井戸の中の水瓶男

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「まず、槍穂を取り巻く"消えない炎"について。我々は当初、何らかの特殊な呪術で炎の精霊・フロルを槍に()()()()()()()()()のではないかと考えていました。しかし……精霊は、槍の表層ではなく、()()()()()()()()()()()()のだということが判明しました。それも、相当な数が見込まれます」  その言葉に、会議室が(にわ)かに騒つく。  研究員は、重々しい声で続ける。   「さらには、フロルだけでなく他の種類の精霊とも複雑に融合させた状態で槍の内部に留まり、それによってあの高温な炎を半永久的に生み出しているようです。このような技術は、見たことがありません。一体誰が、どうやって生み出したのか……」    今語られたのは、魔法学の常識を大きく覆す話だった。  魔法を発動させるには空気中に漂う精霊に干渉する必要があり、魔法の威力は使役した精霊の数に比例する。  しかし、精霊は目に見えないため、今この空間にどのような種類のものが、どれだけいるのかはわからない。  例えば、海や川の近くには水の精霊・ヘラが、森や草原には樹木の精霊・ユグノが集まりやすい、といった分布の傾向は多少ある。  魔導士たちはその傾向を把握した上で、その場に浮遊する精霊の数を予測し、魔法陣を描く。  そうした知識を学ぶ場が、エリシアの通う魔法学院(アカデミー)なのだが……  結局のところ魔法の威力というのは、実際にその手を振るい、発現させてみて初めて明らかになる、というのが実情だ。  また、精霊は、魔法として発現した後は再び空中へと霧散し、見えなくなってしまうのが通常である。  つまり――  目に見えない精霊を一所(ひとところ)に大量に集め、金属の内部に留めたままにしておくことなど、不可能なはずなのだ。  それなのに……消えるどころか、無尽蔵に魔法の炎を生み出し続けているなんて。  誰が聞いても、常識から大きく外れた話であることは間違いなかった。 「槍の内部に封じられた精霊を解放し、無力化する(すべ)はないのか?」  ジークベルトが尋ねるが、白髪の研究員は首を横に振る。 「槍の構造と、封じられている精霊の種類や数がわからない以上、分解することも難しいでしょう。また、それとは別に……使用者の脳に直接作用し、狂戦士(バーサーカー)状態にする呪術が施されていることも確認されています」 「……何だって?」 「槍を手にした者を攻撃的な精神状態にし、身体能力を極端に高める呪いが付与されているのです。教団の教祖は、この呪いの作用により暴走したものと考えられます」  それを聞き、クレアは思い出す。  ジェフリーの腹を貫いた教祖の動き……訓練された動きとも、自暴自棄になった素人の動きとも違う、不規則で人間離れした不気味さがあった。  白髪の研究員が続ける。 「呪いの構造についても、被験者への負担が大きすぎるため、究明には時間を要することが予想されます……研究所からは以上です」  最後に一礼して、研究員は腰を下ろした。  それを確認し、再びクレアが口を開く。 「ありがとうございます。今お話いただいた通り、『焔の槍』は極めて危険な代物(しろもの)です。悪意ある者の手に渡れば、大きな脅威になり得る。その結果……また誰かが命を落とす恐れがある。もし本当に、水瓶男(ヴァッサーマン)と呼ばれる人物があの教団に槍を(もたら)したとしたら……さらに言えば、このような危険な武器を生み出す技術を持っているのなら、我々はこれを捕らえる必要があります」 「うむ。それで、その人物に関する情報は、どの程度集まっているんだ?」  ジークベルトの問いに、クレアは懐から一枚の紙を取り出す。 「教団の幹部だった男を尋問し、聞き取った情報によれば、水瓶男(ヴァッサーマン)はフード付きのローブで常に全身を覆っているらしく、顔を見たことはないそうです。イメージとしては――このような見た目です」  と言いながら、取り出した紙を広げてみせる。  直後、会議室にどよめきが起こった。  クレアが掲げたその紙には……  説明の通り、全身を黒っぽいローブで覆った猫背気味の人物が、ありありと描かれていた。    まるで、実在するモデルを模写したかのようによく描かれたその鉛筆画を見て、 「……それは、クレアが描いたのか?」  ジークベルトが、唖然としながら尋ねる。  クレアはきょとんと瞬きをして、 「え? はい。絵があった方がイメージが湧きやすいと思い、描きました」 「そ、そうか……なにかと器用な男だとは思っていたが、絵まで達者だとは……それもジェフリーさんに仕込まれたのか?」 「いえ。これは最近、独学で身につけたものです」  ジークベルトの言う通り、クレアはジェフリーの元で鍛えられている内に、様々な特殊スキルを身につけていた。  変装。声帯模写。ピッキング。  毒物の判別および耐性。  野宿する際のサバイバル技術。  戦闘に関係ないもので言えば、料理、編み物、歌、文書の速読、ひよこの雌雄判別まで……  いずれも、腕はプロに引けを取らないレベルだ。  それもこれも、彼が異常なほど飲み込みが早く、器用だからこそ成し得たのだが……  ……それはさておき。  終始険しい顔をしていたジークベルトも、クレアの新たなスキルに少しだけ苦笑いをしてから……  コホンと、仕切り直すように咳払いをして。 「我々の次なる課題は、その水瓶男(ヴァッサーマン)と呼ばれる人物の所在を突き止め、身柄を確保することだ。引き続き拘束した信者への尋問、加えて、教団の拠点となっていた場所を中心に聞き込みを進めてくれ。本日は以上。解散」  ジークベルトの厳粛な言葉を最後に、その日の会議は閉幕した。    
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