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──場所は移り、再び『頂上祭』の会場。
レースはエリスを先頭に、少し遅れてクレア、その後ろに漁師チーム、次いで自警団チームが、それぞれ上位を争っていた。
エリスの脚力と体力は、クレアの想像以上だった。止まることなく駆けるその背中をようやく目で捉えた時、待ち構えていた運営スタッフが興奮気味に叫んだ。
「おっ、先頭集団が現れたー! 二つ目の障害物、発動ー!!」
すると、エリスの少し先に、行く手を遮る"幕"のようなものが見えてきた。
道の端から端にかけられたロープ。そこから、いくつもの白い布のようなものがぶら下がっている。あれは……
「洗濯物ゾーン!! 絶妙にイヤな高さで吊るされた洗濯物が、参加者の行く手を阻みます! さぁ、幾重にも干された洗濯物をくぐり抜け、一位に躍り出るのはどのチームだ?!」
どうにも、この祭りの運営は皆テンションが高いらしい。そのノリノリな実況に煽られるように、沿道で応援する人々や家の窓から見物する住民たちからも、ワァッと歓声が上がった。
その歓声を聞きながら、クレアは障害物の全体を遠巻きに眺める。
引かれた洗濯ロープは全部で十本ほど。道を横切るように張られている。そこに干されているのは、真っ白なシャツやタオル……青空の下、風に吹かれ気持ちよさそうに揺れている。
(エリスはこの障害物を利用して、また足止めを仕掛けてくるか……?)
クレアが背後から見守る中、一番乗りで洗濯物ゾーンへ差し掛かったエリスは……
走る速度を落とさぬまま、左右の手で同時に二種類の魔法陣を描いた。
「──ウォルフ! キューレ! 交われ!!」
彼女の右手から暖気の精霊が、左手から冷気の精霊が生み出され、混ざり合いながら正面の洗濯物へ一直線に向かってゆく。そして……
──ぶわぁぁあああっ!
猛烈な風へと変化した魔法は、洗濯物をバサバサと翻した。
その下を、エリスは姿勢を低くして一気に駆け抜ける。そうして一切洗濯物に触れることなく、障害物を突破した。
「おおっ! ここでも魔導少女が魅せてくれました! すごい! 風の魔法なんて見たことがない!!」
運営スタッフの実況を聞き、クレアは納得する。
暖気も冷気も、エリスが発見したばかりの新種の精霊。実用化に向け、今まさに軍部と魔法研究所が動き始めているところだ。一般人が目にしたことがないのは当然である。
しかし当のエリスは、そんな実況など気に留める様子もなく、すり抜けた洗濯物の向こう側で……
「……えいっ」
指を、僅かに動かした。
すると、エリスに通り道を作った暴風が、Uターンするように再び洗濯物ゾーンに戻ってきた。
つまり……クレアや後続のチームにとっては、正面からの突風に襲われる、ということ。
「うわぁぁああっ!」
「目に砂埃がぁあっ!!」
エリスの動きに気付いたクレアは、風が直撃する前に路地へ身を潜め回避できたが……
巨体を捩りながら洗濯物を掻い潜っていた漁師・自警団の両チームは、突如吹き荒れた風をモロに喰らった。
風に煽られた洗濯物がバシバシと顔や身体に纏わりつき、彼らの前進が完全に止まる。
その様を、坂の上から見下ろし、
「あはっ。ごめんねー、わざとじゃないの。ほら、風って気まぐれだから」
エリスが。ぺろっと舌を出しながら言う。
クレアから見れば明らかに彼女の仕業だが……一般人からすれば、ここまで繊細に魔法をコントロールできる人間がいるとは夢にも思わないのだろう。そのセリフに対し、「いやわざとだろ?!」と抗議する者は一人もいなかった。
後続の二チームが風に足止めを喰らっている隙に、エリスは再び走り出す。
しかし、蒸気の時ほど長くは留めておけなかった。風が止んだ途端、両チームとも物凄い勢いで洗濯物を掻き分け、猛追を再開したのだ。
いずれかのチームに優勝してもらいたいクレアは、男たちが再びエリスとの距離を縮めていく様を見届けながら、後を追う。と……
突然、漁師チームの三人が、走るペースを落とし始めた。
しかもその表情は、焦りや疲労ではなく……ニヤニヤと何かを企んでいるようにも見えて。
(何か、策があるのか……?)
不審に思い、クレアが漁師チームを注視していると……
「ああっ! 手がすべったぁ!!」
そんな棒読みな男の声と共に、道沿いの家の二階から、何かが投げ出された。
それは、薄汚れた巨大な布のような……
(……船の帆か……?)
その巨大な布が、バサァッ! と頭上に広がり、エリスは思わず足を止める。
エリスの足元に広がる黒い影。
突然のことに身動きが取れないまま、布は覆い被さるように落下し……
為す術もなく、エリスはその下敷きに…………
なる直前で。
──ズバッ!
銀色の光が閃いた。
咄嗟に目を瞑ったエリスは、降りかかるはずの衝撃が訪れないことを不思議に思い、目を開ける。と……
ちょうど彼女の周りだけ丸くくり抜かれた状態で布が落下し、足元に広がっていた。
こんな芸当ができるのは、もしかしなくとも……
「……クレア」
振り向くと、クレアがまさに短剣を鞘に納めているところであった。
間一髪、エリスに布が被さる前に、彼女の周囲だけ切り取ったのだ。
クレアはそのまま、布を放り投げた男のいる窓を見上げ……低い声音で言う。
「年に一度のお祭りの日だというのに、帆のお手入れですか。随分と仕事熱心な漁師さんですね。もしかして……」
スッ……と、鞘に納めた短剣で、後方にいる漁師チームの三人を指し、
「……あちらの方々のお仲間でしょうか? ダメですよ、気をつけないと。仲間を勝たせるための妨害行為とみなされてしまいますから。その上……」
──にこっ。
と、クレアは微笑を浮かべ、
「……うちのエリスが、危うく怪我するところだったじゃないですか。もし受け身が取れず首でも痛めていたら……私がみなさんの首を取っていたかもしれませんよ?」
まったく笑っていない目で、刺すように男たちを見つめるので……
「あ……あわわわわわわ……」
漁師チームの三人は恐怖に震えながら、互いに抱き合った。
クレアの指摘通り、一位の妨害をするようあらかじめ仲間に依頼をしていたのだろう。窓から帆を投げた男も、慌てて家の中に引っ込んだ。
足が竦んで動けなくなった漁師チームを一瞥すると、クレアは振り返り、エリスを見る。
「危ないところでしたね。お怪我はありませんか?」
そう言って、そっと手を差し伸べるが……エリスはぷいっと顔を背ける。
「な……なんで助けるのよ。あたしを止めたかったんでしょ?」
「私は貴女の理解を得たいだけで、怪我を負ってほしいわけではありません。エリス、もう一度じっくり話をしましょう。このまま分かり合えないのは嫌です」
「じっくりって、そんな時間あるわけないじゃない。今はレースの真っ最中なんだし……ほら」
と、その視線を後方に向ける。怯んだ漁師チームの後ろから、自警団チームが迫って来ていた。
クレアがそちらに目を向けている隙に、エリスはこっそり指を動かし……
クレアから距離を取ると、まだ消えていなかった魔法の風を彼に当てるよう操作した。
クレアは正面から突風を浴び、咄嗟に目を閉じる。
「くっ……」
「助けてくれてありがと。お陰で一位になれそうだわ。それじゃあ」
平坦な声で言い残すと、エリスは再び駆け出した。
クレアは目を開け、その背中を視界に捉え、
「…………」
彼女の真意を探るように、瞳を揺らした。
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