天狗

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天狗

突然“やま”にやって来てしまったらしい状況にあたふたしていれば、不意に頭上が暗くなる。 「ようこそ、大蜘蛛の花嫁殿」 私のことを知っていて、攫ったってこと? 見上げればそこには、顔半分を覆う天狗面の男がいた。山伏の格好に、背中からは黒い翼が生えている。まごうことなく天狗である。高位妖怪である上に、時に神通力をも扱う存在だ。 霊力の高い人間でさえ、彼ら相手には最新の注意を払う。霊力もない人間には、さすがに手も足も出ない。 それに何だか嫌な視線だ。この視線を以前にも感じたことがなかっただろうか……? 「何だ、ちび蜘蛛までついでに連れてきてしまったのか?まぁいい。そんな小さな蜘蛛には何もできまい」 確かに、そうかもしれないけど。 「ふるふる、ふるふる」 もみちゃん、震えてる!?そう言えば、ひと見知りな子なのだ。ゆららちゃんも言っていた。蜘蛛には人見知りで臆病な種もいるって。それでも、危害を加えない人間に対しては好意的な蜘蛛妖怪も多い。それにみんな私に優しかった。 しずれもまた、優しくて。 だから、私が守らなきゃ。 「このこには、手を出さないでください」 ぎゅっともみちゃんを抱きしめる。 「そう脅えるな。我々は、そなたを助けてやったのだ」 「……た、助けて?」 「大蜘蛛の花嫁など、不憫にもほどがある。大蜘蛛の花嫁になるくらいなら、我ら高貴な天狗に嫁いだほうが良いだろう?」 何を、言ってるの? 「私は、しずれの花嫁に迎えてもらって、満足しています」 「ぐっ、蜘蛛なんかの嫁だぞ!毛むくじゃらの、化け物だ!それよりは天狗の方が美しく、神聖だ!」 目の前の天狗が、仮面を外す。確かに、酷く整った顔立ちである。 しずれも美しい顔立ちをしているとは思うけど。 「そうじゃない」 そこじゃないのだ。しずれは優しくて、温かい。花嫁に、家族に迎えてくれた大切なひと。 「私は、しずれだからいいんです!」 あのひとの花嫁になれて、本当に良かったと思った。救われたのだ。 「あなたこそ、何故、霊力もない私を?」 「確かに、霊力は感じられない。だが、会合でそなたを見つけた」 あの時の会合……?そしてあの時目が合ったと感じた天狗と、この天狗は似ている。同一妖怪……と言うことなのか。 いや、きっとそうだろう。しかし……。 「ヌシさまは、このことは」 「ヌシさまには、後で報告すればいい」 「えっ」 「花嫁が大蜘蛛との契りを嫌がっていると伝えれば、きっとヌシさまもこちらの味方になる。この山で大きな力を持つ、我ら天狗一族の」 「嫌がってなんて、いません!」 「何故!大蜘蛛だぞ!」 「だからなんだって言うんですか!」 みんな、みんな優しい。 しずれも、花嫁だと。大切だと言ってくれる。お姐さんたちは妹としてかわいがってくれて、ちび蜘蛛ちゃんたちも一緒に遊んでくれて、懐いてくれる。 実家の離れではおじいちゃんやにゃーちゃんたちがいてくれて、寂しさは凌げた。けれど、おじいちゃんやにゃーちゃん、ねこさんたちも一緒に、たくさんの蜘蛛たちに囲まれて暮らしている今のままのほうがずっと、ずっと幸せだ。 ―――そして、かなうならば、しずれと……。 「何故分からない!分からないのならば、無理矢理にでも!」 無理矢理ってっ! 「い、嫌です!」 「ふーっ!」 天狗に押し倒されるにして、背中を床に叩きつけられる。そして腕の中のもみちゃんが叫ぶ。 「おびっ」 帯?あ……隠れ帯……! 「逃がすか!」 天狗が、私の胸元を掴んでくるが、その時だった。 電流のようなきらめきが、天狗を襲う。 何?これ。 「おび!」 そうだ、今は! 隠れ帯に入るには……。 「ねがう!」 隠れ帯に入りたいと強く、願うこと。 それにちび蜘蛛ちゃんのもみちゃんもいるのだから。 ――――きっと、入れる。 その瞬間硬い床に打ち付けられていたはずの背中がふわりと浮き上がった気がした。そして背後から雪のように白いもふもふの蜘蛛脚が勢いよく伸びて来て、後ろからヒト型の腕に包まれた。 「見つけた」 その声に、どれだけ安心したことだろう。 そしてもふもふな脚に包まれながら、優しい声が降ってくる。 「よくできたな」 「し、ずれ?」 見上げてみればそこには、ふんわりと微笑むしずれの顔があった。 そして気が付けば見覚えのあるほわわんとした空間にいた。 あちらこちらには『あっち』『どこか』などと言う独特の看板が立っており、周囲には他の蜘蛛たちの姿も見えた。 「さて、帰ろうか」 「……っ!うん」 こくんと頷けば、もみちゃんごとさっと抱き上げられながら、屋敷へと帰還した。 すると……。 「ふゆはちゃん!」 「うわああぁぁぁんっっ!もみいいぃぃぃぃっっ!!」 ユズリハお姐さんとヌシさまが真っ先に駆けてきたのだった。 「無事で良かった。ふゆはが隠れ帯に入ろうとしてくれたのもあるが、お陰でスムーズにふゆはをもみと共に保護することができた」 「うわ~んっ!もみもだよ~~っ!」 そして私の腕の中のもみをヌシさまが回収していく。 「それに無事に隠れ帯にも避難できた。よくできたな」 「あの、もみちゃんがいたから、です。しずれも、来てくれて」 「そう言う面ではもみも一緒で良かったかもしれないな。それに願ってくれたのだろう?だから俺も行きやすかった。ふゆはの気配を辿って行けば、隠れ帯と直接つながったから」 「う、んっ」 緊張の糸が解れたのか、ふいに涙が込み上げてくる。 「恐かっただろう?ふゆはを保護する直前、攻撃を受けたのが分かったし、蜘蛛脚を展開させたときに思いっきり何かをぶっ飛ばした気がするが」 「それはっ」 どうしてそこまで……? 「本当に、ウチのもみを攫うとかどう言うつもり?」 ヌシさまの目が本気だ。あんなに穏やかな雰囲気だったヌシさまが本気で怒ってる。 「でも、あの、天狗さんはもみちゃんのことを知らなかったようで」 「は……、天狗?それにもみのことが分からないとか死にたいの?」 ヌシさまがしれっと恐いことを言う。 「気持ちは分かるが、優しいふゆはの前では抑えろ、伊吹。あともみもいるのだし」 しずれがヌシさまの名を呼べば、伊吹は後ろに控える天狗たちを静かに見やる。 「いえ、我々はヌシさまの花嫁を攫うなどと!」 「しかも大蜘蛛さまの花嫁さままで!」 天狗たちが一様に頭を低く下げて恭順の意を示す。いくら天狗と言えど、ヌシさまに逆らうほど馬鹿ではないだろう。 「それに、ふゆはは俺の花嫁であり、フユメが溺愛する孫娘だ」 「あの、フユメさまのっ!?」 天狗たちが絶句している。 「元々はホウセンカ姉さんの旦那のイサザさんのために月守家にいついた神聖な蛇だ。そしてイサザさんが婿入りする時に、家族を大切に思うイサザさんのために月守家の守り神になった」 イサザさんは……私のご先祖さまだったんだ。
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