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なぜだろう。
気がつくとおれは自転車にまたがり、銀冠山の方へと漕ぎ出していた。
漕ぐ。漕ぐ。ペダルを踏むたびに、牢獄のようだった部屋も家も遠ざかっていく。温もりのある日差しを背中に感じながら、おれは立ち漕ぎで銀冠山に向かう。
端的にいうと魔が差したのだ。
両親が離婚してから自分の意見が言えず、母さんに合わせてばかりだったおれの理性みたいなものが爆発して、やってはいけないことをやってみたくなったのだ。
結構なスピードを維持したまま、おれは農道を逸れ、草の生い茂る山道に入る。とたんに、緑の匂いが濃くなる。
久しぶりに山へ入った気がした。
小学生のときは、酷い点数のテストとか、図工で描いた下手くそな絵とか、不恰好な粘土人形とか、赤入れだらけの習字とか、母さんに見つかったら怒られそうなものをよく捨てに来ていたが、高校に上がってからはめっきり来なくなった。あ、でも———進路希望調査票。あれを今年の夏、学校の帰りに捨てたか。
自転車を木の影に停め、雑草に覆われた道を早足で登る。
なんだ、何も起こらないじゃないか。
山の中腹まで登り、大きな岩を見つけたあたりでそう思った。目を凝らすと、岩のくり抜かれた場所にしめ縄が見える。もしかしたら神様が祀られているのかもしれない。
興味本位で中を覗こうとした。そのときだった。
「ここのそじあまりよつ、ここのそじあまりいつつ、ここのそじあまりむつ」
自分のすぐ背後から、男の声にも女の声にも聞こえる、不思議な声がした。
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