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遂に潜入した、エリシアの部屋。
その中を、クレアは見回す。
ベッドにクローゼット。本棚に勉強机。
学生に必要な家具が最低限置かれただけの、シンプルな部屋だ。
その広いとは言えない部屋の至る所に、魔導書らしきものが山積みになっている。
勉強机の上も、その周りも本だらけ。大小様々なそれらが、まるで山脈のように連なっていた。
(これは……全て、エリシアが読んだ本か?)
思わず目を見張りながら、クレアはそのまま、視線を奥へ移す。
壁際に置かれたベッドの上で、白い毛布が盛り上がり、規則正しく上下していた。
……彼女だ。
エリシアが、眠っている。
「…………」
呼吸周期は安定している。眠りは深いようだ。
クレアは胸ポケットから栞を取り出し、どこへ置くのが最適か考える。
枕元は……駄目だ。寝返りを打った時、潰れてしまう可能性がある。
たくさん積まれた魔導書の上……いや、この上に更に本を積まれたら栞が隠れてしまうだろう。
(……やはり、勉強机の上が無難か)
小さく頷き、クレアは木製の勉強机に近付いた。
その上には二枚の皿とフォークと、分厚い魔導書が数冊と、開いたままのノートが置かれていた。
二枚の皿は、先ほどエリシアがケーキを食べるのに使ったものだろう。
ノートは、エリシアが勉強に使っているもののようで、魔法に関する専門用語や、様々な魔法陣の紋様がびっしりと描かれていた。
さすがにケーキ皿の上に置くわけにはいかないため、クレアはこのノートの上に栞を置くことにする。
その時、ふとノートに書かれたとある文字が、クレアの目に飛び込んできた。
(……『錬糧術』?)
聞き慣れない単語だ。太い字で、強調するように書かれている。
少し気になり、その前後の文章を読んでみると……このような内容が書かれていた。
『――これらの検証の結果、あたしは人より味覚と嗅覚が鋭敏であることがわかった。そのためか、時々、空気中に不思議な味と匂いを感じることがある。しかしこれは、他の人には感知できないもののようだ』
『もしかすると、空気中には目に見えない「食べ物の素」となる粒子が漂っていて、あたしはそれを感知できる特異体質なのかもしれない』
それを読み、クレアはハッとなる。
(先ほどの、宙を舐めるようなエリシアの奇行……あれは、空気中に感じる"何か"の味を確かめようとしていたのか……?)
つい気になり、クレアはノートの続きを読んでみることにする。
『この粒子を上手く利用すれば、望む食べ物を錬成することができるかもしれない。目に見えない精霊を操り具現化する、魔法のように』
『かつて、錬金術と呼ばれる秘術を研究していた魔導士がいたらしい。これに倣い、あたしはこの未知なる技術を"錬糧術"と呼ぶことにした』
『それを実現させるため、まずは魔法の基礎を徹底的に学ぶ必要がある。人は如何にして不可視の精霊に干渉し、具現化させているのか……そこの理解を深めれば、きっと"錬糧術"の実現に繋がるはずだ。そのためにあたしは、この学院に入学したのだから』
目に見えない粒子を操り、食べ物を錬成する。
それが、エリシアの夢。
彼女は、その未知なる技術を実現するためだけに、この魔法学院に入学したというのか?
(国内唯一にして超難関であるこの学院に、そんな動機で入学するとは……)
やはり、エリシアは変わっている。
"食"への執着が尋常ではない。
そう慄きながらも、クレアは口元に笑みを浮かべていた。
先ほど、亡き母に語っていた真っ直ぐな人生観。
そして、目の前にあるノートに認められた、力強い文字。
エリシアという少女の生き方に触れ、クレアは……
(……彼女の夢、叶うといいな)
無意識の内に、そんなことを願っていた。
それはエリシアが、恩人であるジェフリーの娘だから?
それとも、彼女の孤独が、自分の空虚さに似ている気がするから?
或いは……
あの艶かしい舌使いが、忘れられないから?
(……いやいや、それはない。ただ、彼女が……直向きに頑張っているからだ)
クレアはもう一度、エリシアが眠るベッドを見る。
壁の方を向いて丸まっているのか、こちらからは毛布に包まった背中しか見えないが……
(……この栞が、彼女の研究の励みに少しでもなることを願って)
そう、胸の内で呟きながら。
クレアは、ジェフリーから託された花の栞を、そっとノートの上に置いた。
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