カナールの頂上祭

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「ほう……クレアさんがいい匂い、ですか」  夕暮れ時。  港街・カナールの空がオレンジ色に染まる。  エリスとシルフィーが浸かる露天風呂の水面(みなも)も、昼と夜とを混ぜたような空の色を映し、幻想的な輝きを放つ。  聞き返すシルフィーに、エリスは気まずそうに目を伏せ、 「う、うん……なんていうか、言葉では言い表しにくいんだけど……」  そう、蚊の鳴くような声で返すので……  シルフィーは眼鏡をくいっと上げ、こう追撃する。 「エリスさん、ご存知ですか? 匂いを好ましく感じる異性は、恋愛面における相性が良いそうですよ?」 「は?! な、なによソレ」 「人は、(つがい)としての生物学的な相性を匂いで嗅ぎ分けることができるらしいです。エリスさんは普通の人より嗅覚が鋭いみたいですから、その嗅ぎ分けをより顕著に感じているのではないですか?」 「な……そんなわけないでしょ? あいつはただの仕事仲間だし……」 「本当にそれだけですか?」  スッと目を細め、シルフィーが問う。 「この際だから言いますけど……"ただの仕事仲間"と『あーん』したりハグしたりするのは普通じゃないんです。異性なら尚更。それができるってことは、少なくともエリスさんもクレアさんのことを悪く思っていないんですよね?」 「ま、まぁ……」 「なら、どう思っているんですか? クレアさんのこと」  矢継ぎ早に質問され、エリスは目を丸くする。  そして、 「クレアのことを……どう、思っているか……」  揺れる湯船を見つめ、考え込んだ。  やがて、彼女が出した結論は………… 「…………変態」 「まぁ、それはなんとなくわかりますけど……」  期待した答えではなかったが、シルフィーも納得させられてしまう。  何せ、初対面で『"あーん"する楽しみを奪うな』と脅してきたのだ。その他にも『うなじの匂い』がどうのとか、エリスのこととなると暴走しがちである。 「……でも、クレアさんって強くて優しくてかっこいいじゃないですか。一緒にいてドキドキしたりしないんですか?」 「どきどき……?」  エリスは沈黙し、さらに考え込む。  広い露天風呂に、湯が注がれるちゃぷちゃぷという水音だけがしばらく響き……  ……そして、エリスは言葉を選びながら、ぽつぽつと語り始めた。 「……確かに、匂いを嗅いだ時は……ちょっとドキドキしたかも」 「おぉっ」 「でも、それよりも……一緒にいると安心する、って気持ちの方が強いかな。クレアといると、何故かご飯が美味しくなる。あいつが『美味しい』って笑ってくれると、あたしも嬉しくなる……みたいな」 「……それって……」  聞き返すシルフィーに、エリスは何かを悟ったようにハッと顔を上げ、 「そっか……あたしにとって、クレアは……」 「クレアさんは……?!」 「クレアは…………初めてできた、『食べ友』なんだ!」  がくっ。  シルフィーの肩が、がっかりしたように下がる。 「た……食べ友?」 「そう。あたしの『食べ友だち』! あぁ。あと、確かに顔はかっこいいから、お店でよく女の店員さんがサービスで大盛りとかにしてくれて、すごく使えるなって思う!」 「使える……」  あまりにも色気のない返答に、シルフィーはますますがっかりする。 「はぁ……でも、クレアさんの方はどうでしょうかね?」 「どう、って……どういう意味?」 「彼の方はエリスさんのこと、ただの『友だち』とは思っていないはずですよ。少なくとも、私の目にはそう見えます」 「えぇ? そうかなぁ?」 「そうですよ! 絶対に絶対に、もっと『大切な存在』だと思っているに決まっています!」  拳を握り、力説するシルフィー。  それに、エリスは気圧されながらも……何かを思い出すように、暫し虚空を見上げたのち、 「……まぁ……大切にしてくれているなぁっていうのは、感じる、かも」  と……  今までで一番恥ずかしそうに呟くので……シルフィーはもう、もどかしくて堪らなくなる。 (なにこの人……魔法も世渡りも超一流なのに、恋愛(ソッチ)方面のことになるとこんなに初心(うぶ)なの……? っていうか、何を思い出しているワケ?! あぁもう、気になる!!)  ……そう。シルフィーは、他人の恋愛話が大好物なのだった。  そして再び、エリスの顔を覗き込み、鼻息を荒らげ、こう伝える。 「そうです。クレアさんはエリスさんのこと、すごく大切に思っていると思います。昨日会ったばかりの私でも、それはひしひしと感じます」 「う……でも、あたしだけじゃなくて、女の子全員にそうなんじゃないかな? あいつ、けっこう女慣れしているみたいだし……その内あんたも同じようなコトをされるかも……」 「それはないです」 「で、でも……」 「それは、ないです」  二回強く否定され、エリスは「あぅ……」と言葉を飲み込む。  その様を、シルフィーは白い目で見つめる。 (クレアさんがエリスさんしか見ていないのなんて一目瞭然だってのに……この人、ほんとにわかっていないんだな)  シルフィーは、やれやれと首を振ってから、 「……エリスさん。クレアさんの視線を、よく見ていてください。本っ当に、あなたのことばっかり見ていますから」 「え……そんなに?」 「そんなに、ですよ。あなたは食べることに夢中で、まったく気付いていないんでしょうけど」  そう言って、胸の内でニヤリとほくそ笑む。 (さぁ、エリスさん。クレアさんのこと、しっかり意識してくださいね? 二人の関係性がどうなっていくのか、これから楽しみに拝見させてもらいますよ……!)  ふっふっふ。と、隠しきれない笑みを思わず溢しながら、 「とりあえず手始めに、今夜同じお部屋で寝てみてはいかがですか? 『仲を深めに来たよ』って部屋を訪ねたら、クレアさんめちゃくちゃ喜ぶと思いますよ? あ、ご心配なく。絶対に聞き耳立てたりしませんから。絶対に!」  なんて、順序を無視した提案をいきなりぶちかます。  もちろん、「そんなことするわけないでしょ?!」と言い返されるに決まっている。それでも、クレアを異性として意識してもらうには、そういうシチュエーションを想像させるしかないとシルフィーは考えたのだ。  しかし、シルフィーの予想とは裏腹に、エリスは思いっきり顔を顰め、 「はぁ? せっかく一人一部屋用意されてるのに、なんで同じ部屋で寝なきゃならないのよ。今夜はあの広い部屋にプリンをたっくさん並べて、一人でプリンパーティを楽しむんだから!」  と、食い気しかない思考で答え、プリンをぱくりと頬張る。  それを、シルフィーは残念そうに見つめ…… (クレアさん……道のりは、なかなかに遠いかもしれません)  彼の前途を憂い、ため息をつくのだった。  * * * *  温泉から上がった二人は、先に上がっていたクレアと宿の食堂で落ち合った。  そして、運ばれてきた夕食を心ゆくまで堪能し、三人は『ごちそうさま』をしてから、各々の宿泊部屋に戻ることにした。 「──はぁ……さっすが高級宿。何から何まで申し分ないわね」 「えぇ。温泉も夕食も素晴らしかったですね。これもすべてシルフィーさんが優勝を勝ち取ってくださったお陰です。ありがとうございます」 「うぅ……そう言われるとなんだか複雑ですが……いや、ここは素直に喜んでおきます。高級宿サイコー!!」  と、大満足な三人は、軽い足取りで自分たちの部屋の前に辿り着いた。  エリスは、クレアとシルフィーの方をくるっと振り返り、 「それじゃあ、おやすみ。今夜はふかふかのベッドでゆっくり休みましょ。その前にプリンをもう一度……ふふっ」  そう言って、自分の部屋に入ろうとする……が、 「待ってください、エリス」  と、彼女の手を掴み、クレアが引き止めた。  それを見たシルフィーは、ドキッとする。 (うわぁ、さすがクレアさん、積極的! まさか、「今夜は一緒にいよう」とかってお誘いするんじゃ……?!)  二人の行く末をワクワクしながら見守っていると……手を掴まれたエリスが、戸惑うように振り返る。 「な……なに?」 「エリス……シルフィーさんのお言葉、忘れてしまったのですか?」 「シルフィーの、言葉?」  思いがけず名前が上がり、エリスだけでなくシルフィーまできょとんとする。  クレアは、真剣な表情でエリスを見つめ……こう言った。 「今夜は私の部屋で共に過ごし、仲を深めるようにとアドバイスを受けていたじゃないですか。さぁ、一緒に仲を深めまくりましょう」  そのセリフに、エリスはぽかんとしながら、ゆっくりと思考を巡らせ……  やがて、その意味を正しく理解した。 「あ、あんた……お風呂での会話、盗み聞きしてたの?!」 「故意ではありません。たまたま聞こえてきたのです」 「いつから?!」  顔を真っ赤にして問い詰めるエリス。  クレアは、にこっと爽やかに微笑んで、 「エリスの入浴を覗……もとい、女湯の周囲に不審者がいないか見回ろうとしたところ、ちょうどシルフィーさんのお声が聞こえてきたのです。『今夜同じお部屋で寝てみてはいかがですか?』、と……いやぁ、実に的確なアドバイスでしたね」 「いや、今『覗き』って言いかけたでしょ?! 不審者は間違いなくあんたなんだけど?!」  覗き未遂の事実に怒るエリス。その横で、シルフィーは苦笑する。 (クレアさんがもう少し早く覗きに来ていれば、エリスさんの初心な本心が聞けたというのに……なんて間の悪い人)  半眼になるシルフィーの目の前で、エリスはクレアの手を振り解き、空中に指を躍らせる。  そして、目にも留まらぬ速さで魔法陣を完成させると……生み出した植物の蔓でクレアの身体をぐるぐる巻きにし、床に倒した。 「やっぱりあんたって、ただの女好きの変態だわ! そんなヤツと誰が一緒に寝るもんか! 変態は変態らしく、廊下の床とおねんねしてなさい!!」  そう吐き捨てると、エリスは扉をバンッ! と閉め、自分の部屋に入ってしまった。  まるでイモムシのような姿で床に残されたクレアを見下ろし、シルフィーは…… (あそこはシンプルに『一緒にいたい』でよかったのに……クレアさん、どうしてこんな言い方しかできないのかなぁ)  と、残念そうに息を吐く。  エリスがクレアのことを恋愛対象として意識していないのには、どうやらクレアの方にも原因があるらしい。  エリスからの好感度は悪くないのに、ここぞという時にわざと怒られるようなことを言っている……シルフィーの目には、そんな風に見えた。 (もしかして、こう見えてクレアさんも恋愛面では不器用……? あるいは、エリスさんが難敵すぎて空回っているのか……?)  うーん、と考えていると、クレアがシルフィーを見上げ、 「すみません、シルフィーさん。この蔓、ほどいていただけないでしょうか?」  と、困ったように言うので、シルフィーは我に返る。 「は、はい、ただいま。にしても、エリスさんは本当にすごいですね。こんな精度の高い魔法を、あんな簡単に……」  ……と、言いかけて。  シルフィーは、ようやく気付く。  クレアが、エリスの風呂を覗こうとしていたということは…………  自分の裸が見られてしまう可能性も、大いにあったわけで………… 「………………」  シルフィーは、蔓をほどく手をピタッと止め、すっと立ち上がる。  そして、冷ややかな目でクレアを見下ろし……  そのまま何も言わずに、自分の部屋へと入った。  扉の向こうの廊下から、クレアの「え……え??」という困惑の声が聞こえてくる。  それを聞きながら、シルフィーはぷるぷると震える。  ダメだ……やっぱりあの人、ただの変態なのかもしれない。 「……応援するの、やめようかな」  と……  クレアは、知らぬ間に得ていた強力な助っ人に、知らぬ間に見捨てられそうになっているのであった……  
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