガシとかきむしり始めた。  「とにかく!! これは、その・・SNS!! SNSに自撮り上げるためにやってるの!!」  柳田はこの後に及んで強引に誤魔化してきた。SNSは能面の上に豆腐を置いた写真を毎日送りつけてくるガチめのヤバい奴に粘着されて怖いからやめたと言っていたのに。  「ほらっ、ななち! 撮って撮って!! 柳田ちゃんのいい感じに盛れた顔面百二十点だよ!! こんな神々しいものをタダで撮っていいなんて、私の幼馴染でよかったな!! 感謝しなさいよ!!」  柳田は私にスマホを押し付け、クソ苛つくことを言ってきた。スマホの画面をバキバキにしてやろうと思ったが、今日は病み上がりなので勘弁してやる。  私が仕方なしにカメラを向けると、柳田は新種の動物拳法みたいなポーズをキメ始めた。私は心を無にしてシャッターを押した。この写真に『こういうクソ女には注意しろ』と注意書きを書いてポスターにすれば、多少は頂き女子とかの被害者も減るだろうかと考えていると、ふいに柳田が動きを止めた。  「・・・」  柳田は、何故か自分の左下辺りを凝視していた。目線を追うが、そこには目立ったものは何もない。  「どしたの、アンタ?」  「ん? あー、ちょっとね・・」  柳田の声はぼんやりしていて、どこか心ここに在らずだった。その様子を見て、先ほどの不安が再び頭をもたげる。真面目に病院に連れて行った方がいいのだろうかと考えていると、柳田は私の方を見て、  「ねぇ、ななち。ちょっと写真見てくれない? 今撮ったやつ」  と、言った。  私は意図が分からず眉根を寄せる。何でよ、と聞く前に、柳田はいいからいいからとせかしてきた。  仕方なく、私はフォルダを開いた。  頭の悪そうな女が、頭の悪いポーズを決めている写真が何枚も続く。軽い拷問を受けている気分でカメラロールをスクロールしていると━━  その中の一枚を見て、私の指が止まった。  「・・・」  固まる私の後ろに、いつのまにか柳田がやってきていた。柳田は私の背後からスマホを覗き込み、  「・・・やっぱ写ってたか」  と、言った。  私はひどくぎこちない動きで柳田の方を見やった。聞きたいことは山ほどあった。でも、そのすべてが言葉になってはくれなかった。困惑する私に、柳田は優しい笑みを浮かべて肩を掴んだ。その写真には、カメラに向かってピースする柳田と、もう一人━━  「なんで、たかしが写ってるの?」  私は、ようやくそれだけを聞くことが出来た。
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