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(あの教師……今、なんて言った?)
クレアは自分の耳を疑うが……
しかしそれは、聞き間違いではなかったようで。
チェロは、その美しい顔をとろんと上気させると、
「魔法に対する真摯な姿勢……知識を求める貪欲な精神……そして、私以外には見せないあの無邪気な笑顔……推せるっ! まじで推せるっ! あぁもうっ、あなたは私の天使よ! エリスちゃん!!」
頬に手を当てながら、そんなことを言い放った。
その姿を目の当たりにし、クレアは……絶句する。
なんてことだ。この女教師……
聖母のような指導者を装いながら、がっつりエリシアに堕とされていた……!!
(これはさすがに予想外だ……男子だけでなく、女性をも惹き付けるなんて……なんなんだ、この曲者ばかりを寄せ付けてしまうエリシアの魅了スキルは……!)
……と、自分もその『曲者』の一人である自覚は、残念ながらクレアにはなかった。
頭を抱えるクレアをよそに、チェロはうっとりと独り言を続ける。
「あの子は間違いなく天才……近い将来、絶対に大魔導士になるわ。あの子の輝かしい未来を一番近くで眺めるのが私の夢……そのためなら、時間もお金も知識も惜しまず投資するっ。そうして、あの子を究極の魔導士へと育て上げるの……うふふ、あははははっ!」
空に向けて両手を広げながら、高笑いするチェロ。
あまりの豹変っぷりに、クレアはドン引きするが……
同時に、どこか共感していた。
"錬糧術"の実現に向け、直向きに頑張るエリシア。
その姿を応援したいと、陰ながら見守っているのが、今のクレアだ。
もしかするとこの気持ちは、チェロが抱いている感情に近いのではないか……?
要するに、エリシアに対するこの執着心の正体は……
(頑張っている『推し』を応援する、熱烈なファンの気持ち……?)
そう考えれば、いろいろと辻褄が合った。
そうか……俺は、いつの間にかエリシアを推していたのだ。
だから、その姿を追い、絵に描き留め、悪意を向ける男子を制裁するなどの異常な行動を取っていた。
全ては、『推し活』の一貫……そうか、そうだったのか。
ずっと不可解だった自身の感情にようやく名前が付けられた気がして、クレアはすとんと腑に落ちるような、妙な納得感を覚えていた。
しかし……と、クレアはすぐに考え込む。
現状、チェロに悪意はなさそうだが、エリシアを推したい気持ちが暴走しないか、些か不安である。
しかもチェロは、エリシアを狙っていた男子生徒とは違い、魔法学院の特別栄誉教授だ。牽制するにしても、アランの時のような方法は適用できない。
(……まぁ、今はエリシアの魔法研究を純粋にサポートしているようだし、エリシアもチェロに懐いている。チェロの動向を調べつつ、このまま様子を見守るか)
と、クレアが結論を出したところで……
チェロが再び、悩ましげにため息をつき、
「はぁ……あの子、一人でいる時はびっくりするくらい真面目で暗い顔しているのに、本当は天真爛漫で子どもっぽくて、笑顔がすっごく可愛いのよねぇ……そのギャップがほんとたまんない」
頬を染めながら、そんなことを呟くので……
クレアは、暫し停止した後、
(…………わかるッ……!!)
同じ推しを持つ同志の言葉に、激しく共感するのであった。
* * * *
その後、クレアはチェロという人物の情報を徹底的に調べた。
彼女の出身地は、王都から遠く離れたアルピエゴという領地。
魔法学院への進学と共に上京し、以来ずっと一人暮らしのようだ。
しかし最近、転居先を探しているらしく、休日は専ら物件巡りに当てていた。
(給与と身分に見合った、今よりも広い家に越したいと考えているのだろうか……)
そうしてしばらく尾行を続けたが、多少酒にだらしないところがあるくらいで、素行は悪くない。
どうやら本当に純粋な気持ちで、エリシアを推しているようだった。
自分と同じく、エリシアを応援したいと考えているチェロ。
決して交わることはないが、クレアは同じ志を持つチェロの存在に、一方的な親近感を覚えていた。
(……もし、俺の立場が違っていたら、同じ推しを持つ者として、友人になれていたのだろうか?)
ふと、そんなことを考えてしまう自分に、クレアは驚く。
エリシアに出会ってから、彼の心は、誤魔化しが利かない程に変わっていた。
国の治安維持のため、命令に従うだけだった彼の人生に、彼自身の"意志"が生まれたのだ。
初めは、自意識など排除すべきだと……そのような変化は阻止するべきだと考えていたが……
最近では、こんな自分も悪くないのではないかと考え始めていた。
『人間は、死んだらそれでおしまい』
『だから、生きている内に、やりたいことをやり遂げなくちゃ』
『たった一度の、替えの利かない……あたしの人生だから』
今でもはっきりと覚えている、エリシアの声。
あの言葉が、クレアに転機を齎した。
聞いた時には、やりたいことなど何もなかったが……今は違う。
エリシアを中心に、自分自身の自由な意志が、いくつも生まれるようになった。
チェロと友人になれる可能性を考えたのも、その変化の一つだ。
そうした変化は、しかしながら、彼の仕事にほとんど影響しなかった。
任務は任務。ただ淡々と、やるべきことをこなすだけ。
ならば、このまま自分の感情を、意志を、胸の内で密かに飼っていても問題ないだろう。
俺は、俺のやりたいことをやり遂げる。
たった一度の、替えの利かない……俺自身の人生だから。
(……そうですよね、ジェフリーさん)
そう、胸の中で呟きながら……クレアは、自らの手の中を見る。
そこに握られているのは、一輪のミルガレッタの花。
季節は巡り、ジェフリーの死から、もうすぐ一年が経とうとしていた。
そうして、今年もやってくるのだ。
エリシアの、十八歳の誕生日が――
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