カナールの頂上祭

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 悲しみ。切なさ。やるせなさ。  様々な感情がぐちゃぐちゃに混ざり合ったような表情で、エリスが言う。 「おかしいと思ったのよ……カナールに来るまでは、一緒に美味しいものを食べて、のんびり旅してくれていたのに……シルフィーに出会ってから、急に『仕事第一』みたいになっちゃって。ここでシルフィーに遭遇するのも、シナリオの内だったんでしょ? 他の治安調査員に会わせて、あたしに危機感を持たせるために」  そして……  濡れた瞳で、クレアを見つめ、 「嬉しかったのに……料理をはんぶんこしてくれたことも、『美味しいね』って言い合えたことも……ポンポンクリームを手に入れるために頑張ってくれたことも。なのに……全部、あたしを任務に向かわせるための演技だったの……?」  縋るように、尋ねてきた。  それに、クレアは、 「…………っ」  胸が締め付けられ、息を止めた。  ……嗚呼、そうか。  エリスが恐れていたのは、プリンを逃すことじゃない。  クレアという初めてできた"食"の理解者が、作り物なのではないかと……  きっとそうに違いないと、絶望していたのだ。  ……信じられない。  自分という存在が、エリスの中で、心を乱すほど大きなものになっていただなんて。  嬉しくて、苦しくて……  知ったばかりの『愛情』が、溢れてしまいそうになる。  その胸の苦しさを、クレアは吐き出すように、 「……そんなわけ、ないじゃないですか」  声が震えそうになるのを堪えながら、言う。 「私はもう、国に飼われる犬じゃない。貴女のためだけに生きる、貴女の番犬です。この想いは決して演技ではありません。貴女という存在そのものが、私の生き甲斐なのです」  掴んだままの手に、ぎゅっと力を込め……  想いを伝えるように、彼女の赤い瞳を、真っ直ぐに見つめる。 「私は、任務などなくとも、貴女と食事を共にしたい。これからもずっと、美味しいものをはんぶんこし続けたい。散々人を欺いてきた私が言っても、信じてもらえないかもしれませんが……貴女を大切に想う気持ちには、嘘も偽りもありません」  想いを口にする程に、クレアの鼓動が強く揺さぶられる。  思えば、ここまで素直に本心を打ち明けるのは初めてかもしれない。  ……いや、そもそもこのような自意識を抱くことすらなかったのだ。  エリスに、出会うまでは。  クレアの真剣な眼差しに、エリスは戸惑うように目を泳がせ、 「そ……それじゃあ、なんで急にシルフィーに協力したのよ? これまで食べ物優先でのんびり旅してきたのに、急に『頂上祭』に出ようだなんて……しかも、あんな美味しそうなプリンを諦めさせようとするし!」  と、再び抵抗をみせる。  が、クレアはその瞳をぐっと覗き込み、 「それについては、完全に私の説明不足でした。私は、貴女にとってのメリットと、その優先順位を考え、シルフィーさんに協力することを選んだのです」 「メリットと、優先順位……?」 「はい。まず第一に……たとえあのプリンが販売前の新商品だとしても、私ならそのレシピを盗み、再現することができます」  ……それを聞いた瞬間。  エリスは、電撃に走ったように目を見開いた。 「レシピを、盗む……? 確かに、あんたならそれくらい容易(たやす)いだろうし、プリンを作るだけの料理の腕もある……」 「そうです。レシピがあれば、再現して作ることが可能です。しかし、イシャナをはじめとしたイリオンの海の幸は、漁師たちの熟練の(わざ)がなければ手に入りません。私に漁の技術があればよかったのですが、生憎持ち合わせていませんので……これが、第二の理由です。そうした要因を考えた時、今回はプリンではなく投網を獲得すべきだと結論付けたのです。漁師たちの治安を護ること……それは、貴女が美味しい海の幸を食べられる未来に繋がりますから」  流石に"水瓶男(ヴァッサーマン)"の件まで話すわけにはいかないが……いま口にしたことは、嘘偽りない本心だった。  エリスが、食べたいものを安心して食べられる世界を護る。そのために、"水瓶男(ヴァッサーマン)"を捕らえようとしているのだから。 「それでも貴女が、勝利の栄光と共にプリンを味わいたいと言うのなら、今すぐにでも穴から脱出して優勝しますが……いかがいたしますか?」  果たして、誠意は伝わっただろうか?  隠し切れない不安を瞳に滲ませながら、クレアが尋ねると……  エリスは、きつく結んでいた唇を解き……  ふっと、柔らかな笑みを浮かべて。 「もう……あたしには『治安の悪いやり方はするな』って言ったくせに、レシピを盗もうとしていただなんて。治安が悪いのはどっちよ」  そう言って、降参したように目を伏せると、 「……わかったわ。プリンは諦める。二位の賞品をゲットして、漁師のおじいさんに献上しましょ。いろいろわがまま言って……ごめんね」  穏やかな声で、そう言った。  再び開かれた彼女の瞳からは、疑念も絶望も消えていた。  わかってもらえた。  エリスと、心を通わせることができた。  そのことが、嬉しくて堪らなくて……  エリスを想う気持ちが、胸の奥から次々に溢れてきて、 「…………ッ」  気がつくと、クレアは……  半ば無意識に、エリスのことを、抱き締めていた。  
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