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真面目な男の壊し方
二年前――
「あーあ……俺もヤキが回ったな……」
そう言って、男は笑う。
口の端から、鮮血を流しながら。
「クレア……最期に一つだけ……頼んでもいいか?」
「ジェフリーさん、もう喋らないでください。今、救護隊が来ますから」
「あのなぁ……お前にもわかるだろ? これ……」
と、クレアの腕に支えられながら、男は虚ろな目で自身の腹部に視線を向ける。
――穴。
明らかに致命傷と呼べるほどの大穴が、その男の腹に空いていた。
しかし奇妙なことに、患部からは一滴の血も流れていない。
代わりに、肉の焦げた臭いと、服の端をチリチリと焼く黒い煙が辺りに充満していた。
「もう、助からねぇよ……テメーのことだ、そんくらいわかる。だから、クレア……最期に、頼まれちゃくれねぇか……?」
仲間たちが剣を振るい、敵を次々に捕らえてゆく、その喧騒に紛れるように。
男は、掠れた声で、こう告げた。
「……俺の娘を……見守ってやってくれ」
クレアは驚き、目を見開く。
男は、血の付いた口をニッと吊り上げ、
「言っていなかったが……俺な、昔、所帯を持っていたんだ……仕事ばかりでほったらかしていたら、出て行かれちまったが……それ以来」
男は、震える手で自身の服の胸元を探り、何かを取り出す。
「娘の誕生日に……これをこっそり、届けているんだ。あいつの、誕生花」
それは、くたくたに萎れた、白いミルガレッタの花。
「もうすぐ、あいつの誕生日なんだ……頼む、黙って置いとくだけでいい……俺の代わりに、これを……」
花をクレアに託すと、途端にその手から力が抜け……
「じゃあな、クレア……達者で、な……」
それが。
男の、最期の言葉となった。
* * * *
――アルアビス王国。
西部に位置する王都から放射状に各領地が広がっており、それぞれに独自の文化や風習が根付いている。
王都から離れれば離れる程、その独自性は顕著となり、国の最端の領地では言語までもが異なる。
そんなアルアビスは、大陸内最大の国土を誇る大国であり、魔法研究で栄える強国でもある。
国にとって、魔法の技術は軍事力の高さに直結する。
故に、アルアビスの卓越した魔法技術は、他国を牽制する牙であり……
同時に、他国に狙われる最高の情報でもあった。
魔法技術に纏わる情報を狙い、アルアビスに侵入する他国の諜報員。
そして、他国と秘密裏に取引し、情報を高値で売ろうとする国内の反逆者たち。
それらを特定し、取り締まるのが、アルアビス国軍・特殊任務遂行部隊。
通称『アストライアー』。
それが、クレアの所属する部隊の名だ。
クレアには、肉親がいなかった。
死別したのか捨てられたのか、それすらも定かではない。
とにかく物心がついた時には、彼は『箱庭』と呼ばれる軍事養成施設で、国に忠義を尽くす戦士として育てられていた。
周囲にいるのは、自分と同じように親のいない子どもたち。
それらが寝食を共にし、優秀な戦士になるための厳しい訓練を受ける。
その生活に辛さや虚しさを感じる感覚すら、彼にはなかった。
施設の中で日々鍛錬を積むことこそが、彼にとっての当たり前だったから。
十歳を過ぎる頃、施設の子どもたちはその適正に応じて二つのグループに分類される。
剣を学ぶ者と、魔法を学ぶ者に。
クレアは同世代の中でも群を抜いた剣の才能を発揮し、特殊部隊・アストライアーに最年少で引き抜かれた。
その引き抜きを指示した男こそ、部隊の隊長であるジェフリー・ウォルクス。
先日、クレアの腕の中で息を引き取った男だ。
ジェフリーは豪快で、任務のためなら手段を選ばない男だった。
まだ子どもであるクレアを囮に利用し、相手を油断させるような作戦で、国内の犯罪組織を一気に壊滅させたり……
クレアが青年に成長してからは、その整った容姿を用いたハニートラップで、他国の諜報員たちを根こそぎ狩り尽くしたこともあった。
『使えるものは、なんでも使う』
それが、ジェフリーの口癖だった。
おかげでクレアは、戦闘技術以上に演技力や潜入技術といった密偵能力が身に付いてしまったわけだが……
しかし一方でジェフリーは、情に厚く、面倒見の良い男でもあった。
クレアは彼から、仕事以外に様々なことを学んだ。
一番美味いステーキの焼き方。
魚釣りのコツ。
冬の星座の見方。
酒に、ギャンブルに、女の口説き方まで。
親のいないクレアにとって、ジェフリーは父親のような存在だった。
そうして、出会ってから八年あまり、任務をこなしながらも楽しく賑やかに過ごしてきた。
それなのに……
ジェフリーは、腕の中で、帰らぬ人となった。
炎を纏った奇妙な槍に、その身体を貫かれて。
「………………」
クレアは思い出す。
ジェフリーが命を落とした、一週間前のあの日……
クレアたちアストライアーは、『レーヴェ教団』という名の新興宗教の集会場を奇襲していた。
『魔法の力を解放し、世界を一つにしよう』
そのような宗教的思想を隠れ蓑に、アルアビス王国が持つ魔法技術を他国に売ろうとする犯罪組織だった。
と言っても、組織を構成する教団員のほとんどが、純粋に宗教を信仰する一般人。
集会の現場に奇襲を仕掛ければ、抑え込むのは容易いはずだった。
しかし……
教祖と呼ばれる男が手にしていたのは、見たこともない武器だった。
先端に消えない炎を灯した、禍々しい槍──
まるでお伽話の中に出てくる、空想上の武器だ。
槍を握った教祖は、超人的な動きでアストライアーの隊員たちを圧倒した。
無抵抗な教団員をも巻き込む勢いで、炎を撒き散らしながら、殺戮の限りを尽くした。
凄まじい剣戟の最中、教祖の放った槍が、教団員の一人に突き刺さりそうになったのを……
ジェフリーが、身を呈して庇ったのだ。
深々と腹に刺さった槍。
それをグッと握りしめ、ジェフリーは教祖の動きを封じた。
そこへクレアが駆けつけ、教祖の首を刎ねて終わらせた。
しかし……ジェフリーは、助からなかった。
ジェフリーの葬儀を終えてもなお、この事件は国の上層部を騒がせていた。
消えることのない炎を纏った槍――教団は、一体どのようにしてこの特殊な武器を手に入れたのか。
或いは、彼らによって作り出されたものなのか。
捕えた教団員たちを尋問し、調査を続けているところではあるが――
――アルアビス国軍の庁舎内にある、資料室にて。
他のアストライアーの隊員たちが事件を調査する中、クレアは一人、別のことを調べていた。
それは、ジェフリーの"遺言"に纏わる調査。
『……俺の娘を……見守ってやってくれ』
まさか、あのジェフリーに妻子があったとは。
クレアは未だ信じられない気持ちを抱えながら、ジェフリーの経歴を調べていた。
元妻とは、十年ほど前に別れたらしい。
その後、元妻は病により死去。
一人娘は遠縁の親戚に引き取られ、この春から王都にある魔法学院に通っている。
名前は……
エリシア・エヴァンシスカ。
もうすぐ十七歳の誕生日を迎える、ジェフリーの娘。
「…………」
クレアは胸ポケットから、一枚の栞を取り出す。
白いミルガレッタの押し花をあしらった、リボン付きの栞だ。
ジェフリーが今際の際に手渡した花は、この一週間ですっかり萎れてしまった。
だからクレアは、それを押し花にし、この栞を作った。
形を変えたとしても、この花には彼の魂が宿っている。
……なんて、そんな叙情的なことを考えたわけではない。
クレアがこの花を届けるのは、ジェフリーという隊長からの"命令"だからだ。
自分の命も、意志も、この国のためにある。
そう教え込まれて生きてきたクレアにとって、これはただの任務に過ぎない。
けれど……
私情を忘れたはずのクレアであっても、この栞を見ると、心が揺さぶられた。
腕の中で失われていく、ジェフリーの体温。
あの時の、あのやり切れない喪失感が……なかなか忘れられずにいた。
「………………」
クレアは栞と共に、余計な感情を胸にしまう。
娘・エリシアの誕生日は明後日。
明日の内に彼女が在学する魔法学院へ潜入し、日付が変わると同時に、この栞を届けよう。
そう。これは、任務。
完了すれば、それで終わりだ。
クレアは、手にしていた資料を棚に戻すと……
明日の行動に向け、準備を開始した。
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