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3.パラレルワールド
――場所は自宅。
私は日付をまたぐ直前くらいにお風呂から上がって洗面所でドライヤーを使って髪を乾かしていた。
ふと目線を下ろすと、洗面台の上には見覚えのない丸い手鏡が置いてある。
それが気になり、一旦ドライヤーを洗面台に置いてから手鏡を持ち上げて眺めると、裏にはピンクベースのラインストーンで装飾が施されている。
「うっわぁ〜、かわいい〜〜っ!! 萌歌ってクールなイメージがあるけど、こーゆーラインストーンのキラキラ感が好きなんだぁ。へぇ、意外!」
手鏡の装飾に一瞬で目がハートに。
鏡自体は高価そうなものではないけど、フレームの隅までデコレーションされている分、より良く見える。
1000円……ううん、2000円で販売しててもおかしくないほどの仕上がりに。
自分も真似したいなぁと思って仕組みを眺めていると、横からガラっと洗面所を開ける音がした。
すかさず目を向けると、そこには鬼の形相の萌歌がこっちを見ている。
彼女は足を一歩前に踏み出すと、私の手から勢いよく手鏡を奪った。
「なに人のものを勝手に触ってんのよ」
「洗面台に置いてあったからキレイだなぁと思って眺めてただけなのに、そんなに怖い顔で奪う必要がある?」
「あんたに私物を触られたくないだけ」
「それはわかるけど、言い方ってもんがあるでしょ。『その手鏡を返してくれる?』で充分じゃない。それなのに、人を泥棒扱いにしてさ」
「あんただって人の気持ちを考えないで失礼じゃないの? 少しは考えてからものを言いなさいよ。だからあんたとはきょうだいになりたくなかったのに」
私たちの関係は悪化の一途をたどるばかり。
彼女と顔を合わせばトゲトゲしく突っかかってくるし、肝心なことを伝えようとすると無視される。
そんな生活がこれから延々と続くと思うだけで正直しんどい。
父が再婚したいと伝えてきた時、一人っ子に私に初めてきょうだいが出来ると思って嬉しかった。
友達や恋愛や家族のこと。なんでも話し合える関係になりたいし、親友のように仲良くしていきたいなとも思っていたのに……。
萌歌とは仲良くするどころか、顔を合わせばケンカ。
この時点で理想のきょうだい像からかけ離れている。
二人で言い争っているうちにカッとなって鏡を持っている腕を掴み上げてから言った。
「私だって萌歌ときょうだいになりたくなかった! きょうだいが出来たら、良い関係を創り上げていきたいと思ってた。それなのに、私たちは顔を合わせればケンカ。確かに私も悪いところはあるけど、お互いがお互いを思いやれなくなってる」
「自分を正当化しないでよ。あんたは自分にも責任があることくらい気づいてよ」
「だから謝ってるじゃない。話を聞かないのは萌歌の方でしょ?」
「皐月と喋ってるとイライラするのよ。裏でなにを言ってるんだかわかんないし」
「いつも萌歌の悪口を言ってるわけじゃないのに、悪いところだけつまみ出さないでよ」
「何度も悪口を言われると、全部が全部そう聞こえちゃうのよ。嫌なら嫌でいいんだけど、コソコソと悪口を言わないでよ」
「悪いと思ったから謝ったんでしょ! あぁ、もうこんな世界は嫌だ! やってらんないよっ!!」
彼女の腕を引き、揉み合いになりながらそう言った瞬間……。
ピカッッ!!!!
萌歌の手鏡から稲妻のような閃光が走り、辺り一面は一瞬にして眩い光に包み込まれた。
それによって一瞬にして目の前が真っ白に。
「うわわっ……」
「えっ…………」
…………
………………
…………………………
――あれから何分経過したのだろうか。
意識を失ってたと気づいたのは、洗面所の床に倒れていることに気づいてから。
両手をついて体を起こすと、隣に萌歌が倒れていた。
しかし、本当の異変に気づいたはそこから。
「萌歌……、ねぇ、萌歌……。起きて、萌歌!」
「うっ……うーん…………なによ……騒がしいわね……」
「変なの! 全てが……。自分の家なのに……、自分の家じゃないみたい!!」
「うっ、うーーん…………。なにおかしなことを言ってるのよ。わかるように説明して」
萌歌が迷惑そうに目をこすりながら体を起こす。
だが、私の瞳の中は”いつもの風景”が映し出されておらず、泳ぐように辺りを見渡す。
「せ、洗面所の扉が……。浴室の場所が……。私たちがここで寝ていた間に景色が左右反転してるの……」
「えっ? どーゆーこと?」
「つまり……、洗面所の全ての配置が逆になってる」
慌ただしい言動に彼女は異変を感じたのか、同じように洗面所の中をぐるりと見回す。
「ほんとだ……。右際にあったはずの浴室が左に。さっき入ってきた扉が右に。定位置にあったものが全て逆になってる。まるで鏡の向こう側にいるみたい」
そこでハッと気づいた。
もしかしたら、佐神先生が授業中に言っていたパラレルワールドに来てしまったのかもしれないと。
……いや、そんな簡単に来るはずがない。
それに、いくら先生の話とはいえ信憑性が低い。
「もしかして、パラレルワールドに来ちゃったかな。私たち……」
「昨日授業で言ってたやつ?」
「目覚めた途端に家の中が全て逆になってるなんておかしいでしょ! ねぇ、絶対そうだよ! どうしよう!!」
「夢でも見てるんじゃないの? バカバカしい……」
現実を目の当たりにしても彼女は信じようとしない。
まだ目が覚めていないのだろうか。
それならちゃんと起こしてあげなければならないと思って彼女の左腕を掴んだ。
「まだ寝ぼけてるの? これは夢じゃない。現実なんだよ! 肌をつねってごらん」
「大げさに考えすぎ。一晩寝れば元通りにもどってるよ、きっと」
「なに言ってるの? もし戻らなかったら、私たちは一生パラレルワールドで生きていかなきゃいけなくなるんだよ?」
「はぁっ? そんなの知らないし、しつこいっつーの!」
萌歌がしかめた顔のまま手を振り払った瞬間、それまで掴んでいた手鏡が飛んでいき、洗面台の下に当たってパリーンと音を立てた。
目を向けると、手鏡はクモの巣状にヒビが入り、ガラスの破片が辺りに飛び散っている。
「あっ……」
「ちょっ……、何してんのよっ!! あたしのお気に入りの手鏡だったのに」
「ごめん。悪気があったわけじゃ……」
「もういいっ!! 言い訳なんて聞きたくない! あんたが責任持って割れた鏡を片しておいてよね。あたし、もう部屋に戻るから」
彼女はそう言って不機嫌に立ち上がってから洗面所を出て行った。
その場に取り残された私は、気持ちが追いつけないまま変貌した景色を眺めるだけ。
夢、だと思いたい。
でも、どんなにたくさん瞬きしても、何度も辺りを見渡しても、家の中の配置は全て逆になっている。
いや……、それ以上に深刻なのは、時計の文字も動きも逆だということ。
この現実をどう受け入れればいいか、どう受け止めたらいいかすらわからないまま、割れた鏡の破片を拾って左右を確認しながら部屋に向かった。
机の前に立って積んである教科書に手をかけると、やはり文字が全て逆になっている。
もしこれが夢じゃないなら、この先どう生きていけばいいかわからない。
――そして、一晩経った。
ベッドから起き上がって辺りを見回してみるが、眠りについた時と何一つ変わらない。
カーテン、タンス、机、本棚の位置が全て反対側に設置されている。
夢であって欲しかった。
目が覚めたら元通りになっていて欲しかった。
でも、現実はそこまで甘くない。
私は布団から起き上がり、萌歌の部屋の前に立って拳で思いっきり扉を叩いた。
ドンドンドン!! ドンドンドン!!
「萌歌! 起きてる? 萌歌! 萌歌!」
ドンドンドン!! ドンドンドン!!
「萌歌! ねぇ、萌歌ったら!! 一晩経っても部屋の中が昨日と同じなんだけど! 萌歌! 起きて、萌歌……」
顔面蒼白のまま叫んでいると、扉がゆっくり開かれた。
薄暗い部屋の中から眠そうに目をこすっている萌歌が現れて迷惑そうに言う。
「なによ、朝っぱらからうるさいわねぇ〜」
「一晩経っても部屋の中の配置が元に戻ってないの。それだけじゃない。文字も全て逆。時計も、教科書も、スマホも、全部全部……。やっぱり夢じゃない。この世界なにかがおかしいの。ねぇ、どうしよう!」
「そんなの知らないわよ。あんたのせいでこんなところに来ちゃったんだから、責任持って解決してよね」
彼女は不機嫌な態度で不満を押し付けると、バタンと勢いよく扉を締めた。
知らない世界に送り込まれて不安な私と、この世界に来た責任を押しつけてくる萌歌。
まともに取り合ってくれる人がいない状態での未知の世界は、心に暗い影をもたらしていく。
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