蕩けたプリンは戻らない(エリス視点)

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蕩けたプリンは戻らない(エリス視点)

 独りでいるのが、当たり前だと思っていた。  父さんはいない。母さんも死んだ。  大切な人たちは、いつまでも側にいてくれるとは限らない。  だから、独りでも大丈夫なようにしなきゃって。  生きていくために、食べていくために、独りで頑張らなきゃって、そう思ってた。  なのに…… 『これからも一緒に、美味しいものをたくさん分かち合わせてください』  そんなことを言ってくれるヤツに、出会ってしまった。  食べたいものをはんぶんこしてくれて。  一緒に「おいしいね」って笑ってくれて。  あたしのために、全力で頑張ってくれて。  あいつがいると、何故かご飯が美味しく感じられる。  独りでいた時よりも、ずっと。  そうしてあいつは、いつの間にかあたしの世界に入り込んでいた。  ひとり分しかない穴の底みたいな、あたしの世界に。  ……そう。ここは、暗くて狭い穴の中。  身動きもとれないような近さで、あいつはあたしを見つめ……  泣きそうなほどに真剣な目で、こう言った。 『私は、任務などなくとも、貴女と食事を共にしたい。これからもずっと、美味しいものをはんぶんこし続けたい。散々人を欺いてきた私が言っても、信じてもらえないかもしれませんが……貴女を大切に想う気持ちには、嘘も偽りもありません』  ……なんで。  なんであたしに、そんなことを言ってくれるの?  わからない。  でも、この言葉はきっと嘘じゃない。  だって、あいつからは……優しくて、いい匂いがするから。  あいつの匂いを嗅ぐと、何故か安心する。  ふわふわして、心が温かくなって……少し、ドキドキする。  そう、まるで……  焼きたてのシフォンケーキの香りを嗅いだ時みたい。  お腹の辺りがときめいて、きゅんと切なくなる感じ。  ……あれ?  もしかして、あたし……  あいつのことを……  ……「食べたい」と、思っている……?  ♢ ♢ ♢ ♢ 「──ん……」  エリスは、目を覚ます。  うっすらと開けた瞼の先は、天蓋により少しぼやけていた。  一人で眠るには広すぎる、豪奢なベッド。  その上で、エリスはむくりと身体を起こした。  ここは、『かもめ旅館』の宿部屋。  昨日の『頂上祭』で手に入れた宿泊券を使って一泊した高級宿だ。  ……そうだ。思い出した。  昨日、レース中に落ちた穴の底で、クレアとあんなことがあって……  さらに、風呂の最中にシルフィーからいろいろと質問責めを喰らったものだから……  あいつに纏わる夢を、見てしまったらしい。 「…………」  エリスは、恥ずかしさに目を伏せる。  別に、変な夢ではない。クレアとは毎日顔を合わせているし、夢に出てきても不思議ではない。  だけど……  昨日、あの穴の底で感じた彼の体温や息遣い、真っ直ぐな眼差しや言葉、そして匂いが、夢に見たせいで、ありありと思い出されて…… 「…………っ」  エリスは、夢の余韻を振り払うようにぶんぶん首を横に振り、ベッドから降りた。  そのままカーテンを開けると、窓の外には抜けるような晴天が広がっていた。  今日も、美味しいものをいっぱい食べよう。  仕度をして、宿で出される朝食を食べに行かなくちゃ。  ……よし。  気持ちを切り替え、エリスは洗面台へと向かう。  顔を洗い、歯を磨き、鏡を見ながら髪を梳かし……いつものように、耳の横だけ三つ編みに結い上げる。  こうすると食事の時に髪の毛が邪魔にならないため、気に入っている髪型だ。  その、髪を結う手を、エリスは一度止め……  鏡に映る自分の姿を、じっと見つめた。  食べるのに邪魔だから、肩の位置よりも長く髪を伸ばしたことはなかったけれど…… 『……ポニーテール、よくお似合いです。可愛すぎて……眩しいくらいです』  昨日、クレアに囁かれた言葉が、脳裏を()ぎる。  ……あいつが「似合う」って言うなら……  ちょっと、伸ばしてみようかな……  ……と、そこまで考え、エリスはハッとなる。 (ち、違う違う! あいつに言われたからとかじゃなくて……そう! いっそ長く伸ばしてポニーテールにしちゃえば、昨日みたいに動きやすいし、食べやすいかなって!)  などと脳内で必死に言い訳していると、せっかく結った三つ編みがぐしゃぐしゃになってしまい……  彼女はため息を吐きながら、もう一度最初から、髪を結い直した。  * * * * 「──おはようございます、エリス」  部屋を出て、一階の食堂へ降りると、昨日夕食を食べたのと同じ席にクレアとシルフィーが座っていた。  昨日のことなどまるで気にしていないような、爽やかな笑顔で挨拶をするクレアを一瞥して……エリスは、定位置である彼の正面の席に座る。 「おはよ。ごめん、ちょっと寝坊しちゃった」 「いえいえ、私たちも今来たところです」 「昨日あれだけ走りましたからね。疲れは取れましたか?」  シルフィーに続きクレアがそう尋ねるので、エリスはジトっとした目で見返し、 「……そう言うあんたは、結局どうしたの? あのまま廊下で寝たの?」 「はい。放置プレイというのもなかなか趣があるなと思い、楽しんでいたのですが、夜中見回りに来た宿の方に『怖いから部屋に戻れ』と言われてしまい……仕方なく部屋で寝ることに。最後まで言いつけを守れず、申し訳ありませんでした」 「って、謝るとこソコじゃないから! 覗こうとしたことを反省しろって言ってんの! あんたホントにわかってんの?!」  クレアの的外れな謝罪に、エリスは声を荒らげる。  その隣で、シルフィーが苦笑いをしながら、 「まぁまぁ、エリスさん。さっき宿の方から聞いたのですが、朝食には今朝港で水揚げされたばかりの新鮮なお魚が出るそうですよ?」 「しんせんなおさかなっ?!」  途端にきらっと目を光らせ、ご機嫌になるエリス。  どうやらシルフィーは、エリスの扱いを徐々に理解し始めているようだった。  程なくして、三人のテーブルに朝食が運ばれてきた。  シルフィーが言った通り、メインは身の厚い白身魚のムニエルだ。  美味しそうな見た目と匂いに、エリスはうっとりよだれを垂らし、 「ふぁあ、美味しそぉ……! いっただっきまー……」  手を合わせ、そう言いかけたところで……はっと気付く。  向かいに座るクレアが、こちらを見つめ、にこにこと微笑んでいることに。  そして、思い出す。  昨日、あの穴の底で言われたセリフ…… 『ご飯を食べる前の、「いただきます」と手を合わせる仕草が可愛い』 「…………っ」  エリスは、合わせようとしていた両の手を……ぐっと握りこぶしに変えて。 「……イタダキマス」 「おぉ……さすがエリスさん、朝から気合いが入っていますね」  謎のファイティングポーズを取る形になってしまったエリスに、シルフィーは驚き混じりにそう言った。  ──朝食を食べながら、三人は今日の予定について話し合った。  宿をチェックアウトしたら、すぐに隣街のイリオンに向けて出発する。半日もあれば到着するので、今夜はイリオンで宿を取り、明日、例の漁師を訪ねることになった。 「投網がないのに訪ねてしまって、本当に大丈夫でしょうか……?」 「大丈夫だって。ほら、辛気臭い顔してたらせっかくのご飯が美味しくなくなるわよ?」  不安の拭えないシルフィーを、エリスはもりもり食べながら励ます。  事実、目の前の朝食は暗い顔して食べるのがもったいない程に美味しかった。  さすがカナール随一の高級旅館、味付けが抜群だ。魚の旨味を損なうことなく、絶妙な加減で調理されている。嗚呼……これではパンがいくらあっても足りない。  しかし、エリスは美食家ではあるものの大食いというわけではない。だから、主食とおかずの配分をよく考えて食べる必要があった。  最後まで美味しく食べるには、満腹の限界を超えないよう量を見定めなければならないのだ。  そんなことを考えながら、ムニエルを一口頬張り、「ん〜」とうっとり唸っていると……  再び、正面のクレアが、じっとこちらを見つめているのに気が付いた。  その視線は……愛おしいものを眺めるように、優しげで。 『食べている時の(とろ)けるような笑顔が可愛い』 『美味しさに悶えながらも、主食とおかずのバランスをきちんと計算して食べているのが可愛い』  脳裏に蘇るクレアのセリフ。  そして…… 『……エリスさん。クレアさんの視線を、よく見ていてください。本っ当に、あなたのことばっかり見ていますから』  ……という、昨晩のシルフィーの言葉が、続けて()ぎる。  エリスは、震える。  今まで全然気付かなかったけど……  クレアのやつ、本当にあたしを見ているんだ。 (うぅ……気付いたら急に恥ずかしくなってきた……! もう、人のことばっか見てないで、自分の食事を進めなさいよ! だいたい、『食べているのが可愛い』ってなんなの?! 赤ちゃんじゃあるまいし! 完全にナメられてるよね?! くぅっ、こうなったら……)  エリスはキッと、瞳に決意を滾らせ、 (こいつに絶対、『可愛い』って思われないように過ごしてやる……!!)  そう心に決めた瞬間、エリスはしゅばっ! と手を上げ、宿の配膳係の人に向かって、 「すみません! パンのおかわりください!!」  と、元気に呼びかけた。  そこから彼女は、笑顔を消して黙々と、パンと魚のバランスを無視した豪快な食事を進め……  隣で見ているシルフィーが、その気迫に押されるように、 「……エリスさん。今日は本当に気合いが入っていますね。何かと戦っているんですか?」  と、唖然として呟くまで、その勢いを止めなかった。  
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