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エリシアの言葉に、チェロは困惑しながら聞き返す。
「せ、精霊の味? それって、どういう……」
「あたしが今まで感じていた、空気中の"見えない何か"の味は……精霊そのものの味だったってことよ」
「え……?!」
「例えば……今ここには、光の精霊・アテナが多くいる。次に多いのは、水の精霊・ヘラかな」
暗い声で答えながら、エリシアはぺろっと舌を出し、指輪を嵌めた指先で魔法陣を描く。
そして、
「──アテナ、そしてヘラ。我が命に応え、力を示せ」
魔法のトリガーとなる呪文を唱えた。
刹那――
エリシアの手から、目が眩むほどの強烈な光と、高波のようにうねった大量の水が放たれた。
「なっ……!」
その魔力の大きさに、チェロは驚愕する。
魔法の威力というのは、その空間に存在する精霊の数に比例される。
しかし、精霊は人間の五感では感知できないため、実際に魔法を発動させてみなけれは、どれくらいの力が発揮されるのかわからない。
しかし、今……
エリシアは、この場に数多く存在するという精霊を言い当て、それを証明するかのように、強力な魔法を発現させた。
まさか、本当に……
「精霊を……味覚で、認識できるというの……?」
それが事実ならば、とんでもないことだ。
目には見えない、無味無臭なはずの物体を、この世でただ一人、エリシアだけは感知できるということなのだから。
チェロはエリシアの肩をガッと掴み、興奮気味に言う。
「すごい……すごいわ、エリス! その才能を使えば、あなたは史上最強の魔導士になれる! 戦闘だけじゃない。研究者としても前代未聞の存在になるわ。どこにどんな精霊がどれだけ存在しているのか、あなたは把握することができるんだから! きっと歴史に名を残す大魔導士に……!」
「チェロ先生」
嬉しそうに語るチェロの言葉を、しかしエリシアは遮り、
「……学院を最短で卒業するには、どうすればいいですか?」
冷めきった瞳で、真っ直ぐに尋ねた。
「そ、卒業?」
「そうです。何か近道はありませんか?」
チェロは面食らいながらも、「ええと」と少し考え、
「そうね……後の魔法研究に大きな影響を齎すような発明や発見をすれば、少し早まるかしら。例えば……まだ存在を知られていない精霊を見つけて、干渉するための魔法陣を開発して、実用化させる……とか。まぁ、新種の精霊なんてここ数百年発見されていないから、かなり非現実的だと思うけど」
「……ふーん」
「それよりも、エリスのその特異体質を使って精霊の分布を研究するのはどうかしら? 場所や時間、季節や環境ごとの傾向を調査すれば、新たな発見があるかもしれないわ! それこそ、魔法学界に多大な影響を与える研究になるかも! 私も手伝うから、どう? 一緒に精霊分布探求の旅に出るっていうのは……!」
と、チェロが鼻息を荒らげて誘うが……
エリシアは無表情のままチェロから離れ、くるっと背を向け……
何も言わずに、去って行ってしまった。
それに、チェロはぽかんと放心してから、
「ま、待ってエリス! まだ話が……!」
「もう大丈夫」
手を伸ばし叫ぶチェロを、エリシアは遮り…….
一度だけ、彼女の方を振り返って、
「……もう、個人指導はいりません。今までありがとうございました。さようなら」
平坦な声音で、そう言い残すと……
そのまま、スタスタと帰ってしまった。
――という、やり取りの一部始終を。
クレアはいつものように、木の上に隠れて見守っていたわけだが……
彼も、静かに衝撃を受けていた。
「…………」
空気中の"見えない何か"に干渉し、望む食べ物を生み出すことが、エリシアの夢だったのに……
その"見えない何か"が、食べ物の素ではなく、精霊そのものだったなんて。
チェロの言う通り、これは前代未聞の大事件である。
誰にも認識できない不可視の精霊を、世界中でただ一人、エリシアだけは認識できるのだから。
まさに、神に愛されし特異体質。名実共に一流の魔導士になれる素質を、エリシアは生まれながらに持っていたのだ。
しかし……
その力は、彼女が望むものではなかった。
エリシアは、一流の魔導士になりたくて魔法を学んでいたわけではない。
美味しいものを望んだ時に、望むだけ生み出せる夢のような力が欲しかっただけだ。
それが実現できないと知った今……彼女は、どれほどの絶望を感じていることだろう。
エリシアの気持ちと、これまでの努力を考えると、クレアは胸が痛くなった。
それに……
「そんな……エリス、待ってよ……」
去って行くエリシアの背中を、地面にへたり込み、呆然と見つめるチェロ。
完全に放心状態となってしまったこの女教師も、気の毒である。
エリシアにはもう、彼女から個人指導を受ける理由がなくなったのだろう。
いくら魔法を会得しても、食べ物を生み出すことには繋がらないのだから。
要するにエリシアは、心の底からチェロに懐いていたわけではなく……
自分の夢の実現に"使える"人間だから、近付いていただけなのだ。
なんと冷徹な少女だろう。
慕っているフリをして教師に近付き、不要になった途端、冷たく突き放すなんて。
普通なら、そう思うところなのだろうが……
(きっとチェロは今、違うことを考えているはずだ。だって……俺も同じだから)
そう確信しながら、クレアはチェロという同志を見下ろす。
すると彼女は、ぷるぷると肩を震わせながら……
「うっ……うぅ…………うふふふふふ」
口から、嗚咽……ではなく、含み笑いを溢し……
うっとりとした表情で頬に手を当て、こう叫んだ。
「なにあの冷たい態度……最っ高! そうよね、あんな才能を持っているんだもの。私から指導を受ける必要なんてもうないわよね。不要なものは冷酷に切り捨てるあの潔さ……はぁんっ、ますます推せるっ! もっと冷たくされたい……ゴミを見るような目で私を見下してほしい……っ!!」
なんてことを言いながら、くねくねと身体を捩らせるので……
クレアは、木の上で静かに目を伏せながら、
(わかるッ!!)
脳内で、首がちぎれる程に頷いた。
チェロのメンタルの心配はなさそうだが、問題は、やはりエリシアの今後だ。
彼女はこれから、どうするのだろう?
今しがたのチェロとのやりとりでは、早く学院を卒業したいと考えているようだったが……
夢が潰え、自暴自棄になったりしないだろうか?
(心配だけど……俺には、見守ることしかできない)
そのことに、初めて歯痒さを感じながら、クレアはギリッと拳を握り締めるが……この時の彼は、まだ知らなかった。
この出来事が、後に彼らの運命を大きく変える事態にまで、大きく膨らんでしまうことを。
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