カナールの頂上祭

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 * * * *  クレアは、息を飲む。  エリスに掴まれたシャツのすぐ下にある心臓が、情けないくらいに脈を打っていた。 (俺の匂いが、好き……? まさか、エリスがそんなことを言い出すなんて……)  嬉しいような、信じられないような、複雑な戸惑いを抱えていると……エリスが、すっと目を細め、 「……お返しよ」  と、恥じらいを隠すように低く呟きながら、クレアの首筋に鼻を近付け……  ――すんすん。  と、匂いを吸い込んだ。  肌に当たる彼女の息に、クレアはビクッと震える。 「ん……やっぱり、いい匂い……」  なんて、エリスがうっとりと囁くが、クレアはやはり困惑しっぱなしだ。 「え、エリス……調子に乗ったことは謝りますから、これ以上は……男の匂いなんて、無理に嗅ぐことありませんよ」 「無理じゃない。ほんとにいいと思ってるの。ほら、この肌の匂い……」  と、シャツの襟元を開き、今度は鎖骨の当たりに鼻を当て、 「不思議……人の香りがこんなにいいと思ったのは初めて……なんでだろう?」  言いながら、その理由を探るように、クレアの匂いを嗅ぎ続けた。  そう問われたところで、クレアにも全く見当がつかないが……  嗅覚が鋭いエリスにしか嗅ぎ分けられないナニカがあって、その結果、『いい匂い』という評価を得られたのだろうか? (まずいな……ただでさえ、この密着状態はクるものがあるのに……こうも匂いを嗅がれると、ますます変な気分になってくる)  ドクドクと早鐘を打つ心臓。  狭い穴の中、自分の胸板に押し当てられたエリスの柔らかな身体。  眼前には、甘い香りを漂わせる彼女の髪と……首元に感じる、熱い吐息。  頭の中に甘ったるい(もや)がかかり、最後の理性が溶け始める。  本当は、頭上で他のチームが一位になるまでの時間稼ぎのつもりだった。  しかし、今は…… (このまま、この穴の底に……二人だけの空間に、エリスを永遠に閉じ込めてしまいたい)  そんな考えが、脳裏に()ぎってしまい…… 「……エリス……」  クレアは、吐息混じりに名前を呼ぶと、 「そんなに良いと思うなら…………もっと匂いが濃くなるようなコト、しませんか……?」  熱を孕んだ瞳で彼女を見下ろし……  そんなことを、口にした。  エリスは、クレアの胸に縋り付いたまま彼を見上げ、 「匂いが……濃くなるコト……?」  ごきゅっ、と喉を鳴らし、聞き返す。  その目には、隠し切れない興奮が宿っていて……  まるで、マタタビにあてられた猫のようだと、クレアは思う。  そんな表情を見てしまったら、もう……  ……我慢できない。  その瞳を、じっと見つめながら。  クレアは、エリスの顎をくいっと持ち上げ……  顔を徐々に近付けようとした…………その時。 「……エリスさーん、クレアさーん……大丈夫ですかぁー……?」  上から、声が降ってきた。  瞬間、ピタッと固まるクレアと、ハッと目を見開くエリス。  そのまま二人は、ギギギ、と首を回し頭上を見上げ……  ……穴の淵からこちらを見下ろすシルフィーの姿を確認した。  シルフィーは、密着状態にある二人の妙な空気感を敏感に感じ取り、訝しげな顔をして、 「……こんなところで、ナニしているんですか?」  ジトッとした目で、そう尋ねた。  言われた途端、二人の耳に、一気に外界の音が飛び込んでくる。  運営スタッフの賑やかな実況。  盛り上がる見物客の歓声。  そう。ここは、『頂上祭』のレース会場。  ……こんなところで、ナニしているか、って?  本当に、何をしていたのだろう。 「………ッ!」  クレアと密着していたところを目撃され、羞恥心が込み上げてきたのだろう。  ぷるぷると震え出すエリスに気付き、クレアは…… 「…………やばい」  そう呟いたのも束の間。  エリスは真っ赤な顔をバッ! と上げ、 「……うがぁぁああああああっ!!」  頭上に、魔法陣を殴り描いた。  直後!  ──ぶっしゃぁああああああっ!!!  穴の底から大量の水が吹き上がり、中にいたエリスとクレア、さらには覗き込んでいたシルフィーをも吹っ飛ばした! 「ぁぁああああなんでぇぇええええっ?!」  キラキラと涙を流しながら宙を舞い、落下してゆくシルフィー。  そのまま、地面に直撃する……!  ……かと思われた直前、くるっと身体を一回転させ、しゅたっ! と見事に降り立った。  その姿に、観客から一際大きな歓声が上がる。 (ふう……危なかった。なんだ、私だってやればできるじゃない)  と、ほっと息を吐き、胸を撫で下ろす………が。 「なな、なんと! 自警団チームがゴールテープを切る直前! 魔導少女チームがまさかの連携技で、一気にゴールを飛び越えました!! 優勝は、魔導少女チーーム!!」  実況に続き、『わぁぁああっ!』と降り注ぐ歓声。  それを聞いたシルフィーは、ゴールテープを挟んだ正面で、硬直している自警団チームと目が合う。  そして……  自分が吹っ飛ばされた勢いで、ゴールテープの向こう側に着地し……  うっかり一位になってしまったことを悟り、 「……な……な……ぬわぁぁああぁああっっ!??」  頭を抱え、天を仰ぎ。  身体を仰け反らせて、絶叫した──  
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