真面目な男の壊し方

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 ──"精霊"。  それは、空気中を漂う不可視の存在。  確認されているだけでも数十、まだ発見されていないものを含めると、その種類は数百にも及ぶと言われている。  精霊を導き、望む現象を引き起こすことを、人々は『魔法』と呼び……  その術を身に付けた者を、『魔導士』と呼んだ。  本来、精霊の力を借りるには、途方もなく長い呪文を唱える必要ある。  魔導書を何ページも捲る必要のある、(いにしえ)の祈祷文だ。  しかし魔法大国アルアビスでは、その呪文を省略する技術を生み出していた。    それは、呪符を(とど)めた特殊な指輪(リング)を嵌め、魔法陣を描くというもの。    これにより、魔法は人々にとって、より身近なものへと変わった。  街の灯りや水道といった生活基盤の整備への活用が可能になったからだ。  しかしながら、魔法の力は誰しもが自由に操れるものではない。  アルアビス国の政治と軍事を司る中枢組織・"中央(セントラル)"は、しかるべき教育と訓練を受けた者にのみ指輪(リング)を与えるという決まりを定めた。  そして……  その、しかるべき教育と訓練を施す機関こそが、国立グリムワーズ魔法学院。  通称、『アカデミー』。  アルアビス国内における、唯一の魔法教育機関である。  つまり、魔導士を志すのであれば、自ずとこの『アカデミー』への入学を目指すことになる。  学力だけでなく、一般教養や運動能力といった厳しい試験に合格し、見事入学した者には、卒業と同時にその指輪(リング)が授けられる。  地位と名誉と魔力を求め、狭き門をくぐり抜けた、魔道士のたまご。  ジェフリーの娘であるエリシアは、まさにその一人だった。  そして、その権威ある学び舎に今日も、生徒たちが登校して来た――  * * * *  王都の中心部に広大な敷地を構える、国立グリムワーズ魔法学院。  鉄製の(おごそ)かな正門を抜けると、美しいレンガ畳の並木通りが真っ直ぐに伸びている。  その先には、この魔法学院(アカデミー)の象徴とも言える白亜の校舎が、昂然(こうぜん)と佇んでいた。  その、校舎へと伸びる並木通りで、落ち葉を掃く清掃員が一人。  つば付きの帽子に、グレーのつなぎ。  顔は、マスクで半分覆っている。  エリシアに花の栞を届けるため潜入した、クレアである。  昨夜、クレアはこの学院の清掃員に接触していた。クレアに背格好の似た、勤務歴の浅い青年だ。  その青年に、彼の日給以上の見返りと、高額な口止め料を提示して、特殊任務のため清掃員の立場を一日借りたい旨を伝えた。    その交渉に、青年は快く応じ……  クレアに、清掃員の制服を預けたのだった。  クレアの作戦は、こうだ。  昼間の内に、清掃するフリをしながら学院内を見て回り、構造を把握する。  次に、エリシアが住まう女子寮の部屋の位置を特定する。  そして、寮が寝静まった頃、エリシアの部屋へ侵入し、花の栞をそっと置くのだ。  クレアが何故、エリシアに直接栞を届けず、隠密行動に徹しているのかといえば……  それは、ジェフリーが自らの身分を、元妻と娘に隠していたからだ。  数々の諜報員(スパイ)や犯罪組織を葬ってきたクレアたちアストライアーは、裏社会に生きる者たちから恐れられ、恨まれている。  だからジェフリーは、彼らの報復が元妻や娘に及ばぬよう、自らの本当の職業を隠していた。  情報が漏れることを恐れ、クレアを含む部下たちにすら妻子の存在を伝えていなかった。  そのことを、クレアはジェフリーの経歴や私物を調べる中で知ったのだった。  ジェフリーが元妻と別れたのは、エリシアが三歳の時。  以来、ジェフリーは毎年エリシアの誕生日に、こっそりとミルガレッタの花を届けていた。  その時も、エリシアに直接会うことはなかったようだ。  その意志を尊重するため、クレアも同じようにこっそりと栞を届けることにした、というわけだ。  現状、清掃員として学院内に溶け込むことには成功している。  授業が始まり、生徒と教師が教室に入ってからが、情報収集のチャンスだ。  クレアは、地味で平凡な清掃員を演じながら、始業のベルが鳴るのを待った。  
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