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――そうしてクレアは、エリシアの部屋を離れ、魔法学院を後にした。
これで、ジェフリーに託された最期の任務は完了だ。
明日からは、これまで通りアストライアーの隊員として、国からの指令を全うする日々に戻る。
私情を捨て、感情を捨て、国の平和維持のために生きる従順な駒。
それが、自分。
その生き方に、疑問も悲壮感も抱いてはいない。
何かを為したいという私欲もない。
しかし、どういうわけか、クレアは……
その後、"命令にないはずの行動"を取ってしまうのだった。
* * * *
――花の栞を届けた翌日。
クレアは、清掃員の装いに身を包み、再び魔法学院へ足を運んでいた。
エリシアが栞の存在に気付き、無事に受け取ったのかが気になり、居ても立っても居られなくなったのだ。
こんなことは初めてだった。
こんな、何かに突き動かされるような衝動は、抱いたことがない。
だから彼は、脳内で必死に理由を探した。
(これは、命令の一部……エリシアに栞を届けることが任務なのだから、それが完了したことを見届けるのは当たり前……)
そう自分に言い聞かせながら、彼は昨日と同じように、清掃員のフリをする。
そして、エリシアが授業を受けている教室の窓を、そっと覗き込んだ。
彼女は、教室の真ん中あたりの席に座っていた。
昨日と同様、凛とした眼差しで教師の話を聞いている。
その視線を、ふと、エリシアは机の上に落とした。
そして、何かを手に取り、目の前に掲げる。
それは、栞。
昨夜クレアが届けた、ミルガレッタの花の栞だ。
エリシアは、しばらくそれを見つめると……
――ふわ……っ。
……と、嬉しそうに、笑った。
その可憐な微笑みを目にした瞬間――
クレアの心臓が、トクンと、不規則な脈を打った。
同時に、胸の辺りをきゅっと絞られるような、妙な感覚を覚える。
未だかつて感じたことのない、鼓動の高鳴り。
クレアは、心臓に異常が生じた可能性を考え、自分の身体の状態を観察する。
しかしその鼓動は、病のように不快なものではなく……
(……何なんだ、一体)
この感覚の正体はわからないが……
何にせよ、エリシアの手に無事に栞が届いたことはわかった。
これで、今度こそ……任務完了だ。
「………………」
そう考えた途端、今度は別の感覚に襲われる。
やり残したことがあるような、気がかりなことがあるような、スッキリしない感覚。
もしかして、これは……『名残り惜しさ』というやつか?
まだこの場にいたいと……もっとエリシアを観察していたいと、そう思っているのか?
(あり得ない。俺が……任務の標的に、こんな"執着心"を抱くなんて)
クレアは戸惑う。
昨日から、どうにも変だ。
十八年間生きてきて、これほどまでに感情が揺れ動くことはなかった。
何故だ?
ジェフリーの死により、精神状態が不安定になっているのか?
それとも……
相手が、エリシアだから?
「………………」
その答えを探るように、今一度エリシアを見つめるが……
高鳴る鼓動は、ますます加速するばかりで。
……そこで。
(…………あ)
クレアは、思い出す。
ジェフリーが遺した、最期の言葉――
『……俺の娘を……見守ってやってくれ』
……そうだ。
あの人からの命令は、花を届けることだけじゃない。
"エリシアを見守ること"。
なるほど。だからやり残しがあるような、妙な感覚だったのだ。
この言葉を、忘れていたから。
これからも、エリシアを見守り続ける。
だってこれは、命令で、任務だから。
そう考えた途端、クレアは心が軽くなったような気がして。
小さく息を吐きながら、その場を離れる。
そして、最後にもう一度、教室の方を振り返ると、
(……誕生日おめでとう、エリシア。また、様子を見に来ますね)
そう、胸の内で言葉を贈り――
任務の第一段階を、終えたのだった。
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