もしかして:嫉妬

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もしかして:嫉妬

 アンリはその日一日中、ずっとご機嫌だった。初めて昼食を友人と食べて、放課後も初めて新しい図書室へ行って自習した。勉強後も、夕食を彼らと一緒に食べた。就寝準備のために名残惜しくも彼らと別れ、一人で自室へ戻る。 「楽しかったなぁ」  そうして一日を終えようとしたアンリの前に、レオナードが現れた。アンリの部屋の扉に、もたれかかって立っていた。レオナードは「来たか」と呟き、アンリを睨む。アンリは、自分が抱えた荷物をきゅっと抱きしめた。 「で、殿下……こんばんは……」  思わず、じりじりと後退する。彼は随分と不機嫌なようだった。そしてその心当たりも、レオナードが自分を訪ねてくる心当たりも、アンリには一切ない。  レオナードはゆっくりアンリに歩み寄り、顔を覗き込んだ。その顔は不貞腐れていて、ますますアンリは混乱する。 「……どうして、俺のところに来なかった」  アンリの世界は、時を止めた。固まるアンリに、レオナードは拗ねたように続ける。 「旧図書室に、どうして来なかった。待っていたんだぞ」  想定外の質問に、アンリの頭はショートする。なんとか弁明をしたくて、必死に言葉を探した。 「で、でも……殿下には、たくさんご学友が、いらっしゃるじゃないですか……? その人たちとは……」  まるで、自分が学友の一人のような話し方をしてしまった。慌てて口をつぐむアンリに、レオナードは不機嫌そうに目を眇める。 「まだ歴史学を教え終わっていない」 「もう授業の予習以外、やることないじゃないですか」  思わず口答えすると、彼は「とにかく、なんで俺のところに来なかったんだ」とアンリの手を掴んだ。あれよあれよと彼の自室に連れ込まれ、アンリは目を白黒させる。彼はベッドにアンリを座らせ、自分は勉強机の方に立った。 「申し訳ありません。友人と、新しい方の図書室で、勉強していました」 「先約は俺だ」  そう言い放つ彼を前に、とてもではないが「約束なんてしていない」とは言い出せない。アンリは無言で頷き、しばらく返事のために考え込んだ。レオナードは、アンリの言葉を待ってくれる。  しかし考えても考えても、答えが出ない。アンリが途方に暮れてレオナードを見上げると、彼は椅子に座って足を組んだ。 「……先約を反故にされて、俺がどう思ったか、分かるか」  憮然とした彼に、アンリは素直に頭を下げた。 「申し訳ございません」  うん、とレオナードは頷く。少し刺々しい雰囲気の和らいだレオナードに、アンリはほっと胸を撫で下ろした。へにゃりと笑うと、彼は少し怪訝な顔をする。 「殿下って、案外、僕と同類なんですね」  レオナードの顔から一瞬、表情が抜け落ちる。アンリはそれに構わず、ベッドから立ち上がった。 「ほっとしました。あなたも僕と同じ、やきもちを焼く人間なんだなって思って」  アンリはいそいそと荷物をまとめ、部屋を出る支度を整えた。その間、レオナードはずっと沈黙を保っている。 (僕なんかの前で感情的になって、恥ずかしかったのかな)  暗殺者教育の中でも、感情を表に出すなと口酸っぱく言われていた。そうすることは、はしたなくて幼稚だとも。 (そう考えると、さっきのって、ものすごい失言だったかも)  もしかしなくても、そうだ。ひやり、と背筋に冷たいものが走る。恐る恐る振り返ると、彼はずっと俯いて考え込んでいた。  アンリは何か言おうと口をぱくぱくさせたが、何もかもが彼を侮辱する言葉のように思えて、やめた。諦めて部屋から出ようとするアンリの背中に、レオナードが声をかける。 「明日は、こちらに来るだろ」  ぱっと振り返ると、彼は足を組み替えてそっぽを向いていた。アンリはうずうずする心を抑え、俯く。 「考えさせてください」 「は?」  顔を顰めるレオナードに、慌てて首を横に振った。 「明日も一緒に過ごすつもりで、友人たちと話していたので」  それに、アンリはレオナードに差し向けられた暗殺者だ。彼と仲良くする資格なんて、ない。レオナードは、不服そうに目を眇めた。 「具体的な約束はしたのか?」 「し、てません」 「なら、俺の方が優先のはずだ」  そう言って、彼は立ち上がった。アンリの身体越しに扉を開ける。出ていけ、ということだろうか。  途方に暮れるアンリに、レオナードは「いいな」と念を押した。 「明日は、こちらに来るんだ」 「はい……」  うなだれて返事をする。アンリの主張なんかより、レオナードの言い分が正しいような気がしてきた。  アンリがすごすごと部屋を出ようとすると、「アンリ」とレオナードが呼ぶ。 「はい……」  しょぼくれたまま振り返ると、彼は気まずそうに視線をそらしている。さっきまでとの落差に、アンリは思わず吹き出してしまった。 「笑うな」  そう言うレオナードは、怒っているようにはとても見えなかった。  アンリはこれまで、他人と親しく接した経験がほとんどない。それでも彼が、アンリに敵意を持っていないことくらいは、よく分かった。 「おやすみなさいませ、レオナード殿下。また明日」  するりと彼の横を抜け、頭を下げる。そのまま自室へと帰るアンリの胸は、痛いほど脈打っていた。 (嬉しい。申し訳ない)  走り回って叫びたいような、ひとりでベッドに蹲りたいような。悶々とひとり考え込むアンリは、レオナードがその背中を見送っていたことに、気づかない。
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