カナールの頂上祭

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「ちょっ……な、なによ急に……っ」  狭い穴の中、突然抱き締められ、エリスは声を上擦らせる。  が、抱き締めた当人であるクレアも困惑していた。  愛しさに駆り立てられるままに誰かを抱き締めることなど、初めてだったから。  だからクレアは、胸の高鳴りを隠すように、 「これは……そう、仲直りのハグです。仕事の同僚や親しい友人ならば普通に交わす、一種の挨拶ですよ。ご存知ないですか?」  と、出まかせを言って誤魔化した。  すると狙い通り、エリスは知ったかぶって、 「あ……あぁ、アレね! 知ってる知ってる! これくらいフツーよね!!」  と、クレアの背中に手を回し、ぎゅっと抱き締め返す。  無用な交友関係を排除し、"食べること"にのみ重きを置いてきたせいか、エリスは他者との距離感における常識がやや欠落していた。  そこにつけ入り、『あーん』に興じたり、こうして抱き締め合ったりしているわけだが……  エリスの無知さを利用していることに罪悪感を覚えつつも、クレアは、腕の中の彼女の体温に、安らぎと愛しさを感じていた。  少し前までは触れることはおろか、側にいることも、言葉や視線を交わすことすらできなかった、愛しい存在。  それが、今……こんなにも近くに感じられる。  好きだ。  好きだ、好きだ。  愛している。  でも、この気持ちを伝えれば、きっとこの関係性は終わってしまう。  エリスには、恋人を作るつもりなど毛頭ないだろうし……  せっかく手に入れたエリスの"食仲間"という身分を、手放したくはない。  だからせめて、彼女を大切に想うこの気持ちが、少しでも伝わるように。  クレアは優しく、力強く、エリスを抱き締めた。  しばらくエリスの体温に酔いしれていたクレアだったが……  密着した彼女の身体から伝わる鼓動が、明らかに早くなっていることに気付く。  それと同時に、エリスが、遠慮がちに口を開いた。 「……あ、あの……」 「……どうしました?」 「さ……さすがに、長くない? もうそろそろ、離れてもいいんじゃ……」  その声は、緊張と恥じらいに震えているようで……  クレアは、笑みが溢れそうになるのを堪えながら、抱き締める力をさらに強める。 「いいえ、世間一般のハグ時間を考えれば、まだまだ足りません」 「あう……そうなの?」 「……ふふ」 「な、なに笑ってんのよ!」 「いえ……こうしていると、先日の洞窟での出来事を思い出すなぁ、と思いまして」 「っ……あの時のことは忘れてって言ったでしょ?! それ以上言うと、不完全な"時間戻しの魔法"をかけるわよ?!」 「あはは、すみません。ただあの時、貴女の首筋を(したた)かに噛んでしまったので……跡になっていないか、ずっと気になっていたのです」  そう言って身体を少し離し、クレアはエリスの首筋を見る。  普段は髪で隠れているその部分には、何の跡も残っていなかった。 「うん……よかった、跡にはなっていないようですね」 「そ、そりゃあね。そんな跡が付いていたら、髪を結んだりしないもの」 「なるほど。跡が残らなかったお陰で今日のこの髪型が見られたのなら、私はあの時の自分に感謝しなければなりませんね」 「はぁ? どういう意味?」 「……エリス。ずっと言いそびれていたのですが……」  そっと、クレアはエリスの耳元に口を寄せると…… 「……ポニーテール、よくお似合いです。可愛すぎて……眩しいくらいです」  低い声音で、囁いた。  それに、エリスは……かぁっと顔を赤らめ、 「は……はぁ?! たかが髪型ひとつで、なにをそんな、可愛いとか……バッカじゃないの?!」  と、声を荒らげ、狼狽(うろた)えた。  その反応に、クレアは…… (…………あれ? 予想以上に照れてるな?? 何この可愛い反応。死ぬぞ? 俺が。)  と、顔に笑みを貼り付けたまま、理性がミシミシと悲鳴を上げるのを感じていた。  おかしい。先日、「こんなんじゃドキドキしない」と突っぱねられたばかりだったに……  なにこのガチ照れ。だめじゃん、こんなのを見せられたら……  …………その顔を、もっと見たくなってしまう。  クレアは、自分の中の(たが)が外れたことを自覚しながら、 「……もちろん、髪型だけじゃありませんよ」  エリスの耳元で、さらに囁く。 「この耳も、瞳も、鼻も、唇も……手も足も声も喋り方も、貴女はすべてが可愛いです」 「なっ……や、やめてよ!」 「しかし貴女の可愛さは、見た目だけに留まらないのです。例えば……魔法を使う前、ぺろっと出す舌が可愛い。テンションが上がると子どもみたいにぴょんぴょん跳ねるのが可愛い。食べ物の話になると声が少し高くなるのが可愛い。ご飯を食べる前の、『いただきます』と手を合わせる仕草が可愛い。食べている時の(とろ)けるような笑顔が可愛い。美味しさに悶えながらも、主食とおかずのバランスをきちんと計算して食べているのが可愛い。会計しやすいよう、お財布の中の金貨を種類ごとにきちんと分けているのが可愛い」  ……と、エリスにとっては無自覚な、絶妙に恥ずかしいポイントを『可愛い』で責められ、エリスはますます顔を赤くする。 「……っ、あんた、どんだけあたしのこと見てんのよ!? そんなん気付かないでしょフツー?!」 「はは。ですから、最初から言っているじゃないですか。私は貴女のストーカーで、貴女自身が私の生き甲斐なのです。だから……」  ふ……っ、と。  彼女の首筋に、息を吹きかけるようにして、 「……この、うなじの部分にほくろがあることも知っています」 「ほ、ほくろ?」  くすぐったさを感じながらも、驚き混じりに聞き返すエリス。彼女自身、その場所にあることを知らなかったようだ。  その反応に満足しながら、クレアは微笑む。 「そういえば……レースが終わったら、匂いを嗅がせていただく約束でしたね」 「は?! そんな約束してないし! 恥ずかしいから絶対にダメ!!」  エリスは首をぶんぶん横に振り、必死に拒絶する。  しかし、それは……  クレアの加虐心を、さらに煽るだけの反応に過ぎなくて。 「……ふーん。そんなに恥ずかしくて、イヤですか。ならばなおのこと、嗅がせていただきましょう」 「なんでよ?! あんた言葉通じないの?!」 「だってエリス、私のことを"国からの回し者"だと疑っていたのでしょう? ここは一つ、主人の匂いを誠心誠意嗅がせていただくことで、私が真に貴女の"番犬"であることを証明してみせます」 「なによソレ?! そんなことしなくても、あたしはもう……!」  ……が。  にこりと向けられた無言の微笑に、エリスはただならぬ圧を感じ……ごくっと息を飲む。と、 「……あっ、ちょっと!」  言葉を失っている間に、クレアはもう動いていた。  エリスの両肩に手を置き、首筋に鼻先を当てると……  ──すぅっ。  と、息を吸った。  そのくすぐったさと恥ずかしさに、エリスは思わず「ひゃっ」と声を上げる。 「ね、ねぇ! ほんとにダメ! 謝るから許して!!」 「はは。謝るのならご自分の無防備さを詫びるべきですよ。こんな至近距離で私といて、何もされないとでも思ったのですか?」 「……っ、ヘンタイ!!」  真っ赤な顔で睨みつけるエリス。  それに、クレアはやはり微笑み、 「えぇ、そうです。それも、貴女が思っているよりもずっと変態です。だから…………覚悟してくださいね?」  そう告げてから、再びエリスの首筋に近付くと……  彼女の香りを、静かに吸い込んだ。  
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