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第十六番波止場から眺める函館ハリストス市は濃い朝靄に隠れていた。晴れた日には遠く五稜郭ロマン城まで望めると聞き、期待に胸を膨らませていたロジェイスト・フォルチュナハアトは大いに落胆した。乗船している自由貿易船ヴェンスキー・カッタートロカ号の舷側に据え付けられた手すりを両手で握り締め、海へ落ちんばかりに体を乗り出し目を凝らしても、やはり古代からの名城の姿は影も形も見えなかった。
額にかかる焦げ茶色の髪を払い除け、持参していた双眼鏡――長い船旅の途中で絶滅したとされる海竜を再発見しようと考えたのだ――で西の空の彼方を見る。そちらに五稜郭ロマン城があるはずなのだ。ロジェイスト・フォルチュナハアトは朝靄の中に向け鋭い視線を送った。彼の額に、やがて大粒の汗が浮かんできた。太陽の日差しが強まり、波一つない海面が明るい光を反射する。暖かくなるにつれ、次第に朝靄も消えてきたが、それでもロマンあふれる壮麗な城は見えてこない。
遂にロジェイスト・フォルチュナハアトは顔から双眼鏡を離した。とうとう、彼は敗北を認めたのである。
「はあ、なんてついてないんだ……五稜郭ロマン城が見られないとは! 実にまったく、ついてない!」
溜め息を一つ吐いて肩を落とす。観光名所を見て回るのはロジェイスト・フォルチュナハアトの数多い趣味の一つだった。函館ハリストス市の代表的な観光スポットの筆頭である五稜郭ロマン城……彼としては、絶対に外せない場所である。この地で遥かな古代に繰り広げられた壮大な戦争の伝説を、彼は子供の頃に知った。その伝説の地を訪れたからには、戦いの舞台となった五稜郭ロマン城に行ってみたいのである! いや、そんな書き方では、単なるミーハーな観光客になってしまう。実は違う、まったくそうではないのだ。彼は、自分の信念のために、伝説の城へ向かいたいのだった。新・武士道への思いを強くするために、古の名城の姿を目に焼き付けたいのである。しかし、彼の仕えるご主人様ポメラ・リー・アンダーソンは、自分の使用人の希望なんか知ったことではなかった。美しい顔に苛立ちを滲ませて、彼女は下僕ロジェイスト・フォルチュナハアトの背中に鋭く言葉を発した。
「いつまで海を見てんだよボンクラ。いつになったら下船できるのか、船員に聞いてこいやタコ!」
ロジェイスト・フォルチュナハアトは震え上がった。ポメラ・リー・アンダーソンは短気な主人である。その機嫌を損ねると、大変な目に遭う。
「今すぐ聞いてまいります!」
舷側の柵と気難しい主人から離れロジェイスト・フォルチュナハアトは船の乗組員を探した。先程までは甲板上で何人かの姿を見かけたのに、用がある時はいなくて探さなければならないのは不合理だ! と彼は心の中で憤った。
いた。甲板のデッキで大きな荷物を片付けている船員が見えたので、ロジェイスト・フォルチュナハアトは近づいた。
ロジェイスト・フォルチュナハアトに話しかけられた船員は荷物を縛るロープを持つ手を放し、双眼鏡を首から下げた船客へ尋ねた。
「何の用だい?」
「いつになったら下船できるのかって、質問です」
「ふ~む、良い質問だが、それはこっちも分からないんだ」
船員は荷物に腰かけるとパイプに煙草の葉を詰めて一服した。
「港湾事務所の方から、許可が下りないんだ」
船員のゴツゴツした顔立ちを見ながら「自分より年上に思えるけど、この男の年齢は幾つなのだろう? 若いってことはないよな」とぼんやり考えていたロジェイスト・フォルチュナハアトは、続く言葉を聞き逃した。慌てて聞き直す。
「え、何ですって?」
「んだからよ、危険が去ったことを確認するまで、乗員も乗客も陸へは上がれないんだとさ」
そう言って船員は首を振った。
「攘夷を唱える侍には、困ったもんだねえ」
攘夷って、なに? とロジェイスト・フォルチュナハアトは疑問に思った。船員に訊ねようかと思ったが、向こうから説明してくれるかもしれないので、それを待った。
船員はロジェイスト・フォルチュナハアトに訊ねた。
「あんたら、武器は持っているかい?」
そんな物騒な物を自分は持っていない、とロジェイスト・フォルチュナハアトは答えた。ただし、彼の主人であるポメラ・リー・アンダーソンは幾つかの武器を隠し持っている。そのことを伝えると、船員は頷いた。
「そうだな、ポメラ・リー・アンダーソンともなれば、武器の一つや二つ、すぐに出せるようになっているんだろうな」
そして船員は深々とパイプの煙草を吸った。
「伝説の女騎士団長、ポメラ・リー・アンダーソン様だからなあ」
正確には、元女騎士団長です。ロジェイスト・フォルチュナハアトは、そう言いたかったが、告げるタイミングを逸した。
「それでは、いつ下船できるのか、分からないのですね」
そう質問すると船員は二度三度と頷いた。
「ああ。外国人の殺傷しようとする攘夷派の武士が港の近辺にいないと分かったら、通達が来ることになっている。それまで待つしかないよ」
連絡が来たら教えてくれるよう船員にお願いし、ロジェイスト・フォルチュナハアトは、その場を離れた。彼の女主人ポメラ・リー・アンダーソンは、すぐ近くに立っていた。両肘を手すりにおき、遠く水平線を眺めている。とても美しかった。その横顔は人の心を和ませる、とロジェイスト・フォルチュナハアトは認めざるを得ない。そう、喋らなければ彼女は、ただの美人なのだ。
ポメラ・リー・アンダーソンは下僕のロジェイスト・フォルチュナハアトに顔を向けた。その眼光がギラリと光る。
「どうなったんだい?」
船員から聞いた話を伝えるとポメラ・リー・アンダーソンは海へ唾を吐き捨てた。
「外国人排斥を企む攘夷の武士なんてものは、わたしの剣の錆にしてやる」
剣の達人であるポメラ・リー・アンダーソンなら、それも可能だろう。だが、何の武器も持っていない自分は攘夷派武士の刀の錆になりかねないと、ロジェイスト・フォルチュナハアトは考える。襲われて死ぬ危険がある土地に上陸するのは御免だ……が、不機嫌な元女騎士団長の近くにいるのも、負けず劣らず恐ろしい。
「お部屋にお戻りになられてはいかがでしょう? 下船許可が出ましたら連絡が参りますので、直ちにご報告いたします」
ポメラ・リー・アンダーソンは腰に下げた剣の柄を握って言った。
「分かった。すぐに知らせろ」
船内に入りかけたポメラ・リー・アンダーソンは扉の手前で足を止めてロジェイスト・フォルチュナハアトに言った。
「お前の探している五稜郭ロマン城だがな、東の方に見えるぞ。反対側の甲板へ行け」
ポメラ・リー・アンダーソンが船内に消えるとロジェイスト・フォルチュナハアトは反対の舷側へ急いだ。そこから海を隔てて見えたのは瑠璃色の尖塔、陽光を浴びて赤く輝く丸いドーム、プリズムを通しているかのように歪んで見える白亜の城壁……五稜郭ロマン城だった。
遥かなる太古の時代に、武士道が滅んだ地に、再建された武士道の聖地、五稜郭ロマン城を遂に自分の目で見て、ロジェイスト・フォルチュナハアトは感涙にむせんだ。そして新・武士道の真の道を貫こうと決意を新たにするのだった。
警備の者たちによって攘夷派の武士たちが潜んでいないことが確認され、自由貿易船ヴェンスキー・カッタートロカ号の乗員と乗客に下船許可が出されたのは、既に夕闇が近づきつつある時刻だった。ポメラ・リー・アンダーソンとロジェイスト・フォルチュナハアトは路面電車に乗り函館ハリストス市街へ入った。朝から何も食べていない二人は空腹だったけれど、ポメラ・リー・アンダーソンは目的地へ急いだ。
街は人通りが多く、活気にあふれていた。美味そうな食べ物屋がいっぱいあり、立ち寄ってみたくなる。だが、ポメラ・リー・アンダーソンが命じない限り、それは許されない。彼女の下僕ロジェイスト・フォルチュナハアトは新・武士道の求道者である。主人の言いつけを守ることが、その真の道の一つなのだ。
函館ハリストス市の観光名所の一つである朝の定期市広場から少し離れたところにある、とある街角で路面電車から降りたポメラ・リー・アンダーソンとロジェイスト・フォルチュナハアトは、そこに停まった色鮮やかに彩られた荷馬車へ近づいた。荷台の両側にある木製の板が畳まれている。そこから荷台の上の銀色の光沢のある機械が見えた。その横にミルクのように白く、しかし隣に置かれた古代のランプの当たり具合で黒くも見える不思議な仮面を頭部に付けた八本脚の生物が座っている。その頭は人より数倍大きい。体は人より小さい。第十二大陸から人間の土地へ稼ぎに来たアリュギミ魔性族だ。
人の言葉を話せないがテレパシーで翻訳機械を動かせるアリュギミ魔性族との会話は、それほどの苦労が要らない。ただし、場合によっては、そうとは限らない。今回も、そうだった。
「人を探している、とな」
アリュギミ魔性族の思念を受信した銀色の光沢のある機械は反響板を震わせ人間の音声にして発した。
「その通りだ、わたしは人を探している」
そう答えてからポメラ・リー・アンダーソンは付け加えた。
「わたしが求めているのは、優れた剣士だ。人並み以上というだけでは不十分。人間以上の力量を持つ、化け物が欲しい。本当に桁違いの武芸者が必要なのだ。それも複数。できる限り数が多い方が良い」
白くも黒くも見える仮面に開いた二つの穴の奥でアリュギミ魔性族の眼らしきものがキラッキラッと輝いた。銀色の光沢のある機械の反響板から音声が流れる。
「それは無理な願いだ」
否定の言葉を聞きポメラ・リー・アンダーソンは顔色を変えた。
「ざけんな。わたしがここまで来たのは、お前ならば、わたしの希望求人にマッチする人材を見つけてくれると信じたからだ。それなのに、無理って言うのか? 人を舐めるのもいいかげんにしとけドアホ!」
ポメラ・リー・アンダーソンの後ろに控えるロジェイスト・フォルチュナハアトは、ひやひやしていた。主の短気は承知しているけれど、相手が悪い。第十二大陸と呼ばれる地球の何処にあるのか誰も知らない土地から出稼ぎにきたアリュギミ魔性族は、その名が示す通り、魔性の生き物である。そんなのに喧嘩を売って、どうするつもりなのか? まして、ここへ来たのは喧嘩のためではない。凄まじい戦闘力を持つ戦士を大量に募集するためだ。アリュギミ魔性族の謎のネットワークを利用し、優秀な人材を集めようとしたから、函館ハリストス市まで来たのであって、それなのに肝心のアリュギミ魔性族の者と揉めてしまっては何の意味もない。
どうするのだろうとハラハラするロジェイスト・フォルチュナハアトの前に立つポメラ・リー・アンダーソンは、荷馬車の荷台に鎮座する仮面の生物に言った。
「わたしがこの街へ来たのは、そんな返事を聞くためじゃない。私の手下になる凄腕が欲しくて来たの。報酬は言い値で結構。さっさと仕事をして」
相手が断るとは思ってもいないような口調である。ポメラ・リー・アンダーソンのその予測は、半分くらい当たっていた。
「その願いをかなえるには犠牲が要る」
反響板の音声を聞いて、ポメラ・リー・アンダーソンは自分の後ろに立つロジェイスト・フォルチュナハアトを振り返らず左の親指で示した。
「一人なら、すぐに捧げられるわ」
自分が生贄の子羊役になるかもしれぬと気付きロジェイスト・フォルチュナハアトは今朝に続いて震え上がった。こんなことで怯えてはならぬと新・武士道に誓って心を落ち着かせようとするのだが、どうもうまくいかない。
新旧どちらの武士道も主君に忠誠を尽くすことを求めているが自分が犠牲になってまで、となると逡巡する気持ちが湧いてくるものなのだろう。まして、状況が状況だ。ロジェイスト・フォルチュナハアトは俯き気味にしていた顔を、ほんの少しだけ挙げてみた。正体不明のアリュギミ魔性族が仮面の下から自分に視線を送っているのを感じ、彼は恐ろしさのあまり膝の力が抜けてくるのを自覚した。
新・武士道を体現しようとしている時代錯誤なロジェイスト・フォルチュナハアトでさえ恐怖するのかと、意外に思われる方がいるかもしれない。
確かに新・武士道は恐怖の克服を可能にするけれども、小者であるロジェイスト・フォルチュナハアトのレベルでは、そこまで到達していないのだ。従って、忠義を尽くすはずの主人ポメラ・リー・アンダーソンを置き捨てて、逃げたくなってしまうのである。
いかん、いかんいかん! そんなのでは駄目だ! そんな有様では、立派な武士になれんぞ! とロジェイスト・フォルチュナハアトは心の中で己を叱咤した。立派な武士になること、それが彼の夢であり、願いなのだ。そのためならば、どんな困難にでも耐えよう――ただし、生贄になるのは別として。
そんな風な思考が頭の中でグルグル渦巻いているロジェイスト・フォルチュナハアトを観察していたアリュギミ魔性族のテレパシーをキャッチして、銀色の光沢のある機械の反響板から音声が発せられた。
「犠牲は、その者ではない」
俯いたままロジェイスト・フォルチュナハアト、心の中でガッツポーズ。
一方、ポメラ・リー・アンダーソンは不満そうである。
「何が足りないってえの? こいつだけで物足りないのなら、他にも用意するけど」
反響板から声が出てくる。
「ポメラ・リー・アンダーソンよ、お前はどうして最強の剣客たちを集めようとしているのだ?」
問われたポメラ・リー・アンダーソンは答える代わりに質問を返した。
「何でも知っているアリュギミ魔性族が質問を聞いてくるなんて、おかしいんじゃない? そんなだから、こっちの要求に応えられないのよ」
アリュギミ魔性族は嫌味に対する耐性があるのかないのか、強度な煽り耐性を持ち合わせているのか、それらについては学界でも意見が別れており、それは恐らく人間なら誰にも答えられない疑問だったが、今回もそんなリアクションが戻ってきた。
「言いたくないのなら、代わりに答えよう」
アリュギミ魔性族のテレパシーに反応して反響版が揺れた。
「復讐のためだ。騎士団長だった自分を追放した黄金の夜明けカモノハシ竜の騎士団に報復するためだ」
その言葉を聞いてもポメラ・リー・アンダーソンは動じない。代わりに従者のロジェイスト・フォルチュナハアトが動じた。ご主人様が騎士団長の地位を剥奪されたばかりか、騎士団を追放されたことが知られている! それは衝撃的な事実だった。その情報を黄金の夜明けカモノハシ竜の騎士団は、まだ外部に流していない。それなのに、アリュギミ魔性族は知っていた。種族全体で情報を共有するネットワークがあると噂される所以である。
ポメラ・リー・アンダーソンは顔色一つ変えずに言った。
「わたしの要求に応じるの? そうでないの? さっさと決めて」
銀色の光沢のある機械の反響板を介してアリュギミ魔性族は答えた。
「それは、お前が今これから起きる災難を潜り抜けてから答えても遅くないだろう」
アリュギミ魔性族と銀色の光沢のある機械を荷台に乗せた色鮮やかに彩られた荷馬車が、ふっと消えた。それと同時に、ロジェイスト・フォルチュナハアトの背後に大勢の人の気配が現れた。彼は振り返った。知った顔が何人も並んでいる。黄金の夜明けカモノハシ竜の騎士団に所属する騎士たちだった。
騎士団への入団試験に美的審査があるくらいなので、優美な顔かたちの者ばかりだった。そして皆、煌びやかな衣装を身にまとっている。その中のリーダー格が言った。
「黄金の夜明けカモノハシ竜の騎士団を代表して参上した。元騎士団長ポメラ・リー・アンダーソン、お前を逮捕する。神妙にしろ」
振り返ったポメラ・リー・アンダーソンは自分を逮捕しようとする騎士団員たちを一瞥した。
「追放したと思ったら、今度は逮捕? それなら最初から逮捕しておけば良かったんじゃないの? こんな面倒な手間を掛けなくて済んだのに」
言われるまでもなく、その通りだった。しかし、そのことに触れるのも癪なので、追っ手のリーダーはポメラ・リー・アンダーソンが振った話には触れず、別の話題を提供した。
「大人しく逮捕されないのなら、暴力を使っても良いと言われている。力加減を誤って元騎士団長が死んだとしても、それはそれで構わないと現騎士団長様は仰せになった」
騎士団員たちは一斉に剣を抜いた。それを見てポメラ・リー・アンダーソンは無腰のロジェイスト・フォルチュナハアトへ下がるよう命じた。従者が自分の背後に付くと、彼女も剣を引き抜いた。ニヤリと笑う。呟く。
「全員、死ね」
追っ手の騎士団員たちがポメラ・リー・アンダーソンに斬りかかったが、瞬時に返り討ちに遭った。自分の主人の剣の腕の凄まじさをよく知っているロジェイスト・フォルチュナハアトだが、今夜の剣捌きはいつにもまして鮮やかだった。黄金の夜明けカモノハシ竜の騎士団員たちは、あっという間に斬り殺されてしまった。
剣を鞘に戻したポメラ・リー・アンダーソンは言った。
「ふん、情けない。こんな連中が黄金の夜明けカモノハシ竜の騎士団員だとは、世も末だ。見てくればかりで選んでいるから、こんな能無ししかいないのだ」
かつての部下の技量の低さを、しばらくの間ポメラ・リー・アンダーソンは罵っていた。それならば自分で稽古をつけてやれば良かったのに、とロジェイスト・フォルチュナハアトは思った。まあ、仮にそうしていたら、こんなことにはならなかったかもしれないが、とも思う。もしかすると、ご主人様が自分に剣技を教えてくれないのは、裏切りを警戒しているせいかもしれない、とも考える。この殺傷能力を見て裏切ろうと決意する人間がいるとしてだが。
かつての知り合いたちの屍に別れの言葉を心の中でロジェイスト・フォルチュナハアトが呟いていた最中に、周囲の様子を窺っていたポメラ・リー・アンダーソンが叫んだ。
「そこにいるのは誰だ? 隠れてないで出てこい!」
すると暗がりの中から、一人の侍が現れた。
その武士はポメラ・リー・アンダーソンを見て言った。
「あなたは恐るべき剣士ですね。外国人とは思えない」
その侍は滑らかな外国語を話した。ポメラ・リー・アンダーソンは、お返しとばかりに侍の国の言葉で答えた。
「お褒め頂き、恐縮だ。さて、わたしに、どのようなご用件なのか?」
侍はポメラ・リー・アンダーソンとロジェイスト・フォルチュナハアトを交互に見て言った。
「この神国を汚す外国人を斬り殺そうと付け狙っていたのです。そうしましたら、驚くべき剣技をお見せいただきまして。それで、どうしてもお話をしてみたくなったのです」
外国人排斥を唱える攘夷派の武士というのが、この侍なのだろうと、ロジェイスト・フォルチュナハアトは思った。一難去ってまた一難である。
攘夷を実行しようとする侍の腰の刀に目を配りつつ、ポメラ・リー・アンダーソンが言った。
「話はした。それで気が済んだのなら、さようならをしたいのだが」
侍は片手を軽く上げ、ポメラ・リー・アンダーソンを引き留めた。
「お待ち下され。私は、あなたほどの凄い剣客に巡り逢ったことがない。どうかお名前を教えて下さいませんでしょうか?」
褒められたから気分を良くするようなタイプではないポメラ・リー・アンダーソンは、侍の刀の届く範囲から離れた場所に立って答えた。
「黄金の夜明けカモノハシ竜の騎士団、元騎士団長、ポメラ・リー・アンダーソン」
侍は、ポメラ・リー・アンダーソンの言葉を何回か口の中で唱えてから、こう言った。
「むう、面白い。外国には、これほどの腕前の戦士がいたとは、本当に驚いた。これならば、攘夷などしない方が楽しめるかもしれない」
そう言い残して侍が去った後で、消えていた色鮮やかな荷馬車が出現した。その荷台に座る仮面の生き物へ、ポメラ・リー・アンダーソンが鋭い視線を浴びせる。
「今まで隠れていて、争いごとが収まったら出てくるのか」
銀色の光沢のある機械の反響板が答える。
「剛腕の女騎士団長様がふるう剣に間違って斬られたらたまったものではないので、別次元に一時避難していたのだ」
その言葉に続いて、何やら意味の分からない異種族の言語が囁かれる。その後で再び人が理解できる言葉が発せられた。
「おお、失敬! 死んだ騎士団員の男たちの姿形に魅了されて、つい興奮してしまった」
ロジェイスト・フォルチュナハアトは後から知ったことだが、アリュギミ魔性族には美しい男性への興味が抑えきれないという性癖があり、そういった男性を生贄にしてもらうことで満足し、そのお礼として様々なサービスを提供するものらしかった。
ポメラ・リー・アンダーソンは、その事実を知っているようだった。
「お前に用意する生贄は、これぐらいで十分だろう。さあ、わたしが求める剣士を出せ」
「出せと言って出せるものではない。教えるだけだ」
「分かったから早くしろ」
アリュギミ魔性族は書類を取り出した。
「今の時点で分かっているのは、こんなところだ。もっと情報が入ったら追加する」
八本足の生き物の手らしきものから書類を受け取ったポメラ・リー・アンダーソンは、それをじっと眺めた。
・顔を隠し、誰も素性を知らぬ流浪の剣客。その正体は、侍として生きようとする女だった――。
・幕末の志士が現代にタイムスリップ!現代社会の中、己の武士道を貫こうとするけれど……?
・剣豪の霊に憑りつかれた剣道少年が、霊の力で全国大会制覇を目指すことに!?
「三つしかないぞ。三人だけか? これでは全然だ、まったく足りない!」
追っ手の騎士団員を多数殺傷して生贄に捧げた割に少ない、とポメラ・リー・アンダーソンは不満なご様子である。
銀色の光沢のある機械の反響板を通してアリュギミ魔性族は言った。
「だから、今の時点での情報だと伝えただろう。追加の情報が入ったら教える」
ポメラ・リー・アンダーソンは納得しなかった。
「こいつらは、どこにいる? 追加の情報というなら、まずこの者たちの位置情報を教えろ」
また何か意味の分からない異種族の言葉を呟いてからアリュギミ魔性族は言った。
「全員が、それぞれ別の空間にいるようだ」
「わたしは、その別の空間とやらへ、どうやって行けばいいのだ?」
「アリュギミ魔性族の侍階級に秘伝として継承される空間転移の術を使えるようにしてやろう。サービスだからな」
アリュギミ魔性族はポメラ・リー・アンダーソンとロジェイスト・フォルチュナハアトに異種族の呪文を教えた。
「これでいい。この呪文を詠唱すれば、その三つの場所へ行ける」
ポメラ・リー・アンダーソンは別の空間へ移動する前にアリュギミ魔性族へ尋ねた。
「わたしへの連絡は、どうやって伝えられるのだ?」
アリュギミ魔性族が答える。
「さっき渡した書類に最新の情報がアップデートされるから、時々チェックしたらいい」
ポメラ・リー・アンダーソンは頷いた。
「分かった。それでは出発するとしよう」
それからポメラ・リー・アンダーソンは、下僕のロジェイスト・フォルチュナハアトに命じた。
「最初の空間へ移動するぞ。後れを取るな」
アリュギミ魔性族から伝授された呪文をポメラ・リー・アンダーソンが詠唱する。ロジェイスト・フォルチュナハアトも、それに続いた。
やがてポメラ・リー・アンダーソンの姿がふっと消えた。ロジェイスト・フォルチュナハアトの姿も、それに続いて消える。
後に残るのは多数の死骸と、色鮮やかな荷馬車そして、その荷台に乗った八本足の生き物アリュギミ魔性族だけだった。
・顔を隠し、誰も素性を知らぬ流浪の剣客。その正体は、侍として生きようとする女だった――。
美しい素顔を白い覆面で隠し、誰にも素性を知られぬようにしている流浪の剣客の正体が、侍として生きようとする娘であることにトリームスメイジュ・ロッホーデンが気付いたのは、必ずしも偶然ではない。彼女自身、自分の正体を隠して生きているからだ。ほんのわずかな星明りでも反応し、ぴかぴか光る黄金色の胴体と、真っ黒で極めて繊細な柔毛を持つ触角、鉛色の鋏は鋭く尖り、獲物を突き刺しても挟んでも絶対に逃がさない優れもの、しかし! それは仮の姿。本当の彼女は、そんな異形の怪物ではなく、普通の少女なのである。遠い先祖の忌まわしき振る舞いのせいで、子孫の彼女は怪物に変身する体質になってしまったのだ。
そして今、白覆面で素顔を隠した流浪の剣客と、ぴかぴか光る黄金色の胴体に触角そして鋭く尖った鋏を持つ怪物に変身した少女トリームスメイジュ・ロッホーデンは、滝つぼの近くの川原で死闘を繰り広げていた。流浪の剣客が、付近の住人たちから怪物退治を依頼されたのだ。
大きな岩や石が転がる川原は人間には戦いづらい場所だった。しかし流浪の剣客は、それを苦にせず剣を振るっていた。ただし、硬い殻に覆われたトリームスメイジュ・ロッホーデンの体にダメージは与えられていない。
トリームスメイジュ・ロッホーデンの方は、流浪の剣客に対し積極的な攻撃を仕掛けていなかった。身を守るために鋏を使っているだけである。相手に恨みはないのだ。ちなみに、付近の住人へも危害を加えたことはない。彼女は見た目は怖いけれど、凶暴な性質ではないのだ。だが、恐ろしすぎる外見のため、迫害を受けているのである。
流浪の剣客とトリームスメイジュ・ロッホーデンの戦いは長引いている。剣客の剣と、怪物の鋏が、ほぼ互角なのだ。ただし、お互いの戦意は比べ物にならない。女剣客は殺意に満ち満ちていたが、怪物少女の方は戦う気がまったくないのである。
河原の枯れススキに隠れ、その戦いを見守っていたポメラ・リー・アンダーソンは、背後で侍る従者のロジェイスト・フォルチュナハアトに言った。
「この勝負、まだ決着が付かないみたい。先に別のところへ行きましょう」
ここへ来た時と同じように、二人はアリュギミ魔性族から教わった転移の呪文を詠唱した。その姿が消える。後に残るのは白い覆面の女剣客と、怪物に変身している少女だけだった。
・幕末の志士が現代にタイムスリップ!現代社会の中、己の武士道を貫こうとするけれど……?
客の青年が言った。
「ちょい待てよオマエ、すいませんの一言もねーのかよ」
金髪の頭でサンダルを履いた青年は、私の顔を覗き込んでイチャモンを続けた。
「オマエさ、自分が何をしてっか、わかってんの? こっちはよ、客だよ、客。金を払ってんのよ。お客様なのよ、神様なのよ。そこんとこ、お判り?」
私は頷いた。
「はい、存じ上げております」
青年はせせら笑った。
「はい、存じ上げております。はい、存じ上げております。はい、存じ上げておりますって、それ、口先だけ。まったく、口先だけ。うわべなのよ、結局。誠意を感じられないってやつ。そんなのがよ、客商売。笑わせんなっての!」
私は謝った。
「どうもすみません」
それでも青年は私を許してくれない。
「ちょおい、ちょいちょい、ちょおおおいい! そんな謝り方、ある? あるっつの、ないって? あるっつの、だから、そんなの、ないってから。いや、これ、マジでやばいって。んなの、変よ。マジやばい、やばい、やばすぎ」
さっきよりも深く頭を下げて謝罪する。
「本当に申し訳ございません」
またもダメ出しだ。
「それちゃう、ちゃうの、ちゃうのんよ。もっと誠意を出さないと。判る? 俺の言ってること、本当に判ってる? ホラ、あれよ、あれ。あのタレントの、あいつ、やべ、名前が出て来ないけどさ、あいつみたいに誠意を見せないとダメだっちゅうの。ほら、あの、誠意大将軍の人」
私は某タレントの名前を出した。
当たりだったようだ。
「そ、そう、それよ! 誠意、誠意、誠意大将軍よ。知ってる? 誠意大将軍」
私は深く頷いた。知っているも何も、征夷大将軍は私の主君だった。そう、かつて私は徳川将軍家にお仕えする武士だったのだ。
青年からの説教は続く。
「つまり今の時代はよ、お客様が将軍なのよ。客はね、神様、将軍様なのよ」
幕府から禄を貰って生きる御家人の家に生まれた私が生きたのは、いわゆる幕末……当時は、幕府が終焉を迎えるなんて想像すらできなかったので、当然、幕末なんて言い方をしなかったけれど、何かが終わり、何か新しい時代が来るということは、予想していたように思う。けれども、繰り返しになるが、それは徳川幕府主体の政権が続く政体だと私は考えていた。ただし、元の形態ではないが。それが、どうして、こうなったのか? 将軍様は、どこへ行ってしまわれたのか? 現代社会にタイムスリップした私が最初に探し求めたのは主君である徳川将軍家だった。今はもう、幕藩体制など崩壊していると知ってもなお、探した。無意味なことだった。
そんなことを考えていた私に青年が言う。
「客商売をやっているのなら、そこら辺を判ってないと、だめよだめだめ、だめなのよ。いいこと、いいね?」
青年の恋人らしい娘が言った。
「ちょっと、いつまでやってんの。釣り銭を出すのが遅いくらいで説教してんじゃないって! 早く降りてよ」
娘に横腹を突かれた青年は這う這うの体でタクシーを降りた。車からの降り際に、その娘は私に言った。
「あんたも、もういい年してんだから、ちゃんと仕事しなさいよ」
現代社会にタイムスリップしてみれば、何もかもが変わったことに気付かされる毎日だ。もう剣の腕前は仕官の道と関わり合いがない。タクシーの運転手に剣は必要ないわけで、必要なのは車の二種免許だ。それでも、私は侍であることを止めたくない。己の武士道を貫いて生きたいのだ。
己の武士道とは何ぞや? そう言われてみると実は、私にも答えられない。だが、それは、私にとって、最も重要なものだ。この現代社会で、それを極めたいのだ。だから私は、青年と娘がタクシーから降りた後に乗ってきた男女二人組、ポメラ・リー・アンダーソンと、その下僕のロジェイスト・フォルチュナハアトから「異世界で剣客をやらないか?」と誘われたとき、すぐさま断った。それは、この世界から逃げることではないかと思ったからだ。私は、ここで勝負したい。何処へも逃げず、ここで一個の武士として、己の武士道を貫きたいのだ。だから、異世界へは行けない。そう答えるとポメラ・リー・アンダーソンは「また来る。気が変わったら、その時はお願いね」と言ってタクシーを降りた。彼女の従者のロジェイスト・フォルチュナハアトは、現金払いでもカード払いでもなく、金貨を一枚、私に手渡して車を降りた。
・剣豪の霊に憑りつかれた剣道少年が、霊の力で全国大会制覇を目指すことに!?
剣道の全国大会会場へ現れたポメラ・リー・アンダーソンは言った。
「これってさ、どこかで見たような設定だと思うんだけど」
ロジェイスト・フォルチュナハアトは女主人に同意した。
「確か、囲碁の話で、こういったものがございました」
ポメラ・リー・アンダーソンは少々、考え込んだ。
「別に、それが悪いってことはないんだけど、何となく、やりにくい感じはあるわね」
そして付け加えた。
「全国大会には、同じように剣豪の霊に憑りつかれた剣道少年が、わんさかいる可能性も、なくはないかも」
その顔がパッと明るくなった。
「ちょっと、調べて来て」
調べろと言われても、剣豪の霊に憑りつかれた剣道少年と出場者紹介のページに書かれているわけでもないので、ロジェイスト・フォルチュナハアトは大いに困った。
「申し訳ございません。調べましたが、調べきれませんでした」
役立たずの小者に激怒し、ポメラ・リー・アンダーソンの顔が怒りで朱に染まった、そのときである。アリュギミ魔性族から貰った書類に、何事かが書かれた文章が浮かび上がった。それに気が付いたのはロジェイスト・フォルチュナハアトだった。彼は言った。
「書類に、何か出てきました! アップデートされた情報ですよ、きっと!」
☆彡
砂の惑星ネヂューンの冬は、訪問前に人々から脅されていたよりは、遥かに過ごしやすい気候だった。もっともそれは、隣人の美しい奥方のおかげかもしれない。彼女がいてくれたおかげで、私の心はいつも温かあった。
だが、隣人そのものは、私の心を温めてくれなかった。むしろ、冷え冷えとした気持ちにさせてくれる存在だった。
異世界から転移してきたという男で、以前は武士だったらしい。しかし今は、意味不明な詩を作る変人でしかない。そう、変人だ。私は彼を、絶対に詩人と呼ぶつもりはないのだ。
彼は自作の詩を翼竜ケツアルカトル・モンクレイデスが食べる餌の紙テープに綴る。惑星ネヂューン自治政府によって保護されている貴重な古代の生物は、この紙テープが大の好物で、それが空を飛んでいると飛びつく。紙テープは栄養豊富なのだそうで、ケツアルカトル・モンクレイデスが満足なのは分かるけれども、それに詩を書く人間の気持ちは分からない。
もっとも、翼竜が食べるのなら、それでいい。食べ残したテープが、私の敷地に飛んで来るのが迷惑で嫌なのだ。バラバラに千切れた紙が砂の上に落ち、恒星アフロディーテ二三五四の黄色い光に分解されて、溶けていくまでが気になって気になって、もう仕方がない。バルコニーの手すりに絡みついたりすると、最悪だ。特殊な染料で染められているそうで、様々な色合いに変化し、それが翼竜ケツアルカトル・モンクレイデスの食欲を増進させるらしいのだが、手すりに変なシミが付いてしまうから厄介だ。隣人は、人家が近くにある場所で紙テープを空に放り投げるのではなく、人里離れた山の中や荒野で好きなだけ紙テープ投げをすればいいのだ。少なくとも、風向きによって砂丘を越えて隣の家である私の屋敷まで紙テープの残骸が届かないような、何らかの工夫をしてもらいたい。そんな趣旨の内容を綴った手紙を持って、隣人の家の呼び鈴を押したと思ってくれ。そうしたら、彼女が出てきたんだ。そう、隣人の奥様だ。
彼女のことを見かけたことは、それまでに何度かあった。やたらと大きな車に乗って、買い物かドライブに出かけるのを見たことがある。真っ赤なオープンカーを走らせる彼女は長い緑色の髪を、女神か男神の頭を飾る花で作った手作りの輪みたいな髪留めで抑えていた。しかし、かなりのスピードで走っていたものだから、髪留めは役に立っていなかったように見えた。家の周囲を飛び回る怒り狂ったコウモリの群れに水か何かを撒いているところも目撃した。その液体を掛けられたコウモリは砂の上に落ちて死んでいたから、毒物かもしれない。
そんな感じの、ちょっと危なそうな雰囲気の女が、私の呼び鈴に応えて玄関へ出てきた。おたくの旦那さんに関することで、ちょっと申し上げたいことが。挨拶と自己紹介の後で、そんなセリフを言って、抗議文入りの封筒を手渡す。彼女は封を切って中身を読んだ。砂漠の野バラが咲き誇るかの如く、彼女は笑った。
「笑ってごめんなさい。でも、すっかりおかしい話で、思わず笑ってしまって」
あんたのご主人の話でっせ、と私は内心、思った。
「ご主人がおられましたら、直接お話させてもらいたいんですが」
彼女は首を横に振った。
「申し訳ございません。夫はいま、ズータス近郊の芸術家村へ行っておりますの。週に何度か、行っておりまして」
ズータスというのは、この近くにある一番大きな町だ。その近くに芸術家が集まった村があるという話は聞いたことがある。しかし隣人が、そこへ出入りしていたとは知らなかった。
「それでは、ご主人にお伝えください。失礼いたします」
そう言って戻ろうとする私を、隣人の妻は呼び止めた。
「もうすぐ戻ると思いますので、中に上がってお待ちくださいな」
隣人に会って話をする必要があるとは考えていたので、私は奥様の言葉に従い、隣人宅へ入った。趣味の良い家だった。ぜんぜんというくらい片付いていない私の屋敷とは、ぜんぜん違う。だが、物が少なすぎて、何か寒々とした印象があったのは事実だ。
「これが、懸案事項の紙テープです」
彼女はそう言って、夫の作業場の机に置かれた紙テープの束を示した。
「夫は、紙テープの材質にもこだわっておりますの。上空高くまで飛ぶよう、特製の紙で製作されたものを厳選して使用しているのです」
そのわりに、私の屋敷のバルコニーに落っこちているわけだが。
結局その日、私は自称詩人である問題の夫と会うことはなかった。いや、その後も会ったことはない。その分、彼の妻と何度も二人きりで会ったから、それでいい。いや、それがまずかったのか。
隣人の夫は、妻の浮気を疑った。相手が私だと、彼は認識していなかったと思う。実際、彼女の浮気相手は大勢いた。その相手の一人が、これまた異世界から転生してきたとかいう若者だった。転生する前は凄い武士だったそうで、きっと彼女は、そういうのに弱いんだと確信している。ちなみに、私はそうではないよ(笑い)。
それで、話の続きだ。隣人は、妻と浮気相手が、そう、例の凄い武士だ、そいつが二人きりでいる寝室へ入った。修羅場だ。そうすると、浮気相手の若者が言った。
「お互い、異世界では武士だった者だ。ここは決闘で決着だ」
そんな理屈が通じるわけがないと私は思うのだが、隣人の亭主は、その話に乗った。双方の同意に基づき、決闘が始まったのは、正午だ。真昼の決闘というやつやね。で、決着した。相手は死んだよ。自分で言っていたように、凄い武士だったようだけど隣人の方が、もっと凄かったってわけさ。
その裁判の頃には、私は砂の惑星ネヂューンを離れていた。でも、それほど離れていたってわけでもない。ネヂューン軌道上のスペースコロニーに引っ越したんだ。今の妻と結婚するためにね。
そんな話だけど、何かの参考になるかな。そうだったら良かったけど。
アリュギミ魔性族からのアップデート情報には、妻の浮気相手を斬殺した剣豪について記されていた。その残虐性を含め、興味のある人物だとポメラ・リー・アンダーソンは思った。その剣豪が収監されている拘置所を訪問することを最初に考えたが、手続きが煩雑だとわかり、彼女は面会を断念した。代わりに剣豪の妻から話を聞こうとして、拒否された。やむを得ず、剣豪とかかわりがあった人物についての情報をアリュギミ魔性族へ求めたところ、上記の話をする人間を紹介されたのだった。
殺人犯の剣豪が異能の持ち主であることは、ロジェイスト・フォルチュナハアトにも分かる。しかし、トラブルメーカーではないだろうか、と彼は疑っていた。もしも、それは正しいとすれば、扱いにくい人間なのは間違いないところだ。それはポメラ・リー・アンダーソンも同じように感じていたみたいで、この殺人剣豪詩人のスカウトは、いったん保留となった。
★彡
ポメラ・リー・アンダーソンとロジェイスト・フォルチュナハアトは砂の惑星ネヂューンを後にした。そして函館ハリストス市に戻る。何か情報がアップデートされていないかと書類を幾度もチェックするが、それらしいものは浮かび上がってこない。短気な女主人がヒステリーを起こしつつあることを察した下僕が、直接アリュギミ魔性族の荷馬車へ向かった。
あいにく、アリュギミ魔性族は別の相談者と話をしていて、こちらに構っていられなかった。その代わりに、荷馬車を引くサイボーグ馬のンニレイが対応してくれた。賢いサイボーグ馬で、主人が忙しいときは代わりに客の相手をしてくれるのだ。
依頼者が強い侍や剣客を求めていることを知っているので、ンニレイは、そういう者たちが集う酒場なり何なりに行ってみることを勧めた。
「そんなところへ行く奴、来る奴に、強い者なんかがいるわけないとお思いでしょうが、そんなことはございません。幾つかお店をご紹介しましょうか?」
前の相談が長引いていることもあり、ロジェイスト・フォルチュナハアトはンニレイから何店か店の名前を教えてもらった。
ポメラ・リー・アンダーソンは、函館ハリストス市郊外の広大な森林地帯に隠されているかのようなシャトーに宿泊していた。そこの主は、攘夷の反対である開国派で、有名な黄金の夜明けカモノハシ竜の騎士団の団長から海外の話を聞きたいと、彼女に宿泊するよう誘ったのである。ロジェイスト・フォルチュナハアトも別室を用意され、そこに泊まっていた。彼はシャトーへ戻ると、サイボーグ馬のンニレイから教わった幾つかの店名を主人に伝えた。
話を聞いたポメラ・リー・アンダーソンは、そこへ早速行くことにした。
二人は外国人であるよう攘夷派の人間に気付かれないよう、特殊メイクをして函館ハリストス市へ向かった。そして、目的の店に入った。そこは、引退した剣客が経営している居酒屋だった。二人が店に入ったとき、オーナーである元剣客は、客の男と昔話に興じていたところだった。
☆彡
元剣客(以下、剣と省略)「いらっしゃい、お好きな席にどうぞ」
客(以下、客と省略、そのまんまや)「どうぞどうぞ、何でも好きなもん召し上がって。ところでオーナー、この間の話なんだけど」
剣「何だっけ?」
客「ほら、昔の剣客たちの話。攘夷を唱える志士たちとかの話とかさ、それとか、昔の武士道の話」
剣「ああ、あれか」
客「面白かったからさ、また聞かせてよ」
剣「どんな話が面白かった?」
客「剣豪の女遊びの話が笑えた」
剣「それじゃ、それでいくか。もう死んだけど、●×って剣豪がいた。知っているかな?」
客「ええ、知っていますよ。五稜郭ロマン城の石垣を登って、手すりを乗り越えようとしたら、その手すりがバキッと折れて、下まで石垣を転がり落ちたって人ですよね」
剣「そうそう、酔っ払ってね。そいつの話なんだけど、女に関して、なかなか常識を外したところで勝負するのが好きで」
客「常軌を逸したプレイですか?」
剣「チャウチャウ。女の子の好みやがな」
客「どんな子がお好きだったんでしょうか?」
剣「不細工な女の子の方が好き、大好きとのたまっていてな」
客「それは何か、マゾ的な要素で?」
剣「ちゃうちゃう、体は百点、でも顔は鬼みたいで、誰からも相手にされない女をターゲットにしている」
客「そこが剣豪●×の主戦場なのですか!」
剣「獲物やね」
客「何が彼をそうさせるのでしょう?」
剣「誰も相手にしないから体は未開発で反応が新鮮なんだ、と言っていた」
客「逆転の考え方ですね(笑い)」
剣「大逆転やろうね。でも、本当に好きなんだなあ、と思ったよ。人が見ている前でもやるもの」
客「恥ずかしげもなく(笑い)」
剣「そうそう(笑い)」
客「本当にお好きなんでしょうね」
剣「真冬に、外が零下三十度とかを記録したとき、窓を開けてやっていたとか言っていたな」
客「なんでまたそんなことを」
剣「相手が異種族だったんだけど、その女は興奮すると、体から異常に臭いガスが放出されるらしくて、部屋の中が臭くて我慢できなくなったんだって。それだったら、止めりゃいいのに、そういうわけにもいかなくて。窓を開けてやることをやって、さっさと閉めたけど部屋の窓側に雪が積もっていたって言ってたな」
客「そこまでせずとも」
剣「いや、やっぱり始めたからには最後までやり通すのが剣に生きる者の掟だと」
客「かっこいいこと言ってますけど、やっていることはそんなに偉くない(笑い)」
剣「まったくかっこよくない(笑い)」
客「●×さん以外の剣豪・剣客ですと、他にはどのような方がいらっしゃいますかねえ」
剣「大巨人と呼ばれた剣豪、△▼がいるなあ」
客「おお、僕、その人のサインを貰ったことあります」
剣「大巨人△▼は体重が250キロくらいはあって、その彼女が身長190センチくらいはあったのかな、それで、体重が130キロくらいで」
客「ビッグサイズですね」
剣「可愛い顔していたよ。だけど、二人の体重を合わせると三百キロを超えるんだな、これが」
客「車のタイヤが裂けそうですね」
剣「二人で乗ったらベッドの足が全部ボキって折れたって。急にズドンを落ちたから驚いたって言ってた」
客「そりゃ驚きますよ」
ポメラ・リー・アンダーソンとロジェイスト・フォルチュナハアトは、元剣客と客の話に耳を傾けながら、注文した料理を食べていた。キャヴィアで始めて、牛の骨髄入りのコンソメ、香辛料をじっくりきかせた子羊の足の焼肉といった料理を、主に食べているのは主人の方で、下僕はパンと水をいただいていた。身分の差は、やはりあるのだった。腹がいっぱいになった二人は店を出た。そこを攘夷派の武士数名に襲われた。暗闇の中から不意に現れたのだ。せっかくの特殊メイクだったが、やはりバレていたのだった。
ポメラ・リー・アンダーソンは驚いたり慌てたりする様子もなく剣を抜いた。下僕のロジェイスト・フォルチュナハアトは、その陰に隠れた。
剣をギラリと光らせてポメラ・リー・アンダーソンは言った。
「死にたい奴から掛かって来い。いざ、勝負!」
攘夷派の暗殺者たちはポメラ・リー・アンダーソンの構えを見て踏み込むのをためらった。一見して、彼女が恐るべき殺し屋であると理解したためである。あっさりと殺された黄金の夜明けカモノハシ竜の騎士団の団員たちとは違う、とロジェイスト・フォルチュナハアトは思った。これはもしかすると、ご主人様は苦戦するかもしれない……と不安になる。
一方のポメラ・リー・アンダーソンは、そんなことなど考えない。自分の剣技には絶対の自信を持っている。来ないのなら、こっちから行くぞ! とばかりに足を踏み出す。それを見て、攘夷派の志士たちは後ずさりした。
ポメラ・リー・アンダーソンがせせら笑う。
「そんなので攘夷が実行できるのか? 笑わせるな!」
意味の分からない外国の言葉で嘲笑されたのだが、不思議なことに意味が分かるようで、攘夷派の暗殺者たちは顔色を変えた。一斉に斬りかかろうとする。
「待った! その勝負、待った!」
見ると現れたのは先日ポメラ・リー・アンダーソンの腕を褒め称えた侍である。彼はまず、攘夷を唱える同国人の武士たちに言った。
「この外国人は恐るべき剣の遣い手だ。戦えば、お前たちの半分はたちどころに斬られる。残りも、すぐ後を追うことになるだろう。それでもやるか?」
攘夷派の暗殺者たちも、同じような予想だったようで、指摘を受けた後は目に見えて戦意が衰えた。
現れた武士は、続いてポメラ・リー・アンダーソンに言った。
「ここは拙者に免じて、どうかお許しを」
そう言って頭を下げる武士を見て、ポメラ・リー・アンダーソンは剣を鞘に戻した。
「かたじけない」
それを見て、攘夷派の暗殺者たちは姿を消した。彼らを目で追いながら、武士は言った。
「拙者も攘夷思想の信奉者なのですが、先日、貴殿にお会いしてから、その考えが変わって参りまして……いえ、急に開国派になったわけではございません。実は少々、考えたことがございましてな」
そう言ってから武士は語り始めた。
「世界は広いと聞いております。貴殿を見て、それは確かな事実に相違ないと確信しまして。驚くべき剣の技を持つ剣匠が世界にいるとしたら、それらの技を目にするまで死ぬわけにはいかない、と考えました。ええ、死ぬわけにいかないし、いつかは死ぬのなら。死ぬ前に世界に出て見聞を広めたいと考えまして」
どうやら、この武士はポメラ・リー・アンダーソンを見て、攘夷の思想に反する考えを持つに至ったようだった。彼は言った。
「拙者は、この国から出たことがございません。今までは、それで満足しておりましたが、世界の広さを知ると、満足できなくなりました。そこで、お願いです。どうか拙者を、連れて行っていただけないでしょうか?」
話を聞き終えたポメラ・リー・アンダーソンは黙り込んだまま何も言わない。ロジェイスト・フォルチュナハアトは、聞いて確認しておきたいことがあった。それは弟子入りなのか、と。もしもそうだとしたら、自分は一応、先輩だ。そうなると、この武士は弟弟子になる。先輩風を吹かしても、良いのだろうか? そこら辺を聞いておきたいのだ。
ロジェイスト・フォルチュナハアトが質問する前にポメラ・リー・アンダーソンが言った。
「聞いておく。それは弟子入りしたいということか?」
武士は首を横に振った。
「いえ、そうではありません。拙者は弟子入りでなく、貴殿に剣士として雇われたいのです」
アリュギミ魔性族から武士はポメラ・リー・アンダーソンについて教えてもらったのだという。凄腕の剣士を求めて、わざわざ函館ハリストス市にまでやってきたと聞いた武士は、自分はその要件に該当するだろうかと考えた。もしも凄腕に認定してもらえるなら、そのまま就職したいと思い、こうして話を持ち掛けたのだ。
武士の歩き方から腕前がかなりのものだと見ていたポメラ・リー・アンダーソンは、彼の申し出を受け入れた。
「報酬についての書類を作成したいが、今から初めて構わないかな?」
週に金貨七枚、三か月に一度の特別ボーナスが出るという話を聞いて、ロジェイスト・フォルチュナハアトは落ち込んだ。自分より新入りの武士の方が給料が良かったのだ。
「それは結構ですが、その前にお尋ねしたい。剣士を多数雇おうとお考えなのは、自らを追放した黄金の夜明けカモノハシ竜の騎士団への復讐のためだとアリュギミ魔性族は信じ込んでいましたが、それは事実なのですか? それとも何か別の目的があるのでしょうか?」
問われたポメラ・リー・アンダーソンは口唇を舐めてから言った。
「黄金の夜明けカモノハシ竜の騎士団への復讐で兵隊を集めているわけじゃない。わたしが凄腕の剣士を集めたいのは、別の目的があってのことなの」
武士は重ねて尋ねた。
「それでは、その目的とは、一体どういったものなのでしょうか?」
ポメラ・リー・アンダーソンはグスリと笑った。
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