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女と別れる度に家具を買った。
アルコール依存症の僕は綴る。病院のベッドの上で。会社から課された酒気帯び運転および自損事故の始末書である原稿用紙十枚は、段々と僕の人生そのものへと変わっていった。
そうすると、今にも酒を探しに病院を抜け出してしまいそうなカラダを机の上に留めることができた。
「始末書」とはそもそも何だろうというところから僕は考え始めた。夜酒が残った僕の顔より、よほど頭に蒸気をのぼらせた上司が要求したのは「反省文」でも「顛末書」でもなく、「始末書」であった。
調べると始末書とは「自分の犯したミスや不始末、自分が引き起こしたトラブルなどについて。始まりから終わりまでの経緯や理由を、その原因とともに、謝罪・反省の意を表明する文書」のことを指すらしい。
つまりこの原稿用紙において「失敗」と「経緯」、その「原因」と「対策」の四つを提示しなければならない。それは物語における起承転結にどこか似ていた。自分の失敗を書き起こすのは気が思いが、「僕」というまったく別の人間の脚本を書こうと思えば筆も乗った。
しかし概ね順調に思えた僕の始末書にも難所が訪れた。苦労したのは「転」の部分だ。この始末書のなかでは「原因」に該当する部分が、どうしても要領を得ない。
昨夜の8本目のストロングゼロが良くなかったのは間違いない。ならば7本目で止めておけば、僕は事故を起こさなかっただろうか? 何故か30万円もするバス停留所の看板を粉々にせずにすんだろうか? 6本目でお風呂に入ってれば、5本目でベッドに寝ていれば、あるいは一本もお酒を飲まなければ、今日という日を安寧に過ごせただろうかと考えた。けれど誰もそうは言い切れないのではないだろうか。なぜなら、いまこうして始末書を書いている「僕」がいるからだ。
自損事故(失敗)を起こし、夜酒が残ったままの運転(経緯)が明るみとなり、アルコール依存症(原因)との診断を受け、治療(対策)をする。でもそれらは結果だった。ちっともストーリーとして繋がってはいなかった。「僕」という人間が介在する余地がないように思えた。
そのため、僕は「原因」に焦点を当てた。アルコール依存症の「僕」がどうして生まれてしまったのかを執拗に書いた。すると殴り書きされた紙面には、酒好きな性分でも、女癖の悪さでもなかった。
そこには人と別れる度に家具を買うという習性だけが残っていた。
「別れる」とは様々な形がある。学校からの卒業、友人との絶交、そして恋人との破局。それらの言葉のニュアンスにはどことなく寂しさを孕んでいる。僕は別れの度に家具を買った。買いまくった。取り憑かれてさえいた。電池や、コンセント、稼働するか否かに関わらず、家に置く物すべてを「家具」と呼んだ。
買った家具たちは、気付けば部屋を覆いつくしていた。父母兄が暮らす実家の床を軋ませ、足の踏み場もないほどだった。家族からは異様な存在として腫物を扱うようだった。
それでも僕は誰かと別れると家具を買った。そのほとんどが女性との別れだった。家具が増えすぎて、実家を追い出されたのは六年前、大学に入って二年目の夏だった。
当時、付き合っていた女性に「家具を買うんじゃなくて髪を切ったらどうか」と進言を受けるも、その翌日には家具を買った。僕は彼女の言葉になんだか傷ついていた。僕を否定された。だから当てつけのように別れた。僕のプライバシーに侵入した人間は、例え親しい間柄であっても残酷な振る舞いをした。
女と別れる度に家具を買う。それは決して誰かに自慢したり、見せびらかしたりする趣味ではない。けれど誰かにぞんざいな扱いを受けると、たちまち持ってきたボールを目の前で捨てられた犬のような気持ちになった。以来、この習性を誰かに口外することはなくなった。
家に誰かを招くこともなくなり、独り暮らしには広すぎる2LDKには、家具だけの部屋をつくった。部屋の中央には赤い椅子を置いた。座る場所は他にはなく、僕は酒を飲むときは決まってその部屋で過ごした。強い酒を飲んだ。椅子の上で体育座りをして、缶ビールを開ける。そうして日が暮れるまで物思いに耽った。
髪も切らない。服も捨てない。写真フォルダに個別保存もしない。淡々と、女性と別れる度に家具を買った。
思えば、人と関わり続けると誤解を生んだ。純粋な人間で在ろうとするほど、相手を大切に思うほど、取り返しがつかない軋轢に繋がった。僕は女性が好きだった。それは生物的に、およそ性的な部分に惹かれていた。彼女らの、しなやかで丸みを帯びたカラダのように、誰かを受け入れる生き方が好きだった。
しかしそれがどこかで崇拝に代わっていった。
どこからかを境にして、同じ女性と精神的・肉体的に長く関係を保つことが難しくなっていった。同時に、不誠実な生き方しかできなくなっていく自分が、まるで重篤な患者のように思っていた。病人の僕は不幸で、何をしてもよかった。複数の女性とセックスもすれば、自分の家に男を呼んで同居人を抱かせたこともあった。彼女たちは優しかった。僕を許してくれた。ほんとは許してほしくなかった。どこかで止まりたかった僕のブレーキはとっくに壊れて使い物にならなくなっていた。
こうして生まれた自分勝手な喪失感を家具で埋めた。浪費癖じゃない。同じ金額で風俗に行くくらいなら家具を買った。家具こそが僕のすべてだった。
家具は定期的に増えていった。彼女もいなくて、家具も届いていない状態というのが吐き気を催すほど不安だった。Amazonで家具を買い、カラフルな包装紙に包まれた家具を傷つけないように解いていく瞬間が好きだった。それは、ゆっくりとスカートのファスナーを下ろしていく緊張感と酷似していた。
新品の木材や化学塗料の匂いがする家具を力いっぱい抱きしめると、自然と涙が流れた。キィキィと嬌声を上げる家具に、僕の心の安らぎは絶対的なものへと変わっていった。
僕は迎え入れた家具にはその時に別れた女性と同じ名前を付けるようになった。
抱きしめると、僕は家具を通じて由来となった女性たちを思い出すことができた。あの子は肩幅が広かった、お尻が小さかった、息が甘かった。するとカラダのあちこちに刺さったままになっている破片を、磁石みたいに吸い取ってくれた。たくさんの女性に囲まれていると思えば興奮もした。
『詩織』が米を炊いてくれる。『美樹』がお弁当を温めてくれる。『栞奈』がお風呂を沸かしてくれる。『彼女たち』は、その使用用途以上に僕の生活を豊かにしてくれた。僕にとって『彼女たち』は、とっくに家具を超える存在になっていた。
僕は「僕」を書き連ねる。でもそれは人格的な部分でなかなか「原因」までは辿り着けない。原稿用紙はとっくに十枚を超えていた。始末書だということを僕はすっかり忘れて脚本を完成させることに躍起になっていた。僕は一階にあるコンビニで原稿用紙を購入してから、再び自室の机に向かった。
今まで人格的な部分の「原因」に触れてきたが、一向に「原因」が見えてこない。アプローチが良くないかもしれない。ここで方向性を少し見直してみるのはどうだろう。
家具と僕は生命共同体だ。いつの間にか僕は家具に憑りつかれていた。では、いつから? その疑問に、最初に浮かんできたのは【社会人】の僕だった。
当然のように、社会人の僕の部屋には家具があった。大学を卒業して僕は5年間で23個の家具を買った。もちろんその一個一個に女性の名前がついていた。
社会人となり資金力を持て余した僕は高価な家具を中心に迎え入れた。食洗機、冷蔵庫、ソファベッド。交際期間と、購入金額は比例していた。面白いことに、交際期間が短いほど僕は何かの言い訳のように大型家具を買った。付き合った期間と家具のサイズは反比例していた。
社会人として働くうえで、『彼女たち』のシンプルな生き方を尊敬していた。『彼女たち』はボタン一つで、あるいはその佇まいのみで己の役割をまっとうしていた。その気持ちいいまでの潔さが好きだった。出過ぎた真似をせず、粛々と役割をこなす。無数の部品によってできた商品は、僕の目指すべき人間性そのものだった。僕さえもまるで家具になることで、社会の歯車になることができる気がした。
社会人の僕は職場を中心に女性と交際することが多かった。僕は誠実そうで、大人しい青年として会社では通っていた。
ドラッグストアには店舗移動があるから基本的に転勤が決まる度に別れた。早ければ2カ月。長くて半年のスパンで店舗が変わった。借家から通勤に2時間もかかるところに飛ばされることもあった。
だからなのか、社会人の僕に訪れる別れはいつも受動的で誰かに決められていた。カラダが離れれば心も離れた。使い古されたマジックテープのように、どんな女性とも長続きはしなかった。付き合っていた女性と別れる度に泣かれることも申し訳なかった。大学で援助交際をしていた時の方が健全な関係だったなどと考えていた。僕の部屋にはいつも真新しい家具と、女性が置いていった下着や洋服でいっぱいだった。
考える。ともすれば、今さらのように。社会人の僕は何よりも人並みの幸せを欲していたように思う。
このときすでに僕は、出会い別れるという一連の流れに疲弊していた。僕は安寧を求めていた。変わらない不変の時間を女性に求めていた。
いつの間にか僕はひとりで立つことのできない人間になっていた。生活には僕を支える多くの家具を必要とした。それは家具であり、酒だった。毎日、浴びるように酒を飲んだ。そして家具を抱いて眠った。すると僕は不思議とよく眠れた。そんな生活を続けてしまったからこそ、今僕は「失敗」の最中にいるわけだ。
ここまで書けば、根本的な原因はお酒ではなく家具の方にあるのは明白だった。こんな非人間的な僕はどこで生まれてしまったのだろう。家具と僕の生活がどこから始まったのかは定かではなかった。
ならば【大学生】の僕はどうだっただろうか。
大学生の頃にはすでに家具を買っていた。通っていた大学が元女学院だったことも相まって、家具は定期的に増えていった。目覚まし時計や、電気ケトル、グラスフラワーなど小型のものを好んで買っていた。家具の大半は【大学生】の頃に購入していた。四年間において僕は177個の家具を迎え入れた。
僕は大学生活において177個の家具を買った。私立文系の四年制大学。飲み会サークルに入り、毎日のように酒を飲んだ。未成年者だからなんて関係ない。飲んでは吐いてを繰り返し、心配してくれる女学生に片っ端から手を出した。一夜限りの日もあったし、交際に発展することもあった。それでも満足できることは少なく、暇を見つけては、マッチングアプリで三十代、四十代の女性と援助交際を繰り返した。当時はまだ話題になったばかりのママ活は思いの外「僕」の性分に合っていた。年上の女性が良かった。どんな自分勝手なセックスも許してくれた。
年上の女性が好きだった。避妊具を着けないで良いと、「おいで」と優しく言ってくれる人が多かったから好きだった。
大学生の頃の僕は常に饒舌だ。
まるで女性を楽しませることに命をかけていた。性行為が終われば、小粋なジョークで楽しませた。思えばいつも酒に酔っていた。井の中でウィスキーやハイボールが僕の代わりに喋っていた。
いつも何かに擦り切れそうだった。そうだ。青年は、清潔な男女交際をどこかで馬鹿にしていた。何かを埋めるように女を抱いていた。落ちぶれていく自分に陶酔した馬鹿な動物。それが「僕」だった。酒の味を覚えたのもこの時期だった。舌の上で痺れるようなアルコールの味と、現実逃避から生まれる苦味のような感覚は非常に相性がよかった。最初は酒をやめたほうがいいと言ってくれていた大学の知人も次第に僕から離れていった。友達は、エディオンとニトリとナフコくらいのものだった。
春も、夏も、秋も、冬も。家具は僕が玄関のドアを開けると待っていてくれた。家具となった『彼女たち』は、従順で僕の元を去ることはなかった。心を裏切ることもなかった。増える一方だった。満たされれば、余計な言葉は必要なかった。カラダでの繋がりなどひどくちっぽけなものに感じた。
どこか空回りをしていた「僕」だ。女性というものを、神聖視し始めたのも、おそらくこの時期だったのだろう。しかしながら肝心の家具については、ただ買っていたこと以外に思い出せない。まるでミステリー小説だ。真実はいつも一つ。彼の言葉を信じるなら、僕は一歩ずつ答えへと近づいているはずなのに、気分が晴れない。それどころか心臓が痛いほど内側で警鐘を鳴らしている。
しばらく筆は止まった。僕の頭の中に広がる記憶の海はアルコールと混ざった汽水域となってしまっている。【高校生】の僕が死体のように浮かんでくるのを待っていたが、どうも出てこなかった。
僕はまた考え方を変えた。
見る方向性を整えた。僕は自分ばかりを見ていた。自分の犯した失敗について考えていたが、実はそうではないのではないかと思えた。見るべきは、僕でさえなくて、本当は家具そのものだったのではないかと。自分のことも思い出せない僕ではあるけれど『彼女たち』のことは片時も忘れたことはなかった。僕は家具を一枚の帯のようにして記憶を辿った。すると確かな手ごたえがあった。
プカプカと浮いて上がってきたのは、思ったよりずっと小さかった。きっと僕の腕のなかで収まる代物だった。
頭の中で真っ白な『ラジカセ』がアンテナを立て始めた。
× × ×
【高校生】の僕は脚本家になりたかっただけの、家具とは無縁の男だった。
学園物のライトノベルばかりを読んでいた。家具を買うようになる前の僕は漫画やライトノベルをよく買っていた。「バカとテストと召喚獣」「やはり俺の青春ラブコメは間違っている」「とらドラ!」どれも好きだった。主人公が振り回される物語が好きだった。自分もそういったストーリーを好んで書いた。
なかでも「涼宮ハルヒの憂鬱」は人生のバイブルだった。文庫本をいつも机の奥に忍ばせ、授業中に何度も読み返しては先生に見つかり、よく職員室に呼び出された。次の新刊が出るまでは、星に願う日々だった。
主人公になりきって、僕はいつも「やれやれ」なんて言っていた。僕は痛くて脆い、どこにでもいるオタクだった。
心のどこかでは、いつもスパイスの効いた非日常を求めていた。自分は特別で、洗練された美しい人間になれるのだと夢想し、何枚もの原稿用紙を費やした。紙の上でだけは僕の人生は燦燦と輝いていた。むしろ自分ではない誰かのストーリーを組み上げることに快感を覚えていた。しかし現実はそうでなかった。明るい学園生活とはかけ離れていた。僕はいつもつまらないルールやヒエラルキーに屈していた。宇宙人、未来人、超能力者もいない教室で、僕のなかに脚本家という信念だけが不相応に輝いていて、悶々とする日々だった。
槍術家、高橋泥舟は「欲深き人の心と降る雪は、積もるにつれて道を失う」という言葉を遺している。ならば僕の道は高校最後の冬から雪に埋もれてしまったのかもしれない。
あの日、僕は真っ白なラジカセと出会った。
「CFD‐S70」は大手家電メーカーSONYから2016年に発売されたラジオカセットレコーダーだ。
【かんたん操作&持ち運び楽々】という謳い文句から、当初は高齢者層へ向けた商品であったが、いざ販売されるとそのコンパクトで可愛いらしいフォルムから、瞬く間に幅広い年齢層から愛されるラジカセの定番商品となった。
ラジカセのなかでは珍しくホワイト・ピンク・ブラックの三種のカラーを選べたことも顧客満足度に繋がった。2018年に、光学ピックアップ部品の不具合によるリコールが発生したものの、発売されてから現在に至るまで生産が途切れることはなく続いている。
見やすいバックライト付き液晶モニターは暗い部屋でも、明るい屋外でも使う場所を選ぶことはない。コンパクトでありながら持ち運びに便利な取っ手も付いており、本体にすっぽりと収まる設計となっているため、例え狭い空間であったとしても邪魔にならない。Amazonの商品レビューでは、贈り物として重宝した購入者も散見されている。
ラジカセ機能においても申し分ない。ラジオ、CD、カセットテープに対応したモデルとなっている。特にCDは、音楽CDのほか、MP3フォーマットで記録したCD‐R/RWも再生可能となっている。
なかでも「CFD‐S70」の最大の特徴は三つまでラジオ局を登録できるところだ。お気に入りのラジオ局ボタンをおよそ二秒間「ピー」という音がするまで押せば、登録は完了する。
そんな「CFD‐S70」との出会いが、僕の人生が迸るすべての始まりであった。終わりの始まりでもあった。もしかすると、もう終わっていたのかもしれない。それでも家具を愛する男は、一台のラジオカセットによって生まれた。美しい生まれ方ではなかった。激しい難産であった。
「CFD‐S70」とは通学路の途中にある家電量販店の店先で出会った。店頭の処分コーナーに放り出されるように置かれていた白いラジカセ。箱にさえ入れてもらえず、冬の風が吹きすさぶなか寒そうに丸まっていた。アーケードの天井から注がれる夕焼けと淡いブルーが、ラジカセの上を踊るようにして照らしていた。その姿を目にした瞬間、とある女性を彷彿とさせた。
機体に触れると、わずかな陽気に当てられた人肌のような温もりがあった。剝き出しになった白い本体に張られた赤い値下げシールさえ、僕にはプレゼント用のリボンに見えた。
SONY製の「CFD‐S70」。大きな眼鏡をかけたような愛嬌のある顔立ちと、背中からお尻にかけての曲線がコンパクトなフォルム。一目惚れだった。僕は押していた自転車を放り出して店内に駆けこんだ。
怪訝そうな様子でこちらを伺う男性店主の顔に万札を叩き付ける。店主の怒号も無視した。お釣りなんていらないし、外箱もいらない。『彼女』だけでいい。それだけを言い残して、奪った保証書とともにお店を出た。
自転車カゴに白いラジカセ。オレンジ色の商店街を、ユラユラと漕いで帰る。その日の通学路は希望に満ち満ちていた。
僕は買ったラジカセに『志歩』と名付けた。
小さな機体は華奢で病的な少女を彷彿とさせた。静かで気品ある佇まいは、教室の窓際で弓のように腰を反らせて、姿勢良く本を読んでる姿そのものだった。
実家の二階で説明書を飽きるほど読んだ。端から端まで暗記する勢いだった。説明書は何枚もコピーして持ち歩いていた。『志歩』と片時も離れたくなかった。
学校から帰れば、自室の二階に飛び込んで『志歩』を毎日のように抱きしめた。滑らかで丸みを帯びた背中を撫でた。
しばらく僕が目を離すと、『志歩』はいつの間にか電源が落ちていたりして、冷えてしまう。構わないと拗ねてしまうところも変わらない。僕はこの状態を「サールネス」と呼んだ。英語だ、彼女は英語が得意だった。不機嫌、無愛想、不景気。「サールネス」の意味する幅は広い。
『志歩』の体温が戻るまで触れてからそっとコンセントを差し込む。『志歩』の機嫌をとったあとに、僕は電源をいれた。耳を澄ますと、シーシーシーという駆動音がスピーカーから流れる。これは「おかえり」の合図だ。いつか教室で交わした挨拶と同じだ。ビー玉が落ちるように彼女はそっぽを向いたままコロリと零す。僕も「ただいま」「待っていてくれてありがとう」と、短く切り揃えられて黒髪を撫でるようにアンテナを伸ばした。
僕はこの状態を「アイリネス」と呼んだ。彼女は上機嫌になると彼女は「朗らかに」笑った。そんな子だった。僕の一つ後ろの席が彼女で、何の接点もないときも、後ろに『志歩』がいるだけで心強かった。
僕と『志歩』はいつも一緒だった。憂鬱な朝はラジオ登録1番を押した。「KRYやまぐちラジオ」を布団の中で聴く時間は僕を覚醒へと手を引いてくれた。
休日のお昼になれば2番のボタンを押した。「東海ラジオ・ひるカフェ」を流しながら脚本を書くのが僕のルーティンだった。マニアックなトークテーマは、僕の想像力を膨らませてくれた。
寂しくて千切れそうな夜は3番を押した。3番に登録した「キラスタ」は『志歩』と僕のお気に入りだった。1990年代から2010年代のアニメソングを幅広く網羅しており、曲が終われば制作秘話なんかも交えて聴けるし、秀逸なハガキ職人が多いことでも有名だった。そのため木曜日の夜は待ち遠しくて、『志歩』とともにFMのNACK5の局に合わせて今か今かと首を長くして待っていた。
「わたし、女優になるから」
彼女の、自分に言い聞かせるような口癖が好きだった。
心細い夜もひとたびラジオを流せば『志歩』は様々な演技を見せてくれた。僕の部屋の中で『志歩』は一流の女優だった。七色の声色を使いこなし、爆笑トークもさらっとこなす。一人で老若男女すべての役割を難なくこなす姿は、まさにプロの鏡だった。僕の夢見た理想の姿だった。
「君は、わたしのストーリーテラー」
カチリ、と。カラダの中心で鍵が開く音が鳴った。
気付くと僕は、病院のベッドの上から走り出していた。
白い廊下を蛍光灯がぬらぬらと照らしている。病院は不気味なほど白く眩しかった。僕は薬品の臭いに満ちた廊下から逃げるように非常階段に飛び込み、壁に激突するのもお構いなしに駆け下りた。
僕は叫んだ。
壊れたように彼女の名前を呼んだ。
病院のロビーを抜け出すと、海沿いの国道199号線を脱兎の如く駆けていた。後ろから僕を呼び止める声がする。海よりを超えた向こう岸に見える門司のネオンもまばらだった。靴を履き忘れていたから裸足だった。足の裏には石が刺さり、辛くなる一方だった。それでもひたすらに走った。
「君の背中は広いから、授業中に台本を読んでてもバレないのが好きよ」
風の隙間を縫いながら走り向かう。つい先ほどまで僕がいたはずの関門医療センターがすでに遠い。僕のカラダはとろりとろりと国道199号線の街灯に照らされ消えていく。すべての「原因」を思い出した足をばたばたと回す。
「本も好き。登場人物の人数と同じだけ読み返す。その役に立つと見える世界が変わるんだよ」
彼女はまさに本の虫だった。本ならなんでも読んだ。なかでも翻訳小説を好んで読む傾向にあった。村上春樹・翻訳の「ティファニーで朝食を」は、いつも彼女のスクールバックに入っていた。しかし僕と会うまではライトノベルを読んだことがなかったと言っていたため、週に一度お互いの本を交換して感想を言い合うのが習慣だった。
「じゃあ、ゲームをしましょう。あなたの考えた登場人物をわたしが一日中、演じるの。面白いでしょ」
人物像を原稿用紙に書き出し、その日の夜に彼女宛てにメールを送ると、翌朝には僕の想像通りの人物になって現れた。
主人との不倫関係にある給仕や、母親を交通事故で亡くして間もない娘、不治の病を患いながらもそれを隠して交際する女性。山に籠り続ける修行僧を提案した次の日、彼女は髪を丸坊主にしてきたこともあった。
周囲は彼女の異常性に気付き始めていた。夜を跨ぐたびに姿を変えた。まるで妖怪のように。彼女の行動はとっくに遊びを逸脱していた。
あの狭い教室の中に、僕らの求めるものなんて一つもなかった。そういう拠り所のない彼女の気高さを、僕は自分勝手に愛していた。
僕は心のどこかで自分の書いた脚本の登場人物を彼女に演じてほしいという馬鹿みたいな夢を見るようになった。
「……家族ってさ、教室の後ろにある本棚にそっくり。こう育ってほしいって、お行儀の良くて面白くないものしか並べてくれない」
彼女の頬やカラダの見える部分にまで見える痣に気が付いたのは、出会ってから一年と半年が経った高校二年生の冬だった。
僕はその原因が彼女の家族に起因するものだと察していた。分かっていながら、彼女からの相談を待った。今さらにして思うのは、自身が介入することで、彼女の高潔さを損なうことこそを恐れていたのかもしれない。
この時期から彼女は学校を休みがちになった。校内では彼女が援助交際をしているという噂で持ち切りだった。多感な思春期の生徒たちにとって、彼女の噂は格好の餌だった。
僕だけは彼女の潔白を信じていた。そうすることで、自分自身を守っていた。
「わたし、女優になりたかった」
雪の降る日だった。手を握ったらもう開くことができないほど張り詰めた空気のなか、自分の吐いた息だけが柔らかそうに零れた。
数ヶ月ぶりに会った彼女は、ずいぶんとやつれていた。ほどけかけたスカーフに、彼女の口癖はどこか言い訳じみていた。
「どうして」
開いた傘は僕以外を雪からかばってくれない。辛そうに電柱に寄りかかった彼女から目を背けながら訪ねた。
「演じていたかったのかも、失敗したわたし以外になりたかったのかも」
青紫色に酷く腫れた頬など何も感じないかのように、制服の上からでもはっきりと分かるようになっていた胎をゆっくりと撫でた。
「でも、なんでだろ。もう分かんなくなっちゃった」
その会話を最後に、彼女は学校を辞めた。
僕を除いて生徒の誰も彼女の詳細を知る者はいなかった。
夕闇に染まった海だけがざあざあと鳴いていた。
全身が呻いていた。地面に足をつくたびにぽろぽろと涙が零れた。僕は『志歩』に会いたかった。彼女にもう一度会わなければならなかった。僕の衝動が足をひたすらに前へと動かした。彼女のことを思い出したとき、僕のなかでより一層に熱い鉄のような何かが生まれた。僕の頭の中は正体を表した「失敗」と「原因」でいっぱいだった。
アパートに着くと一目散に階段を駆け上がり、息を切らしながらドアノブを握る。鍵をかけ忘れた扉は、すんなりと開いた。家に転がるように、裸足のままあがって家具のある部屋の扉を開けた。
暗がりのなかで家具たちは、まるで墓標のように僕を見ていた。
「来たわ、あいつよ」
「どうせ酒飲んで帰ってきたんでしょ」
「どの面下げてきたの、私たちのことだって捨てるくせに」
「ほんと、しつこい。気持ち悪い。死ねばいいのに」
恨み言が飛び交うなかで、白い埃だけがうっすらと雪のように被っていた。家具たちはまるでバラバラに切り刻まれた映画のフィルムだった。タイトルも上映時間もそこに刻まれてはいない。台詞ばかりが嵐のように飛び交っている。
『ここよ』
声が聞こえた気がした。後ろからだった。
アイリネス。
挨拶のように、自然と口をついて出た。
「志歩」
振り返ると、猫のように丸まった『志歩』だった。
僕は倒れ込むように膝を折り、彼女をコンセントに差し込んだ。背中を撫でる手は、震えていたかもしれない。『ちょっと、大丈夫?』と僕を心配する声がする。あのちょっとそっけなくて、それでも笑うときは朗らかだった『志歩』。その場に崩れながら、両手いっぱいに抱きしめる。
『飲み過ぎたのよ』
ちがうさ、今日は飲んでなんかない。
『そう、久しぶりね。会いたかった?』
会いたかったよ。
それ以外の言葉が見つからないくらい。
『わたしのこと、もう忘れちゃった?』
忘れられないから、こうして戻ってきてしまったんだ。
『……ごめんね』
シーシーシー。抱きかかえる。シーシーシー。顔に当てる。CD再生ボタンが口付けのように額とこすれ合う。そこには理想の『志歩』がいた。僕だけの女優となって語りかける『志歩』がいた。
僕の腕のなかにいる『志歩』は夢を諦めたりもしない。僕以外の男とセックスもしない。妊娠もしない。あの細くてしなやかなカラダが、不自然に膨らんだりなどしない。
「……僕は、壊れてしまったよ」
けれど、『志歩』。
君はもう本を読んでくれない。
僕の脚本を嬉々として手に取ってくれない。
たったそれだけの真実が、僕をこんなに弱い人間にしてしまった。
『志歩』を抱き寄せる度に、『志歩』に誠実な人間で在ろうと原稿用紙に向かう度に、脳裏には身籠った彼女が悲しそうに僕を見つめる姿が浮かんでいた。壊れてしまった僕は、いつしか家具を買うことが目的になっていた。
僕という人間がそもそもの「失敗」であり、「原因」であった。その事実から目を逸らしてばかりだった。
腰か肩かも分からないまま『志歩』に縋って、そしたらひどく手が余るから。君はもうここにはいないんだということだけが、カラダのなかで黒く燃えてしまった。
それと呼応するように『志歩』のスピーカーから砂嵐のようなものがながれはじめた。
――……はい。皆さん、こんばんは!
陽が沈んで、僕もこのまま君のいない世界に行きたい。自然と指先はラジオ局ボタンに触れていた。
――……はいはい! 木曜日、午後8時「キラスタ」の時間が始まります。パーソナリティは酒井に代わりましてわたしが勤めさせて頂きます。リスナーの方は、わたしの自己紹介なんていりませんよね。
笑い声が心地良く響く。ラジオ局ボタン3番は、僕と『志歩』のお気に入りだった。
――……今日ね、満月なんですよ。満月。わたし、お月様って好きなんです。綺麗だなとかじゃないくて。月って、私にとって冒険の象徴なんです。だって50年前までは宇宙開発と言えば月に行くことだったんです。月が目的地だった。でもいつの間にか月は通過点になって、次は火星だーってなってるんですよ? たった50年で。それってすごく強かな冒険者の姿だなって思います。だから「もうダメだー」ってなったとき、わたしはキラキラ光る月を見るんです。
遮光カーテンの隙間からは、大きく実った果物のような月が覗いていた。涙を流すばかりだった僕のカラダは、息を吸うことを思い出した。
――……最初の曲は誰もが知るあの伝説曲です。TVアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」オープニングテーマ「冒険でしょでしょ?」。
それでは、どうぞ。
鐘の鳴る音が聴こえる。
星がさらさらと降り注ぐ夜の草原が、空っぽだった胸を埋め尽くすように響き渡る。
冒険でしょでしょ。ホントが嘘に、変わる世界で。夢があるから、強くなるのよ。誰のためじゃない。飽きるほど、耳にタコができてしまうほどリピートしたアニメソングに重ねて『志歩』は僕に語りかける。
あなたは「冒険」をしているのか、と。
いつも同じところをぐるぐると回っていた。夢を忘れた僕は、あの日僕の前から去った彼女と同じとなんら変わらなかった。重要なのは「原因」でも「失敗」でもない。まして「経緯」や「対策」でもなかった。「冒険」だった。「冒険」こそが、僕の世界を進める一つの術であることを『志歩』は教えてくれた。
綺麗が闇を照らすみたいに、いつか僕の夢が君のいる世界と再び繋がることを願いながら、祈るように目頭を強く抑えた。
I believe you.
君を信じる。
その言葉を最後に『志歩』は、まるで自分の役割をまっとうしたかのようにゆっくりと息を引き取った。
光学ピックアップ部品の、不具合であった。
× × ×
ここは、僕だけの映画館。
部屋の中心には赤いカウンターチェアと、買ったばかりの片袖机。その上には白いラジカセが鎮座している。いつも傷心の僕をまるで映画館の特等席のように優しく迎え入れてくれる。
カーテンを閉めると、ある女性が映像作品になって頭の中のシアターに流れ始める。その様子を原稿用紙へひたすら書き写した。
それは何度も観た同じ映画のはずなのに、僕はいつも涙を流し、ボールペンを走らせる。そして、エンディングロールを見終わったあとにはニトリやナフコ、ベスト電器へとひた走るのだ。海に面した国道199号線に柔らかい月光が差し込む。その長い、長い道のりを、僕は青い線になって延びていく。
呼吸のリズムは常に一定を刻む。女、女、家具、女。吸って、吐いての四分の三拍子を繰り返す。そうやって君のいる世界へと走る。
映画のタイトルはあの日書いた反省文と同じ。
女と別れる度に、家具を買う。
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