ピネーディアの献身

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 ミルクまんじゅうを満喫しているエリスを残し、クレアは土産物店から出てきた女性に近付く。    年齢は二十代前半と言ったところか。黒色のショートカットに、引き締まった身体。背中に大きなリュックを背負い、腰には剣を携えている。傭兵か、護衛業を生業にしている者だろう。  そんな女性に、クレアは微笑みながら声をかける。 「突然すみません。今朝、『レヴェロマーニ』にいらっしゃった方ですよね?」  爽やかな笑顔に、心地良い声音。礼儀正しい雰囲気。  完璧な美青年からの呼びかけに、女性は足を止め、頬を染める。 「あ、あぁ。そうだけど……」 「よかった。実は僕も今朝あの店の前にいまして。依頼主からポンポンクリームを買ってくるよう遣いを頼まれて来たのですが、目の前で売り切れてしまい、途方に暮れているのです。あの店の状況について、何か知っていることがあれば教えていただけないでしょうか?」  と、今回もフェイクを交えて問いかける。  女性は、明らかに男性慣れしていない雰囲気で目を泳がせながら答える。 「わ、私で良ければ、知っていることを教える。あの店には、何年か前に行ったことがあるから」 「それはありがたい。ぜひ、あなたのお名前を教えてください」 「……シャイラ」 「シャイラさん。素敵なお名前だ。この出会いに感謝します」  胸に手を当て、キラキラオーラを放ちながら微笑むクレア。  シャイラはますますぽーっとして、その王子さまスマイルを見つめた。 「それで……あの店について、教えていただけますか?」 「あっ、うん。えっと、私が『レヴェロマーニ』を訪れたのは二年前。その時も既に人気店で、たくさんのお客で賑わっていたけれど、少し並べばちゃんと商品が買えた。けど、一年くらい前からある噂を耳にするようになって……」 「噂……? どのような噂でしょう?」 「前のオーナーシェフが突然クビになって、店員も総入れ替えされたらしい。それで、元々あの土地を所有していた地主の孫娘がオーナーになったんだと。名前は、確かマロンと言ったか」  一年前に、オーナーがマロンに変わった。  先ほど主婦たちから聞いた情報と一致している。  しかもマロンは、地主の孫娘……その権力を使って、店のオーナーに成り代わったのだろうか? 「オーナーが変わったことで、商品の売り方が変わった。その結果、開店と同時に買い占められてしまうようになった……ということでしょうか?」 「あぁ、恐らくな。『レヴェロマーニ』は、今じゃ貴族たちの見栄の張り合いの場になっているらしい。あそこの高級菓子を買い占めることがセレブとしての一種のステータスになっているようだ。マロンもそれを狙って経営しているんだろう。毎日確実に百個売れれば、黒字続きは間違いないだろうから」 「つまり、この先も上流階級の人々による買い占めが続く可能性が高い、と」 「そういうこと。だから、私はもう諦めた。今のあの感じじゃ、私みたいな庶民には買えそうにないからな。あそこのポンポンクリームは本当に美味しくて、お店の素朴な雰囲気も大好きだったんだが……残念だ」 「そうですか……高級志向に変えてもセレブが殺到するくらいですから、よほど美味しいお菓子なのでしょうね」 「そりゃあもう! ピネーディアで一番のブランドミルクと、リリーベルグの高級卵を使っているから、素材の味が濃厚なんだ。むしろ、今までが安すぎたのかもしれない。きっとマロンもその価値を再認識して、在るべき売り値に修正したんだろう」  シャイラの話を聞き、クレアは納得する。  元々の原価に合わせた売値に買えた結果、一部の上流階級にしか買えない高級菓子になってしまった、ということなのだろう。  クレアは笑みを浮かべたまま、シャイラに礼を述べる。 「ありがとうございます、シャイラさん。お陰で状況がよくわかりました。最後にもう一つだけ、伺ってもよろしいですか?」 「えっ? な、なに……?」  ドキッとするシャイラに、クレアは少し近付き、 「『レヴェロマーニ』の他に、この街でおすすめのスイーツ店はありませんか? ポンポンクリームの代わりに、依頼主へ買って行きたいのです」 「お、おすすめ?! えっと……ま、マール牧場のソフトクリームかな。『レヴェロマーニ』でも使われているブランドミルクを生産している牧場なんだ。搾りたてのミルクを使っているから、甘くて濃厚で……って、溶けちゃうからお土産にはならないよな! ごめん!」  と、狼狽えまくるシャイラ。  エリスのために美味しい店を聞き出そうとしたのだが、ここでも思わぬ情報が得られた。 (『レヴェロマーニ』と繋がりのある牧場か……そこに行けば、ポンポンクリームを購入する手立てを聞けるかもしれない。それが難しくても、ブランドミルクを使用した他のスイーツ店を紹介してもらえる可能性がある。行かない手はない)  と、クレアが考えていると、シャイラが潤んだ瞳で彼を見上げ、 「その……も、もしよかったらこの後、スイーツの店を一緒に周らないか? お土産に相応しいものがいくつかあるから、直接案内するよ」  顔を赤らめながら、遠慮がちに言う。  しかしクレアとしては、もう彼女に用はなかった。だから、爽やかな笑みを浮かべたまま、やんわりと断る。 「せっかくのお誘いですが、実は同行者がいまして……彼女が待っているので、すぐに戻らなくては」 「か、彼女……そうか、女性と一緒なのか。うん、そうだよな」 「有力な情報をありがとうございました。シャイラさんの旅が良いものになることを心よりお祈りしております」  そう言って、あからさまに残念そうな顔をするシャイラを残し、クレアはその場を去った。  ──エリスは、少し離れた場所で待っていた。  先ほど買ったミルクまんじゅうはもう食べ切ってしまったらしく、手の中にくしゃくしゃに丸められた紙袋だけがあった。  さて、次は牧場の濃厚ソフトクリームを食べさせてあげよう。  なんて呑気に考えながら、クレアがエリスの元に戻ると……彼女はジトッとした目で彼を睨み、 「随分と女の子の扱いに慣れているみたいね。ナンパ師さん?」  ツンとした口調で毒突いた。  それに、クレアは目を丸くする。どうやら今のやり取りを見られていたらしい。  爽やかな笑みを繕いながら、クレアはすぐに弁明する。 「ナンパだなんてとんでもない。警戒されぬよう、善良な市民を演じただけです」 「ふん、どうだか。どうせ今朝見かけた旅人の中で、あの人が一番男慣れしていなさそうだと思って近付いたんでしょ?」  ……なんと。そこまで見抜かれていたとは。  どうやらエリスは本当に、クレアがどのような人間なのかを理解し始めているらしい。  そのことを嬉しく思いつつ、クレアはにこりと微笑む。 「そんなに手慣れているように見えましたか?」 「あたしはあんたの本性を知ってるからね。けど、他の人から見たら、ただの無害な好青年に見えたと思うわ」 「ほう。私はいつの間にか、エリスに本性を知られていたのですね」 「つい二日前に人の部屋に無断侵入したヤツが何を言ってんのよ。あんたのその人の良さそうな笑みがニセモノだってことくらい、とっくに知ってるんだから」 「ニセモノ、ね……それなら――」  ――ぐいっ、と……  クレアはエリスの手を引き、狭い路地へと彼女を連れ込み、 「――この表情(カオ)は、ニセモノか否か……見抜けますか?」  そう言って……  エリスの背後の壁に手をつき、ぐっと瞳を覗き込んだ。  恋人なら、そのままキスしてもおかしくない距離感。  見つめる彼女の赤い瞳に、真剣な表情をした自分が映っている。  ……エリスの言う通りだ。  これまで、任務遂行のために女性に近付くことなど何度もあった。  だから、女性(あいて)がどんな自分(おとこ)を求めているのか、手に取るようにわかる。  けれど…… (こんなにもわからないのは、貴女だけ……そして、こちらの方が心を乱されるのも、貴女だけなのですよ)  その気持ちを伝えたくて、彼女に見抜いてほしくて。  クレアは、エリスの顎をくいっと持ち上げる。 「……教えてあげましょうか? 貴女の知らない、私の"本性"……」  本当は、もっと触れたい。  エリスのことを余すことなく知って、自分のものにしてしまいたい。  そんな、自分でも戸惑う程の欲望がこの胸にあることを知ったら……  エリスは、どんな反応をするだろう?  ドクン、ドクンと、高鳴る鼓動。  心に宿る熱を瞳に映しながら、クレアはじっとエリスを見つめる…………が。  ――ぎゅっ。  そんな彼の鼻を、エリスが唐突に(つま)んだ。  そして、睨むように目を細め、 「こうして女の子たちを絆してきたのかもしれないけど、無駄よ。あたしはこんなんじゃ全然ドキドキしないから。色恋で誤魔化してポンポンクリームを諦めさせようったって、そうはいかないんだからね」  そう、冷ややかな口調で言った。  予想はしていたが……こうもバッサリ返されるとは。クレアは思わず苦笑する。 (せっかく身に付けたハニートラップの技術も、本命(おし)に効かなければ意味がないな……)  なんて自嘲しながら壁から手を離し、いつもの笑みを浮かべ、言う。 「やはり貴女には通用しませんか。しかし、私は何も貴女にポンポンクリームを諦めさせたくてこんなことをしたのではありません」 「でも、さっきの人に『買うのは難しい』って言われたんでしょ? 諦めないっていうんなら、どうするつもりなのよ?」  その問いに、クレアは人差し指をぴっと立て、 「マール牧場へ行きましょう。『レヴェロマーニ』にミルクを出荷している牧場なら、ポンポンクリームの購入ルートを聞き出せるかもしれません。それに……美味しいソフトクリームが食べられるらしいですよ?」  そう、誘うような声音で言った。  
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