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制裁の仮面 終
その後の体感時間が異様に早かったのを覚えている。充実していると、時間があっという間に過ぎてしまうものだからとうぜんだろう。
ちなみにだが、翌日ボクは彼女に自身がヒーローであることを打ち明けた。
よくある設定で、ヒロインを戦いに巻き込みたくないから正体は明かさないという設定が多いが、今回教えたのは彼女が大の特撮好きだからだ。
実際ボクの読みは当たってたみたいで、もちろん初めは疑っていた彼女も、仮面を付けて能力を披露したら簡単に信じてかつ大喜びしてくれた。
その時のやはりクシャッとした笑顔が可愛かった。彼女は正体がバレないようにジャスティスマスクからパク……刺激を受けたのか、ボク専用のヒーロースーツを作ってくれた。言葉にならないほど嬉しかった。
さらに彼女は、従来設置されている意見箱の他に、新しく依頼箱という物を置いてくれた。
依頼箱とは、制裁の仮面に暴力や仲間はずれなどの当人ではどうすることもできない物事を解決するために設置された、いわば生徒の救済措置だ。
前に里中たちに噂を流させたことが功を奏したのか、あっさりと依頼箱の知名度は校内中に広まり、それに付随して制裁の仮面の人気が爆発した。
特撮なんて幼稚という誤った認識が正されていく過程をみて、ボクは熱いものがこみ上げる思いだった。
このまま学校だけにとどまらず、いずれは街、国と制裁の仮面の存在をとどろかせて世界中の悪事を減らそうと思った。
だけど、そう現実は甘くなかった――
「日山君! 答えてよ! 本当に、本当にあなたが……」
「…………」
ここは学校の屋上、太陽が火事のように燃え上がりながら、はるか地平線の先に沈んでいくのがよく見える。
時刻は午後七時を回っていた。部活以外の生徒は、すでに晩ごはんでも食べている時間帯だろう。校舎内はときおり足音が遠くから聞こえる程度だ。
電線に止まっているカラスの鳴き声が、自分を糾弾する声に思えた。しかし怯んだつもりはない。ボクはいたって平静を装った柔和な笑顔で、
「日下部さん、まずは一旦落ち着いて話を聞いてほしいんだ。とりあえず生徒会室に戻ってコーヒーを――」
「話をそらさないで!!」
彼女の泣きそうな絶叫が耳をつんざく。薄暗くて目元が見えないが、大方の想像はついた。
底冷えするようなひんやりとした風と無限とも思える空の闇、彼女のかすかに荒い息遣いだけが、この場所を形成していた。意を決したかのように日下部さんが、
「ねぇ教えて。破壊の蜘蛛の正体は、日山君なの?」
――破壊の蜘蛛とは、正義の仮面ジャスティスマスクに出てくる怪人で、敵の組織の幹部に属している強者だ。
顔はパックのようにして蜘蛛の巣を貼り付けたようなデザインで、口からは獲物を捕食する鋭利な歯がのぞいている。
胴体は赤と黒を使った網目状になっており、全身が茶色い体毛で覆われている。そしてなにより原作に忠実で、目が八個もあるのだ。
蜘蛛らしく糸を吐き出して相手を拘束……することは少なく、シンプルに近接戦闘がメインのパワー系怪人だ。
話を戻すが、先ほど話した通りいずれは街、国と制裁の仮面の存在をとどろかせて世界中の悪事を減らそうと思った。
だがしかし、実際うまくいったのは最初の一ヶ月だけだった。理由はズバリ、減っていったからなのだ。
平和になったが、そのせいで依頼は日に日に減る一方だった。いつしか賑わっていた特撮ブームは、いつの間にか去っていた。
そして始めたのが――正義の救済措置だ。
方法は簡単だ。暗がりに出歩いている学校の生徒に対して、能力の一つである幻覚を発動し、破壊の蜘蛛に追いかけ回される映像を見せる。
逃げ道がなくなり絶体絶命のピンチ! とそのときようやくボク(制裁の仮面)登場!! からの退治! なんて流れほぼ毎日行っていた。
だが昨日、偶然夜中に出歩いてて標的にしようと近づいた人が運悪く彼女であり、翌日屋上に呼び出され今に至るわけだ。
「なんで、黙ってるの? それって今やっていることが後ろめたいから?」
「……後ろめたい、ことはない。ちゃんと、理由があるんだよ」
「どんな……?」
哀れみにも似た目つきで問いかける彼女。ボクは優しく諭すようにして説明した。
「テレビの中の特撮番組は、大体続いても一年くらいじゃん? それが終わったら、とうぜん次の新しい物語になる。だけど現実はそうともいかない。新しい物語なんてなくて、ボクという物語がずっと戦わないといけないんだ。もしそれがなくなったら、また里中たちみたいな人が陰で悪いことをし始めるかもしれない。それを防ぐためには、どうしても抑止力が必要なんだ」
少しの間を置いたあと、ぽつりぽつりと小さく彼女が、
「だから……破壊の蜘蛛という架空の存在を作って戦うフリをして、自分が今現在も活躍しているのをアピールしたかったの?」
御名答! と理解してくれた彼女が嬉しくて、ボクは大きく指パッチンをした。
「おかげで多少の人気はキープできているんだ。心配しなくても、いつかまた人気に――」
「冷静に考えてよ! 今まで見た特撮番組でマッチポンプをするヒーローなんていた!? いなかったでしょ! だいたい日山君が話してる自分という物語がいなくなったらって、そんなの全部杞憂でしかないじゃん! いい加減目を覚ましてよ!!」
突如として彼女が別の人格になったかのように大声で怒鳴る。ボクは困惑した。
目を覚まして? 彼女はさっきからなにを言っているのだろう。ボクはさっきからずっと覚めてるじゃないか。
「最近夜遊びをしていた生徒や部活帰りの生徒が立て続けに休んだり、しまいにはトラウマになって引きこもるのって全部日山君のマッチポンプのせいだよね!? 自分がやってることわかってる!?」
「もちろんわかってる。ボクは抑止力となっている傍ら、今後湧くであろう悪の種を潰してるんだよ。その際大勢の人を救うために、小さな犠牲がでることは仕方のないことだ」
「それじゃどこぞの悪い政治家と同じ考え方だよ! 犠牲にされた人の気持ち考えたことあるの!? たしかに全部救えっていうのは欲張りかもしれない。でも仕方のない犠牲だと割り切って考えてしまうことがどれほど恐ろしいことか――」
「別に死んでないからいいじゃないか。とにかくボクは続けるから」
きびすを返して屋上のドアに向かおうとしたその時、ドシドシと一歩一歩に怒りの感情が含まれたような足取りで彼女が近づいてきて、
「もうやめて。はじめて私を助けてくれたときみたいに、力はないかもしれないけどただ純粋にヒーローだったころの日山君が一番かっこよかったよ。今の日山君は、なんかおかしい」
最後の方は消え入りそうな声でよく聞こえなかった。それほどのことをボクはしたのだろうか?
おかしいのは彼女の方ではないか? だって一人助けるのと百人助けるの二択を迫られたら、とうぜん後者を選ぶだろう? 選ばない方がどうかしている。
自分の意見を言いたいところだが、これ以上は事態が収拾つかなくなりそうなので、ヒーローとしてぐっとこらえた。
「わ、わかったよ。引きこもりは今後出さないように能力でも使って対策していくから、それでいいよね?」
「だから! 今はまだ大丈夫かもしれないけど、いつか取り返しがつかなくなることがあるかもしれないじゃん。そうなる前に、ね? ね?」
彼女はグラグラと肩を揺らしてくる。ボクの主張が一切通らないことに怒りを持ち、少しばかり、
「一回離れて」
ポンッ と軽く肩を押しただけなのに、彼女の体はまるで羽のように軽く、そしてふわっと風に流されスローモーションで、ボクの視界の中で小さくなっていった。
後方に吹っ飛ばされたという事実に気づかず、彼女はあんぐりと口を開けている。飛ばされた方向は、屋上のフェンスの向こう側――その先は、
「日下部さ――」
「キャアアアアアアアアアアア――――――ッッッッッ!!!!!!」
ドサッ と小さくナニカが下に落ちる音が聞こえた直後、糸が切れるようにして彼女の叫び声がプツリと途切れた。空の闇が一層濃くなった気がした。
状況が理解できずしばらく呆然とする。誤って人を轢いてしまったみたいに、徐々に自分がやってしまったことを理解してきた。
「ゥあ……ああ、あ……ああ……」
ボクは一歩、また一歩と前を向きながら後ろに下がる。なんで人間の体で仮面の力が出てしまったんだ? なんで、なんで、なんで、なんで、なんで――
「――ッ!!」
それからのことはよく覚えていない。このときのボクの思考回路は、赤ちゃんになぐり書きされた画用紙みたいにごちゃごちゃになっていた。
ただおそらく人生で一番速い足取りで家路についたことと、仮面が怖くなり目に入ったゴミ捨て場に捨てたことだけを記憶していた。
いつの間にか布団に潜っていたボクは、せめて夢であってくれだなんて馬鹿なことを願いながら、日下部さんにした事実から目を背けるようにして眠りに落ちた――
キラキラと朝日が白い光を放っている。開けていた窓から入り込む天然のクーラーがとても心地よい。しかもどことなく自然の香りがする、リラックス効果だ。
チュチュ、チュチュチュと何処かからか鳥の鳴き声が聞こえる。なんて気持ちのいい朝なのだろう。まるで今この瞬間まで、ずっと夢を見ていたような……。
「今日も一日、がんば――」
大きく腕を上げ背伸びをし、今日を精一杯生きることを宣言しようとしたら、テーブルにあったのだ。あるはずのないもの――制裁の仮面が。
ワアッ! と悲鳴を上げてベッドの後ろに飛び退く。たしかに間違えなく、ゴミ捨て場に捨てたはずなのに。
それだけに驚いたわけではない。仮面は――まるで意思を持ったように、ふわふわとボクの目の前で宙に浮いて見せたのだ。そしてピタッと固定されたように静止した。
「…………なっ!」
そして仮面は、まるで食べ物が腐る過程を早送りで見るようにして、みるみるうちに変化していった。
顔はパックのようにして蜘蛛の巣を貼り付けたようなデザインで、口からは獲物を捕食する鋭利な歯がのぞいている。
あれ? これってまるで、破壊の――
「フガ――ッ!!」
突如として風を切り、はじめて仮面を付けたようにして制裁の仮面から変化したそれは、ボクの顔に張り付いてきたのだ。
すぐに外そうとしたが、まるで瞬間接着剤で付けたみたいに取れることはなかった。息が、できない。思わず床に倒れ込むと、追い打ちをかけるようにして、
「か、痒い!! 痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い…………!!」
体全体が指で掻いても掻いても掻いても掻いても掻いても掻いても、まるでそこから無限に蛆虫が湧いて出てくるようで一向に治まらない。
助けを呼ぼうにも、家族はすでに仕事に行ってしまって家にはボク一人だけなのを思い出した。
せめて今顔がどんな状態になっているのか知るために、ボクは這うようにしてドアのすぐ横においてある姿見で確認すると……
「な、なんじゃこりゃアアアアア――――――ッッッ!!!!!!」
簡潔に言おう。ボクの姿は――破壊の蜘蛛になっていたのだ。
顔は(以下省略)で、胴体は赤と黒を使った網目状になっており、全身が茶色い体毛で覆われている。そしてなにより原作に忠実で目が八個もあるのだ。
まるで蜘蛛じゃないか。さっきから視界がボヤケていた原因が、ようやく特定できた。
どうして!? ボクは悪を許さないヒーロー、制裁の仮面だぞ! 決して裁かれる立場の怪人だなんてそんなこと、許されるはずがない!
じっとしてられず部屋を出ようとドアノブを握ったところで――まるでスナック菓子のように粉々に砕けて四方に飛び散ってしまった。
痛ッ!! と叫んだ直後、ドアノブだった物は眼球に直撃……したはずなのだが、数秒後にはなにごともなかったように機能した。
体が……すでに怪人のような腕力と回復力になってしまっている。違う、違うんだ。こんな力……こんな力ボクは望んでいない!
忙しない足取りで階段を下り、事態を飲み込めないボクは独りごちる。
「どうして……どうしてこんなことに……」
「ングッ、ングッ、それはね君が……怪人破壊の蜘蛛だからだヨ。もぐもぐ、もぐもぐもぐ……」
ふとダイニングテーブルに視線を移すと、目玉焼きとベーコンを食パンに乗せて美味しそうに頬張るカルアの姿があった。
直感的にこの事態を引き起こした張本人だと思い、ボクは矢のようなスピードでカルアに接近しテーブルを叩いた。上に乗っていた皿も含めてただの残骸になる。
「なんでこの仮面は外れないんだ! それにこの体は! 説明しろ!! あとどうして家のご飯を食べてるんだ!?」
カルアはなにごともなかったかのように動じず、グラスに注がれた牛乳をすべて飲み干すと、
「簡単なことだヨ。君は約束を破って私欲で力を使った。だから破壊の蜘蛛になったんだ」
「私欲……? 馬鹿を言うな! ボクはずっと誰かのために力を使ってきた! 一度だってそんなことはしていない!!」
ボクが胸を張って言うと、ハァ〜とため息をつきながらめんどくさげにカルアは、
「そうかい? んじゃあ聞くけど……君は、どうして日下部呂愛を助けたんだい?」
!!!?!!!? カルアの言葉の意味が解らず思考が停止する。その言い方だと、まるで自分が彼女を助けたみたいじゃないか。
恐怖に満ちたかん高い絶叫が、好きな音楽を聴いたあとのように耳の中で反復されはじめた。たしかに、たしかに彼女は……
ボクはあの日の時間まで記憶を逆行させながら、おずおずとカルアに問いかけた。
「た、助けたってどうゆうことだよ。日下部さんは四階の屋上に頭から落ちたんだぞ! 助かってる、はずが……」
「家でぐっすり寝てるヨ。強いて言えば、左足に捻挫が残った程度かな」
「すぐバレる嘘を――」
「無意識に、仮面の能力を使っていたとしても?」
ビクッと沸騰しかけていた頭が、氷を入れられたように鎮静化されていく。能力を使っていた? ボクが!?
もしカルアの言っていることが本当だとしたら、ボクは彼女に回復をしたことになる。いや待て、だとしたら、
「まさか日下部さんを回復したことが私欲だとか言わないよな? その行為はヒーローとしてとうぜんのことをしただけだ! 悪いか!!」
「まぁ待ちなヨ。別に僕はそれについて怒ってるわけじゃない。僕が見過ごせないのはね、回復以外に君が……日下部呂愛に対してもう一つ能力を使ったからだヨ」
「もう一つの、能力……? それって」
「君のヒーローの力が暴走して日下部呂愛を突き飛ばしたあと、回復の他に君は――記憶消去を使っていた。覚えてないかい?」
「――ッ!!」
その瞬間、暗がりの中でずっと見えなかった記憶が、ランプにより煌々と照らされたような気がした。
昨日の夜、たしかにボクは落下したあとの彼女に近づいて回復を使った。
辺りはすでに真っ暗になっていたので、家まで彼女をおぶって飛んで帰ろうとしたその刹那――自分の中の悪魔がこう囁いた。
――記憶、消さないと嫌われるよ?
あれこれと考える暇はあったと思う。いくらでもやめるチャンスはあったのだ。第一その行為は、あまりにもヒーローらしからぬことだとはわかっていた。
――だが、わかっていたのは頭だけだった。気づいたときにはすでに、ボクは記憶消去を使ってしまっていた。後悔しても後の祭りだ。
消したことによりボクは罪と向き合わなかったのだ。認めないと、謝らないと。しかし口から出た言葉は、
「覚えて、ない……」
ガタガタと身を震わせながら、視線が頼りなく漂う。これじゃ自供してるのと同じじゃないか。カルアが変わらずニヒルな笑顔でボクの肩に手を回してきた。
「覚えてない? そんな言い訳が通用すると思っているのかい? どうあがいても、記憶消去を使った事実は消えないヨ。回復だけなら別によかったんだ。でもねぇー」
「それ、は……」
口の中が異常に渇く、ボクはぺたんと力なくカルアの前で尻餅をついた。
「わ、悪かった! 嘘ついて悪かったよ! もう私欲で力は使わないから。だから一度だけ、一度だけ見逃してくれ!!」
「…………」
「頼む!!!!」
「…………」
「頼――」
言葉を続けようとしたその時、カルアはイケメンが恋人にする仕草のように顎をクイッと持ち上げて、頭をもたげさせた。そして顔を近づけ、
「話しは変わるけど六角君。僕ってね、今でもすごく特撮が大好きなんだヨ。特にスパム戦隊が」
「な、なにを言って……」
ボクと同じ目線まで腰を下ろすカルア。ぬっと手を眉間に突き出して、小さな声でボソッと、
「――さぁ、終点の時間だヨ」
なにか得体のしれない感じは察知したものの避けることはできず、 ボクはカルアのデコピンを食らってしまう。それだけ、それだけなのだが……。
一回目のときと違うところは、急に部屋の電気を消されたみたいに視界が真っ暗になったことだ。
音も感覚もなにもかもすべてが、完全にシャットアウトされた。
そのまま意識は、はるか遠くへ追いやられていくのを感じた――
「ん……ここ、は……」
見渡す限りの砂利の灰色とうす茶色の大地と周りには、ゴツゴツと大きく削られたようないびつな形をした山々がそびえ立っている。
まるで、ここだけが現実と切り離された場所のようだ。
草木はほとんど枯れ果てており、そこは人類がなんらかの理由によって絶滅し、生活の豊かさも美しさもすべて失ってしまったあとの抜け殻のような場所に思えた。
そしてなぜかわからないが、風の匂いと混じってかすかに火薬の臭いがする。その臭いのもとを辿っていくうちにボクは、あることに気がついた。
「この場所、どこかで――」
「――岩船山、って場所の名を聞いたことはあるかーい?」
大音量でくぐもった声がした方向を振り返ると、黒色のシルクハットではなく灰色のハンチング帽を被り、右手にメガホンを持ったカルアの姿があった。
相変わらず目元は隠れていてニヒルな笑顔が張り付いている。てくてくとこちらに向かって歩きながら、淡々とこの場所について話してきた。
「住所は栃木県栃木市、標高は百七十三メートルで足尾山地の最南端に位置しているヨ。特撮番組の撮影現場のイメージが強いけど、実は日本三大霊山、日本三大地蔵の一つとしても数えられてるヨ。最近は爆破体験ツアーなんてのも実施されていて、そこで結婚式の写真を撮るなんてサービスもあるらしい。まぁ君にとっちゃどうでもいい話しか」
へーそーだったんだ。これでまたひとつかしこくなった……じゃなくて! なんで家からいきなりこんな場所に連れてこられたんだよ!
問い詰めてやろうと思って足を一歩踏み出すと、カルアの後ろで止まっていた白塗りの中古ワゴン車から、カチンコを持った男が降りてきて少女に話しかけた。
「監督、今日の撮影はケツまでですか? ちょうど今はプーカンですからやるにはうってつけだけと思いますよ。アオリの撮影もしますよね? あと上手なんですけど、自上がりも必須だと思うんですよ! 監督はどう思いますか?」
「あ〜えっとー…………まぁなんか……とにかく明るいすごい映画にしよう!! そうしよう!!」
口ぶりからして確実に理解できていないカルアは無理やり話を終わらせたあと、アウトドアチェアに腰を下ろした。これからいったい、なにが始まるのだろうか?
「なぁカルア、なんでここに……」
「本番三秒前! 二……一……アクション!!」
。今日こそ長い戦いに、決着をつけようぜ!!」
トウッ! と掛け声を放った直後、高さ七十メートルはあるであろう崖の縁から少しの乱れもなくきれいな着地してみせた。痛がっている様子もない。
聞き覚えのある声。十三年間も一緒だったのだ。わからないはずがない。楕円形の緑色の目に緑色のマフラー、キリギリスのような顔つきで二本の触角を付けている。
どうして、どうして、どうして……
「お、お前は誰だ! ボクが……ボクが制裁の仮面なのに、この偽ヒーローが!!」
「偽物はお前だぜ! 正義の名を語る不届き者め! 制裁の時間だぜ!!」
「――ッ!!」
偽ヒーローはたった地面を゙一蹴りするだけであっという間にボクとの距離を詰め、みぞおちに正拳突きを食らわせてきた。
体が体重に関係なく野球ボールのようにして吹っ飛ばされる。
胃の内容物が炒められたのチャーハンのように飛び上がり、その衝撃が背中まで伝わって突き抜けていくようだった。
「ゲフッ」
「まだまだだぜ!!」
ボクがふっとばされてる途中に追いついた偽ヒーローは、間髪入れずに蹴りを三発、拳を五発ほど体に叩き込んで追い討ちをかけてきた。
それが原因なのか岩肌にめり込むほど勢いよく激突し、身動きが取れなくなる。ジェットコースターに乗ったあとのように脳が揺れ、視界も揺れる。
「決めるぞ。必殺――――ッ!!」
すごい速さでめり込んだ岩肌まで近づいてくる偽ヒーロー。五十メートル、二十五メートル、十メートル、五メートルと近づいてくるたびに命の炎が消えていくのを感じる。
せめてもの悪あがきとして、ボクはかろうじて動く右腕を攻撃に備えて構えた。と言ってもその手はブルブルと震えて今にも崩れてしまいそうだ。
勝てるわけがない……と諦めていたその時――構えていた拳が偽ヒーローの顔面を捉えた直後、短いうめき声が聞こえ、風を切る音と共に後方の地面に伏せていたのだ。
「クッ……やはり四大幹部怪人の一人に数えられるだけはあるぜ。一筋縄ではいかないか……」
よろよろと立ち上がる偽ヒーロー。ようやくめり込んだ状態から脱出したとき、わけがわからずボクは自身の拳を見つめていた。
ボクがやったのか? 問いかけても答えは返ってこない。
ただ、今目の前で苦しそうに腹を押さえている奴がいるという事実は、ボクの中でかすかな希望をもたらした。
再度一瞬で距離を詰めた偽ヒーローは、連続で拳を叩き込んできたが、自分でも驚くことに、まるであらかじめ動きを学習したようにすべてを受け止めることができた。
このときになってようやく気づいた。自分の体が怪人そのものになっていることにより、限りなく強くなっていることを。
「ボクが……お前に……」
ボクはいつの間にか身軽になった体を偽ヒーローの後ろ回り込ませて、薙ぎ払うようにして背中に裏拳を食らわせた。
ぐふっ と声をもらしたあと、ゴリュゴリュっと背中の骨が砕けるような音がして、今度は偽ヒーローが吹っ飛ばされる立場になった。
遠目で岩肌にめり込んだ様子が確認できる。はっきり言ってボクの想像以上だ。気色の悪いニヤけ顔が止まらない。
圧倒的な力の差を確信したボクは、声高らかに偽ヒーローに宣言した。
「本物のヒーローのボクが……偽者に負けるはずがないんだよ!!」
原作では幹部で一番初めに倒されてしまうのだが、いいだろう。今日だけのヒーロー完敗、味あわせてやろう。
「偽者のお前を倒して、ボクは本物のヒーローになる!!」
ボクは偽ヒーローのはるか頭上まで跳躍すると、落下することで発生する位置エネルギーと腕力が合わさった一撃を顔面に与えた。
ガードはしたようだが、そんなものはまったく意味をなさず、衝撃は地面を突き抜け跡形もなく崩落していく。
民家が一つすっぽり入るほどのクレーターが形成され、偽ヒーローは地面に溺れるようにして穴に落ちていった。
「……………………」
その際発生した衝撃により、砂利や砂煙がまだ残留して飛び交っている。ボクはその様子をぼんやりと眺めていたが、やがて、
「フッ……フフフフフフッ。フフフフフフッ。ハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!! 勝った! 勝ったぞ!!」
穴の深さを見て思わず笑ってしまった。井戸のように底が見えない。もちろん偽ヒーローも同じだ。
仮に生きていたとしても、これからこのできた穴を塞いでしまえば、生き埋めも同然だろう。まず助からない。
ボクは偽ヒーローが聞いていないにも関わらず、勝ち誇ったように言う。
「……どうやら、制裁の時間はお前に訪れたようだな。さぁこれから、トドメを――」
「がんばれェェェ――ッ!! 制裁の仮面ゥゥゥ――――ッッッ!!!!」
「――ッ!!」
二度目の聞き覚えのある声が聞こえた。松葉杖を苦しげにつきながら、張り裂けそうな声量で彼女――日下部呂愛がボクを応援しにきてくれたんだ。
よかった……たとえどんなに姿が変わっても、ボクが本当の制裁の仮面ってわかるんじゃないか。さすがヒロイン。
記憶にはないが、彼女が事故から生きていたという事実をちゃんと自分の目で見たことで、ボクは喜びの震えを隠しきれなかった。
応援に応えたいとの意味合いで、負けじとこちらも大きな声で彼女の名前を叫ぼうとした。しかし、
「日下部さ――」
それ以上は喋ることはできなかった。なぜなら穴を脱出した偽ヒーローが、スーパーマンのように拳を突き出してボクの顎を直撃したのだ。
脳がミキサーにかけられた果実のようにシェイクされたのを感じ、たまらず意識が飛んだ。回転する視界の中で、彼女に駆けつける偽ヒーローを見つめる。
「ど、どうしたんだいその怪我は!? 誰にやられた!?」
「ひっく……アイツに……無理やり、犯されそうに、なってぇ……ヒック」
「なんだと!? おのれ!! ゆ゛る゛さ゛ん゛!!!!」
そんなことしていない! と否定する言葉を言い終えるより先に、怒り狂った偽ヒーローは両腕をガッツポーズにして唸り声を上げ始めた。
しばらくすると、砂利や砂煙がブワッと空高く舞い上がり、空気が畏怖するように揺れだす。それはまるで空の神様が天変地異を引き起こす前触れに思えた。
偽ヒーローの力がみるみる高まっていくのを見て取れた。赤黒いオーラが全身を取り囲むようにして輝いている。
周りの地形が削り取られたように抉れていき、いびつな形に変形していった。認めたくないが、まるで主人公のような決意のこもった瞳でボクを睨み付け、
「愛する者がいる限り、制裁の仮面は不死身だ! 覚悟しろ!!」
偽……いや、もうすでにボクよりヒーローしているソイツは、右手に怒りを表したのか赤いオーラを纏い、叫びながら拳を振りかざしてきた。
とっさに両腕を使って盾のようにガードするが、
「イ゙ガァッッッ!!」
防いだ箇所から紙をくしゃくしゃにしたときと似た音が聞こえた直後、目の前で自分の両腕がこなみじんになっていく様を目にした。
ボクは悲鳴をあげる暇なく、最初と同じように岩肌にめり込んだ。手を動かそうにも、そもそも手なんてないことにあとから気づき、同時に痛みにも気づいた。
「アア゙ッ……ガッ」
痛みで叫ぼうにも、代わりに血反吐がドボドボ出てくる。目線を少し下げると、かろうじて足はあるが、その感覚がないのだ。
「愛のある判決を言い渡すぜ。破壊の蜘蛛、お前は……死刑!!」
偽ヒーローはそんな満身創痍であるボクにも関わらず、必殺技の前振りのように空高く飛び上がり、
「決めるぜ必殺――制裁の蹴り!!!!!!」
偽ヒーローの足の部分は、まるで隕石が落ちてきたように巨大に見え、轟音をたてながら炎をまとって迫ってくる。
ボクはただそれを、薄く開けた目で見つめることしかできなかった。まるで現実感がなかった。
いや、それは最初からか。
やがてすぐ蹴りが胴体に直撃して数秒後、ボクの体は分子レベルまで塵一つ残らず破壊されていくのを感じた。痛みは一瞬すぎて感じなかった。
ドッガガガガガガガガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッッッッッッッン!!!!!!!!!!!!!!
鼓膜が破裂するような激しい爆音。よく見かける敵が倒されたあとは盛大に爆発するアレを、まさか自分で体験するとは思わなかった。
飛び降り自殺する際、傍目から見れば落ちるときは一瞬なのに、当の本人はそれより長く感じる意識の中で、ボクは色々なことを考えていた。
あの偽ヒーローの正体はいったいなんだったのだろうというもっとも気になることから、明日の晩ごはんや来週の特撮番組の内容など我ながらのんきなことまで幅広く。
最期に意識で偽ヒーローが、悪役を倒したあとの決め台詞が聞こえたような……そんな気がした。
「――あとは、地獄の閻魔様に裁いてもらうんだぜ」
「はいカット! いいヨいいヨすごくいいヨ!! さすが映画の主演が決まった人はなにからなにまで別格だヨ〜」
ハハハと監督の代理としてきたカルアという人に笑いながらオレは肩を叩かれる。
「正直一番驚いてるんだぜ。まだ経験が浅い素人ですが、よろしくお願いしますなんだぜ!!」
オレの名前は檜山路核。趣味は特撮番組を観ることで、それを語り合う友達がたくさんいる明るいやつだぜ!
そんなオレだが実は、一般的な学生でありながら陰でヒーローとして街の平和を守っていることは、限られた人しか知らないんだぜ。
そんなオレに、顔は映さない条件付きで映画の主演をしてほしいとオファーがきたときはスゲーびっくりしたぜ!
不安な気持ちもあるけれど、それ以上に努力とやる気と根性で頑張っていきたいぜ! 上機嫌そうにニヤけながらカルア監督代理が、
「これは間違えなくヒット作になるから、路核君は体調管理しっかりすること、いいね?」
「はい! もちろんだぜ!!」
監督に意気込みを伝えたすぐあとに、ポンと優しく背中を叩かれるのを感じた。
振り返るとオレの彼女――日下部呂愛が、採れたての果実のようなみずみずしい笑みをこちらに向けてくれた。
「すごいかっこよかったよ! 私がヒロイン役で出たかったなー」
「オレたちに演技とかヒロインとかそんなもんいらねぇだろ? もう――そうゆう関係だからな」
「檜山君……んぅっ」
かすかに頬が紅潮した呂愛の顔を見逃さなかったオレは、嫌と言われる前に唇と唇を重ねた。最初はビクッと怯えていた体が、徐々に甘く蕩けていく。
「ハァ、ハァ、好きだよ、大好きだよ。檜山君」
「ンハァ、ハァ、ハァ……オレも、だぜ……」
いつの間にか周りには誰も人はおらず、岩船山には怪人が爆発する音ではなく、代わりにお熱いカップルによる愛の爆発音(接吻)だけが、しばらくの間延々と響いていた――
(.)
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