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井戸の中の水瓶男
――アルアビス王国の王都に構える特別地区、"中央"。
政治と軍事に関わる庁舎が集まる、国の中枢区域だ。
中央に聳えるアルアビス城を護るようにして、"武力"を司る『アルアビス軍本部』、そして"魔力"を司る『魔法研究所』が対をなして建っている。
その周辺には関連施設が構えており、クレアが育った『箱庭』と呼ばれる軍事養成孤児院や、兵士たちの実技訓練のための演習場、他国の重役を招くための迎賓館などもある。
クレアが所属する特殊部隊・アストライアーの拠点も、アルアビス軍本部に併設している。
多くの一般市民にとって、"中央"は立ち入る機会も権利も得られない縁遠い場所であるが……
クレアにとっては、物心つく前から住む"家"であり、上司や同僚のいる"職場"に他ならなかった。
* * * *
――クレアがエリシアに花の栞を届けた日から、一ヶ月後。
"中央"内にある、アルアビス軍本部の会議室にて。
「──ここ一ヶ月の活動報告は以上だ。不審な動きが見られる組織については、引き続き最大限警戒するように」
低く、威厳のある声が響き渡る。
声の主の名は、ジークベルト・クライツァ。
前任のジェフリーの後を引き継ぐ形でアストライアーの隊長に着任した、クレアの現上司だ。
高身長のクレアよりさらに大柄な筋肉質の身体。
オールバックに撫で付けられたロマンスグレーの短髪。同色の眉の間には、常に深い皺が寄っている。
その髪色と険しい表情から実年齢よりも上に見られがちであるが、まだ三十代半ばである。
アストライアーの隊員は、現在十六名。
いずれも十代後半から二十代の、精悍な若者だ。
そこに魔法研究所の研究員が三名加わり、現在会議室には計二十名が、四角く配置された席に着いて顔を付き合わせていた。
議題は、直近一ヶ月の活動報告、並びに、ジェフリーの命を奪ったあの事件――『レーヴェ教団事件』に関する調査の進捗についてだ。
「では、本題に移ろう……クレアルド」
「はい」
ジークベルトに指名され、向かいに座っていたクレアが立ち上がる。
その手には、この一ヶ月で調べたレーヴェ教団に関する資料が握られていた。
「レーヴェ教団と、教祖が所有していた『焔の槍』についての調査報告です。逃亡し行方を眩ませていた教団員は、この一ヶ月で全て捕縛しました。そのリストが、手元にお配りしているものです」
クレアの言葉に、会議の参加者たちが資料に目を落とす。
クレアたちが捕えた教団の信者の数は、五十名余り。
立ち上げたばかりの新興宗教にしては異例の早さで信者を集めていたと言える。
「信者たちは老若男女、職業や身分階級もバラバラで、これといった共通点は見られません。『焔の槍』の力と教祖の甘言に魅せられた者が自ずと集まり出来上がった団体のようです。教祖はどのような男だったのか、あの槍は如何にして手に入れたのか……捕らえた信者の内、まともな会話ができる者に尋問を続けていますが、みな口を揃えて言うのが……」
パラ、と。
クレアは、束ねた手元の資料を一枚捲りながら、
「……"水瓶男"という人物の名です」
強調するように言った。
「水瓶男、と言うと……寓話に出てくる、あの?」
ジークベルトのその問いかけに、クレアは静かに頷く。
『水瓶男』。
それは、この国に古くから伝わる寓話に登場する魔物。
子どもの頃、誰もが一度は耳にしたことがあるであろうその物語は、以下のような内容だ。
♦︎ ♦︎ ♦︎ ♦︎
――むかしむかし、人々を苦しめる邪悪な化物がいました。
王さまの呼びかけで集まった勇者とその仲間は、化物に勇敢に立ち向かいました。
戦いの末、勇者たちは化物の身体から魂を抜き出し、井戸の中へ封印することに成功しました。
魂だけになった化物は、もう悪さができない――かと思われましたが……
夜中、井戸の近くに子どもが来ると、
「ねぇねぇ。一緒に遊ぼうよ」
そう呼びかけ、誘い出し……
声につられて井戸を覗いた子どもを、冷たい水の中へと引きずり込むようになりました。
身体を失った化物は、井戸の水で人間の姿を模ります。
このことから、人々はそれを"水瓶男"と呼んでいます。
だから、夜遅くに一人で井戸を覗いてはいけません。
水瓶男に、あの世へ連れていかれてしまうから――
♦︎ ♦︎ ♦︎ ♦︎
この寓話の作者は不明だ。
子どもが井戸に落ちることを防ぐため、昔の大人たちが作り出した民間伝承であるとされている。
もっとも、現代は魔法技術の向上により水道が整備されたため、井戸から水を汲み上げること自体減ってしまったが……
その誰もが知る寓話の化物の名を、レーヴェ教団の信者たちは皆、口を揃えて挙げているのだ。
「教祖の他に、この"水瓶男"と通称される人物が教団内で大きな力を持っていたようです。そして、『焔の槍』を教祖に与えたのも、恐らく……」
「その水瓶男というわけか」
クレアの言葉を、ジークベルトが継ぐ。
クレアは再び頷いて、
「では、その『焔の槍』についての調査結果を……先生方、お願いできますでしょうか」
そう言って、白衣を着た三人に目を向けた。
レーヴェ教団の教祖が所持し、ジェフリーの命を奪った『焔の槍』……
未知なる力を持つあの武器は、この魔法研究所の研究員たちに預けられ、調査が進められていた。
三人の研究員の内、年長者である白髪の男性が立ち上がり……槍についての調査結果を語り始めた。
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