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いじめトリオの両翼を担っていた久藤と三川もまた、屋久と似たり寄ったりだ。ガキ大将的な威圧感はすっかり鳴りを潜め、地味なスーツに地味なネクタイを窮屈そうに締め上げ、髪を七三にきっちり分けて愛想笑い光線を放射しまくっている。
中学時代の不良三人衆は、善良な小市民として人生をやり直すことによって、過去の傍若無人を精算しようとしている。
三人が三人とも、若気のいたりを恥じているのだ。今はすっかり真面目になって、人として正しく生きようとしている。
思い出した。中学の頃、俺は屋久と久藤と三川の三人と揉めたことがある。理由は思い出せない。だが確かに屋久たちと揉めた。拳骨や蹴りを繰り出したりだとか、そういう直接的な暴力の応酬に発展することはなかった。それでもある一時期はあの三人組と一触即発の状態だったことがある。
その後いったいどうなったのか。
おぼえていない。
記憶にないぐらいだから、何となくうやむやになって、曖昧に和解して終わったのだろう。そんな元不良三人組に対して、俺は遺恨のようなものはほとんど懐いていない。
だが若原敦士はそうではなかったのだ。
若原敦士は、彼自身の半生を語った。よく通る声で、朗々と、そして長々と。
学校で、いじめ被害を受けた。毎日、毎日、執拗に。
精神的に極限まで追いつめられ、心に余裕が持てなかった。それでも家族に心配をかけたくない一心で、死ぬような思いをしながら毎日学校に通った。
優秀だった成績は下降していった。
高校受験は惨敗。家が極度に貧しかったから、滑り止めの私立には通えない。
何もしなかったわけではない。若原敦士は救いを求めた。藁にもすがる思いで。
恥を忍んで何度もいじめ被害を担任の猿田に訴えた。しかし、やはり藁はただの藁だった。藁はフニャフニャとしてつかみ所がなく、簡単に折れてしまう。事なかれ主義。藁の化身の猿田は、学級にいじめなど存在しないという見解を終始貫き通した。
同級生たちは、誰も彼もがいじめという卑劣な犯罪行為を見て見ぬふりを決め込んだ。ある生徒ひとりだけを除いては。
学級には怨みしかない。
中学を卒業した後は拉麺屋に奉公。
皿洗いを手始めに、下積みを重ね、文字通り馬車馬のように働いた。
俸給は雀の涙。個人営業の拉麺屋だ。法によって定められた最低賃金の保証など無いも同然だった。
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