はじめまして(ずっと貴女を見ていました)。

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はじめまして(ずっと貴女を見ていました)。

   それは、どんな気持ちだろう。  例えば、新しい土地での生活。  知らない景色、知らない隣人。  例えば、新しい学園生活。  初めての先生、初めての友人。  例えば、新しい仕事。  初めての職場、初めての同僚。  人は、新しい環境に身を置いた時。  あるいは、初対面の相手と出会う時。  どんな気持ちになるのだろうか。  仲良くできるといいな、という"期待"。  上手くやっていけるだろうか、という"不安"。  きっと、そんな気持ちを抱く者が多いだろう。  しかし、彼の場合は――  その、どちらでもなかった。  クレアルド・ラーヴァンス。  それが、彼の名だ。    焦げ茶色の髪。  同色の、切れ長の瞳。  鼻筋の通った、端正な顔立ち。  引き締まった長身をアーマーに包み、腰には長剣を携えている。    そんな、剣士然たる出で立ちをした彼は今、人を待っていた。  仕事のパートナーとして共に旅をすることになった、()()()の相手を。  待ち合わせ場所は、アルアビス王国の王都の南に位置する門。  行き交う人々には目もくれず、彼はただじっと、通りの向こうにある一軒の料理店を見つめていた。  その店の扉が開き、中から一人の少女が出てくるのが見える。  少女は店内を振り返り、店主と言葉を交わし、何度も手を振って、ようやく扉を閉めた。  そうしてクレアルドの方へ、真っ直ぐに歩いて来た。  クレアルドは、口元がニヤつきそうになるのを、穏やかな好青年の微笑に変えて誤魔化す。  ……彼女だ。  これから、共に旅に出るパートナー。  今日、()()()()()()()、仕事仲間。    しかし彼は、"期待"でも"不安"でもない、ある特別な感情を抱いていた。  それは……  "劣情"。  ……否、表現が直接的過ぎたか。  つまりは、ある種の興奮を覚えているのである。  何故なら、彼は……  と、料理店から出てきた少女がこちらに気付き、伺うような表情で歩み寄り、 「あなたが……クレアルド?」  鈴を転がすような、可憐な声でそう尋ねてきた。  彼は、静かに頷く。 「はい。あなたは……エリシア・エヴァンシスカさんですね?」 「そうよ。はじめまして」  そう言って微笑む彼女は、瞳の大きな、可愛らしい少女だった。  ピーチブラウンの艶やかな髪を肩で切り揃え、耳の横だけ三つ編みに結っている。  ブラウスの上にフード付きのローブと軽量型アーマーを身に付け、下にはスカートと黒いスパッツを穿いている。  そして、肩からかけた革紐の先には、鞄ではなく、分厚い辞典のようなものがぶら下がっていた。  ……というのが、今、目の前にいる彼女の姿から見て取れる情報だ。  しかしクレアルドは……脳内ですかさずこう付け加える。  エリシア・エヴァンシスカ。  十八歳。  天涯孤独で、遠縁の親戚宅で育つ。  利き手は右。利き足も右。  しかし、睡眠時は左を向いて丸まって眠ることが多い。  魔導士への登竜門、国立グリムワーズ魔法学院を三年飛び級して卒業。  明晰な頭脳と天賦の才能を持ち合わせた、天才魔導少女である。  先ほど彼女が出てきた店は『ベアンズミート』というステーキ屋で、彼女が週に一度は必ず訪れるお気に入りの店だ。  ……そう。  彼女はかなりの美食家で、何よりも"食"を愛している。  食べるために生きていると言っても過言ではない。  逆に、"食"以外のことにはほとんど興味を示さない。  彼女の行動・言動の根底には、全て"食"がある。  だから、まともな恋愛をしたことがない。  異性に言い寄られても、(ことごと)く突っぱねてきた。  恋愛というものに、"美味しいものを食べること"以上の必要性を感じないからだ。  つまりは、男性経験ゼロ。  こんなに可愛いのに、まだ誰とも交際したことがないなんて、奇跡に等しい。  顔良し。頭良し。おまけに愛想も良くて、努力家。  嗚呼、可愛い。可愛すぎるよ、エリシアちゃん……!  ……などと、知り得る限りの彼女のプロフィールを、(つまび)らかに脳内で羅列しておきながら、 「()()()()()()。よかった、無事にお会いできて」  クレアルドは、にこりと爽やかに、()()()の挨拶を交わす。  それに、エリシアも軽く微笑んで答える。 「エリスでいいわ。あなたのことは……クレアって呼んでもいい?」 「ええ、もちろん」 「それにしても、大変だったわね。元は軍の諜報部のエースだったんでしょ? それが、なんでこんな末端の仕事に回されちゃったわけ?」 「ちょっと、任務でミスをしてしまいまして。あっさりクビになってしまいました」  エリスの問いかけに、クレアは笑みを崩さずそう答える  その返答に、エリスは眉を(ひそ)め、聞き返す。 「その割には全然落ち込んでいなさそうね。あんたっていつもそんな風にヘラヘラしているの?」 「あぁ、すみません。職業病なのです。こうして笑っていると、相手が警戒を解きますから。不快なようでしたら、以後気をつけます」 「いや、別にいいわ」  どうでもいいから。  きっと後には、そんな言葉が続くのだろうと、クレアは思う。  サラッと答えた後、エリスは拳をぐっと握り、目を輝かせながら語る。 「ちなみにあたしは、自分から志願してこの仕事に就いたの! あなたは不本意かもしれないけれど、あたしは超ヤル気だから!」 「ほう。それは何故ですか?」 「決まっているじゃない!」  彼女は腰に手を当て、クレアの顔を覗き込む。  そして、 「国から経費とお給料をもらいながら、全国津々浦々を旅できるのよ? そこでしか食べられない美味や珍味の数々……嗚呼、想像するだけでよだれが出てくるっ! 治安調査なんてぱぱっと済ませて、報告書もちゃちゃーっと片付けて、ご当地グルメを堪能しまくらなきゃ!!」  と、握った拳を天高く突き上げるエリス。  清々しい程に不純な志望動機である。 「あなたも前職から左遷させられたばかりで落ち込んでいるかもしれないけど、美味しいものを食べればツライことも忘れちゃうはずよ! やっぱり人間、生き甲斐がなくちゃね。あたしはとにかく、美味しいものを食べるために生きているの。あなたには何か、そういうものはないの? 好きなものとか……生き甲斐と呼べるもの」  ふいに、エリスにそう尋ねられ、クレアは考える。 「生き甲斐、ですか……」  そして……  その整った顔で、ふわりと優しく笑って、 「私の生き甲斐……『貴女(あなた)』では駄目ですか?」 「…………は?」  いきなりそんなことを言われ、エリスはあからさまに顔を(しか)める。  そんな反応も()()()()()と、クレアは思う。  ──「はじめまして」という挨拶に、偽りはない。  だって、こうしてきちんと対面し、言葉を交わすのは初めてなのだから。  一方で。  彼は、ずっと前からエリスのことを知っていた。  ずっとずっと、彼女を見てきた。  それは、『生き甲斐』と呼べる程の執着で……  (いぶか)しげに眉を寄せる彼女に、彼は「ふふ」と笑うと、 「すみません。実は私……  貴女の、ストーカーなのです」  そう、あらためて、自己紹介をした。    
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