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「おいこら」 怒声。 「テーブルの上の物ぜんぶ片付けんかい。酒も何もぜんぶだ」 金本正俊会長らしき(・・・)年配ヤクザが、つい先ほどまで女たちに見せていた陽気さの欠片もない怒鳴り声を張り上げて、目の玉を三角にしてつり上げている。 「お片付けいたして、よろしいんですか」 従業員ふたりは、若原と俺、それに龍応会の面々をチラチラと見ながら、かすれた声を震わせた。無理もない。会談はむしろこれから始まるのである。飲み物なし、笑顔なし、の無い無い尽くしの会談なら、わざわざナイトクラブ・スワンにまで来る意味がわからない。 「片付けろって言ってるんだよ」 氷のように冷たい声。まるで地の底から響くような声音だった。 「あの、当店にもしも何か不都合等がおありでしたのであれば……」 「おい、日本語わからねえか。だったらわかるようにしてやろうか」 テーブルに片足が乗った。激しい音。グラスが一斉に倒れ、カクテルの液体がテーブルの上にクモの巣状にひろがった。 「申し訳ありませんでした。ただいますぐにお片付けいたします」 従業員ふたりは緊張しながらそそくさと動き回り、瞬く間に酒やグラスの類いはもちろん、おしぼりの果てにいたるまで、すべてを片付けてしまった。もはやテーブル上には何もない。 「ようし、済んだら出て行け。こっちが呼ぶまで絶対に入ってくるんじゃねえぞ。呼んでもいねえのに勝手に入って来たら、従業員一列に並べてひとりずつ順番にビンタ食らわして捻り潰すぞ。なあんてね」 笑顔。声に陽気さが戻っている。その豹変ぶりが実に薄気味悪く感じる。クラブの従業員ふたりも思いは俺と変わらないのだろう。見た目で明らかなほどに戦慄しながら去っていった。 従業員ふたりが去ったのを何度も確かめてから、金本会長らしき(・・・)陽気な年配ヤクザはソファーから立ち上がった。それから豪放さも陽気さも引っ込めて畏まり、姿勢を正した。 「会長、準備が整いました」 金本正俊会長らしき男が言った。 それから紫色のソファーの後ろで仁王立ちする六十代半ばの縞模様スーツの禿げ頭に対し、金本正俊会長らしき男は腰を直角に折り曲げて平身低頭した。 「ささっ、お席のほうへどうぞ」 「うむ」 立たされ坊主の縞模様スーツの禿げ頭は微かにではあるが、誰の目にも明らかなほど尊大に頷いた。 衝撃だった。正直なところ、大いに驚かされた。いかにも龍応会親分の金本会長のように振る舞っていた豪放無頼な男は、実は金本会長ではなかったのだ。 椅子にも座らせてもらえぬ下働きの老兵ヤクザだと俺が(勝手に)認識していた縞模様スーツの禿げ頭こそが、龍応会会長金本正俊その人であったのだ。 さっきまで偉そうにソファーに座って女たちとじゃれていた年配ヤクザふたりが姿勢を低くしながら、兵隊のようにきびきびした動作で本物の金本正俊会長の背後に回り込んだ。代わりに縞模様スーツの本物の金本正俊会長と四十代の比較的若いヤクザが並んでソファーの上座にあたるのであろう場所に堂々と着いた。 若原敦士が一呼吸おいて下座に着いた。俺は若原敦士の背後に立つ。
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