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社長は、すぐにエマを探しに他の部屋に移動した。
「恭平さん」
声を掛けた位では起きない感じだ。
頭はボサボサ、片方のスウェットの裾だけが膝まで捲り上がっている。
更に覗き込むと何日も剃っていない様な無精髭が顎を覆っている。
「恭平さん」
今度は肩を揺すってみる。
恭平はゆっくり目を開けた。
「俺は遂に死んだのか、桔花の幻覚が見える」
目の前にいる桔花の姿を現実だとは思えずそう言った。
「僕ですよ」
「え、本物? 何で……」
「何でか知りたいのはこっちですよ。どうしちゃったんですか? こんなのあなたらしくないですよ」
「イヤーーッ」
その時寝室と思われる部屋の方から叫び声が聞こえた。
次にエマが部屋から飛び出してきた。
どうやら眠っていた所を起こされ、桔花が一緒に来ていることを聞かされたらしい。
エマは桔花と恭平の間に割り込み恭平に抱きついた。
「行かないで、恭平。ここにいて」
そして首だけ桔花に向けて言った。
「あんた恭平とはもう終わったんだろ、今更何しに来たんだ」
「僕は連れ戻しに来たわけじゃないですよ」
「え? じゃあ何で」
「ウルフが肺炎を悪化させて入院しました。看病していたなっちゃんも酷いあ有り様です。どうしたいのか聞いたら、なっちゃんは恭平さんに帰ってきて欲しいようなのでソレを伝えにきました」
「や、やっぱり連れて行こうとしてるんじゃないか」
桔花は恭平の手がしっかりエマの背中を支えているのを見た。
「違いますよ。どうするつもりなのかを聞きに来たんです」
「俺はもうしばらくここに居ようかと」
「仕事にも行かずにですか?」
呆れ顔の桔花の顔を恭平は見ない。
「そ、そうだよ。恭平はここにいるんだよ」
エマが震える声で言う。
「エマさん、社長さんはそれでいいと仰ったんですか? ここは事務所のものなんですよね?」
エマはゆっくり社長の顔をみた。
すると社長も呆れ顔で話しだした。
「このままキチンと仕事を熟せないようなら辞めてもらいます。そうなれば明日にでもここは出ていってもらいます」
エマの顔は見る見る青ざめていった。
「あの……それはそちらでやってください」
桔花はエマに向かって言った。
そして恭平に向き直って話しだした。
「そもそもウルフはあなたの犬ですよね。なっちゃんがあんな姿になって面倒を見るなんておかしいですよ」
「あんなって、夏子はそんなに?」
「救急車を呼ぼうか迷ったくらいです。エマさん着替えを取りに来た時に既に具合は悪かったと思いますけど、何も聞かなかったんですか」
「……」
「なっちゃんは、お二人が好き合って一緒にいるんじゃないなら恭平さんに帰ってきて欲しいと言ってました」
「それで今夏子は……」
「城田の家で預かっています」
恭平は黙っていた。
桔花ははっきりしない恭平に苛立ちを感じた。
「わかりました」
「え?」
「なっちゃんもウルフも僕が貰いますのでご心配なく」
「ちょっときっちゃん」
慌てた光輝が初めて言葉を発した。
「じゃあ、これでお別れですけど、一言だけ」
桔花は恭平に向き直った。
「恭平さんの仕事に対する熱意や希望が僕に与えた影響は少なくなかったですよ。楽しかったのも、婚約に関しても真剣に受け止めていました」
「桔花……」
「どうかお元気で」
桔花は光輝に背中を押されて部屋を出ていった。
帰りの車の中、桔花は助手席でずっと窓の外を見ていた。
光輝はバックミラーに映る桔花の頬に涙が伝っていたのを見たが黙っていた。
それより光輝は驚いていた。
フワフワして事あるごとに熱を出して寝込んでいた桔花が、友達の為にあんな啖呵を切ったことに。
すると桔花が口を開いた。
「あんな風になったのはやっぱり僕のせいなのかな……」
「……」
「立派な人だと思って尊敬してたんだけどな」
「今がどうでもあの人がやってきたことに嘘はないんじゃないか?」
「そうだね」
その後も家に着くまで桔花は光輝を見ようとはしなかった。
車が家の前に着くと、桔花だけが降ろされた。
「俺今日遅くなるから、母さんにも言っておいてくれる?」
「あ、うん わかった」
「じゃあね」
「あ、光ちゃん。また迷惑掛けてごめんね。すぐ光ちゃんを頼るの止めないとね」
「だから迷惑じゃなくて心配。俺が放っておけないんだからしょうがないよ」
光輝はそう溜息混じりに言って走り去っていった。
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