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2 鎮守様の前祭り
「松風さん、今日、鎮守様の前祭りなんだって」
翔太はいなりを煮込む鍋の火を止めて、有咲を振り返った。
「あぁ。そう言えばそんな時期だったか」
鎮守様はこの地域を護っている神さまで、前祭り、本祭、後祭りを含めて三日ほどの祭りだった。
「後で鎮守様のお参り、一緒にいかない?」
「今、いなりが煮上がって寝かせるところだからちょうどいいな」
調理場から出てきた翔太は真っ白な和食帽を脱いだ。
ツンツンと毛先が立った短髪の黒髪が現れる。
二人は店から出て、夕暮れが近づいた空を見上げながら、鎮守の森に向かって歩いて行く。
鎮守の森は町外れのこんもりした丘の上にあり、上れば街が一望できた。
暮れてきた空は、少しの間に花色、紺色、青褐、濃紺と鮮やかに夜空の色と趣を変える。
いつもなら暗い道も、今宵は祭りのため両端に提灯が吊るされ、鎮守の森の祠まで明るく照らしていた。
家族連れや友達同士で訪れた、たくさんの人々は一様に明るい表情をしている。
ふ、と息をついた有咲の横顔を翔太がチラリと見る。
楽しそうに歩いてお参りに向かう、周りの人たちを見ながら、有咲が話す。
「鎮守様のお祭りはいつも楽しみだったの。おばあちゃん、おじいちゃん、お父さん、お母さん、家族みんなで出かけてね。私はいつもおじいちゃんの手を引いて、鎮守様の祠に向かう石段を上ってた。帰りに屋台でかき氷買ってもらおうかな、なんて考えながら」
翔太はいつもどおり、黙って有咲の話に耳を傾ける。
「家族みんなで出かけたのなんて、たった数年前の事なのにな。もうずぅっと前の事にも思えるよ。おばあちゃんが亡くなって、お父さんとお母さんが亡くなって。おじいちゃんが入院して。人生って目まぐるしいね」
そう言うと、有咲は寂しそうな笑顔を浮かべる。
「あと一回でいいから、お父さんやお母さんとお参りしたかったな……」
瞬間、頭に翔太の大きな手がポン、と乗った。
「心の中で会えるさ。祭り期間の願い事は叶うんだろ。お願いして来ようぜ。二人で」
頭に乗せられた翔太の手に自分の両手を重ねて、笑顔を向ける。
「それに、お店の繁盛もね!」
「おいっ、大事な願い事は一つだろ」
「どっちも大事だもん」
朗らかに笑いながら、二人は石段を上って行った。
鎮守様の祠は混み合っている。
有咲と翔太は、手早く拝んで店に戻ることにした。
「あんなに早く拝んで、鎮守様に願い事届くのか?」
「鎮守様は、この地域に住む人たちの護り神だから。どんな人の願い事も聞いてくれると思うよ。それよりさ、お祭りの出店に、うちも出店できないかな」
「ちゃっかりしてんな。やり手ババアか。出店、参道は申請してないから駄目だと思うけど、うちの店前なら有りかもな」
朗らかな有咲の言葉に笑っていた二人は、祠脇の植え込みがガサガサしていることに気づかなかった。
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