後悔の釣り堀

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後悔の釣り堀

「後悔の釣り堀」というお店があります。  その釣り堀は、夏の間にだけ開く釣り堀です。地元ではちょっとした有名店だそうで。聞くところに寄りますと、親子何代にも渡って経営してきたお店らしいです。通りがかったことは何度かございますが、確かに店構えは歴史を感じさせます。  妻の茜と僕、そして十歳になる息子が暮らす家からちょうど二駅離れたところに「後悔の釣り堀」はあります。遠くもなければ、近くもない。そんな位置にあります。なので、生活のうえで別段、気にしてはいなかったのです。  しかし六月の下旬頃でしょうか。地元のテレビ局が「後悔の釣り堀」の特集を組んでいたんです。偶然、その番組を息子の陽太がそれを観てしましてね。  まあ、ご想像の通りです。行きたい、行きたい、と。駄々をこねて。もうそれは、激しい激しい。あれくらいの年頃の地団駄が一番怖いと思い知りました。鼓膜が裂けそうな泣き声は四件となりの田村さんの家まで届いていたそうです。いやはや、申し訳ない。  もともと息子は魚釣りをしたいなんて言う子じゃないんです。まあ、今どきの子どもにありがちなといいますか。虫とか魚とか、触れない子なんです。  じゃあどうして「後悔の釣り堀」に行きたいと言い始めたのか。  それは、その釣り堀で釣れるのが魚ではないからです。  店名の通り、そこでは魚の形をした「後悔」が釣れます。  なんだそれは、と。初めて聴く方が疑問に思われるのも無理はありません。僕も実際に行くまでは疑心暗鬼でした。ずいぶん昔に父に連れられて行ったことがございますが、もうそれはウヨウヨと堀の内側を黒い魚のような何かが泳いでいるんです。子どもながらに不気味だなあ。なんて思いました。  しかし世の中には酔狂な方々もいらっしゃるようでして、自分の吊り上げた後悔を、魚拓してもって帰る人もいるんだとか。  話は戻りますが、息子も魚拓したいと言って聞かなくて。老舗ということもありまして、そこそこいい値段もしますから、また今度ねで済ましたかったのですが息子が「お父ちゃんがウマ娘に今月課金したってお母ちゃんに言いつける」と言われて、さあ大変。いや、ほんとに大変。  こういうのもなんだかイマドキな親子の会話だなあとは思っていましたが、僕はそれでも気が進まなかったので、お金だけ妻に渡して息子の同伴をしてもらう予定でした。僕はそもそも「後悔の釣り堀」に行くことに乗り気ではありませんでした。  しかしその妻も急遽、パートに出かけなくてはならなくなってしまいまして。電車に揺られて今に至るというところです。  やれやれ。  たらこ色の電車に乗っている間、息子は大人しく携帯電話でYouTubeを観ています。どうやら最近は1000℃に熱した鉄球を氷に乗せる動画にはまっているご様子。これに比べれば、確かに釣り堀はいくらか安全に見えます。  綾羅木駅で降りて、大通りから一本なかに入ると閑静な住宅街に入ります。地元で暮らして三十三年ですが、普段はあまり立ち寄らない地域です。少し道筋が不安になります。 「これは迷っちゃうね」  しかし陽太はけろっとしています。 「迷わんよ、マップアプリ使うけ」  駅を降りてからしゃきしゃきと歩く息子に犬のように付いていく僕。老いては子に従えとは言うけれど、その日は意外と近いのかもしれません。  歩きながら町並みを眺めると、どの家もガラス引き戸の玄関で、庭も広い。何件かは、庭先に子どもの身長と変わらない石灯篭が座っていた。 「父ちゃん、着いたよ」  振り向いた息子を見て、昔は僕が父を連れて来たなぁと思いだします。  記憶にある店構えと、さして変わっている様子もなく、どこかタイムスリップでもしたかのような気持ちになります。  店先の看板には「後悔の釣り堀」とだけ書かれているので、間違いないでしょう。少しこじんまりとした店構えになったような気がしましたが、それが大人になることなんだと気付きますと、意外とすんなり店の中に入れました。 「いらっしゃい、おふたりさんかい」  暖簾をくぐると、梅干しのような顔をした高齢の女性が受付に座っていました。 「ああ、そうです。僕と息子で、ふたりです」 「ここ、来たことあるかい?」 「あー、いや、僕も子どものとき以来なんで、勝手がわかりませんので、釣り具とかエサとか貸出しセットやつでお願いします。普段、釣りはせんのです」  女性はカラカラと笑って「それじゃあ仕掛けも準備して渡そう。なぁに、今日はお客さんもおらんでな。ゆっぐりしてけ」と料金を払う前に裏に行ってしまった。  さすがにこのまま準備するわけにもいかないので料金表に書いてあるぶんのお金を受付に置いて入り口と書かれてる奥に進みます。  渡り廊下のようになっていて、それはまるでドラえもんひみつ道具のガリバートンネルのように奥へ奥へと続きます。 「父ちゃん、父ちゃん」 「なんだい息子よ」 「大物連れたらいいなぁ」 「そんな大きな後悔があるのか?」  息子のことながら心配してしまいます。親として、まだまだ勉強中の身です。至らないことで息子に大きな心の傷ができていたとしたら大問題だ。 「いや、ないけど」  ないんかい。 「大物連れたらグループLINEで自慢したい」 「いまどきだな」  我が息子ながら、その独特の感性には恐れ入ります。僕が君なら、吊り上げてしまった大きな後悔など、恥ずかしくてとても見せられるものではありません。きっと僕自身も大きく傷つくだろうし、それを威張るほど図太い生き方などできてない。そこは子どもの純粋さだからこそ成せる技なのか、それとも母親に似たからなのか。 「……うおお! でっかい! でっかい池だ!」  やがてトンネルを抜けると、そこは釣り堀であった。 「確かに、でかいな」  屋内型の釣り堀となっている「後悔の釣り堀」は天井はドーム型となっており、20メートルほど奥へと続いている。縦長の釣り堀は、店の外見からでは想像できないほど広かった。  しかし繫忙期だというのに客は一人もおりません。それどころか、池の中はきれいな水が揺蕩っているだけで、魚の影が一匹もいません。これもまたおかしいなぁと思っていました。 「ああ、来たかい。こっちだよぉー」  先ほど受付にいた女性がこっちに向かって手を降っている。そこはちょうど日陰になっている場所です。 「これもう、仕掛け作っといたからさ。餌、針に引っ掛けて、堀にたらせばすぐに釣れるよ。あ、あと今日、あっついから、飲み物。ジュースがあったから、よかったら飲んでね」 配慮の細やかさに礼を言いつつ、僕は気になったことを尋ねます。 「すみません、魚がいませんが……。これはどうしたら……」 「魚? やぁねぇ。うちに魚は元からいないよ」 「あ、いや、それはそうなんでしょうけど」  魚ではなく、魚の形を模した後悔だということは頭では理解しているものの、いざ訊こうとするとまとまりません。本当に、そんなものが現実にあるのかという疑問が先走ってしまうからです。 「あ! お客さん。ここに来るの、久しぶりなんだっけね。ごめんなさいねえ。忘れてた、忘れてた」  女性はまた笑うと二つある竿の内、黄色くて短い竿を手に取り、右手で丸めた餌を針に付けると息子に渡した。 「ぼく、ちょっとこの竿の糸を釣り堀に投げてみてごらん」  陽太は不思議そうに首をかしげる。 「いいの? 魚いないじゃん」 「ああ、いいのよ。すぐわかるから」  女性に手渡された竿を息子は言われるがまま、振りかぶり餌の付いた仕掛けを釣り堀に落とした。 「うわ、なんじゃこりゃ」  ちょっと時代錯誤なリアクションの息子。目玉焼きを焦がしてしまったときの妻の口癖にそっくりだ。  しかし、驚くのも無理はない。仕掛けが釣り堀に張った水にぽちゃんと音を鳴らして落ちた瞬間、金魚のような小さな魚影が無数に生まれたのです。  先程まできれいな底が透き通っていた釣り堀が一瞬にして黒い陰に埋め尽くされてしまいました。  それは僕がかつて父との思い出の光景にそっくりです。 「初めは驚かれますよねぇ」  後ろで女性の口元だけがニッコリと笑っていた。 「意外と子どもの方がたくさんの出てくることって多いんですよ。逆に大人の方が、ちょろっとしか出ないなんてザラです」  僕はさぞ納得のいってない顔をしていたのではないだろうかと思います。女性は丁寧に補足してくれます。 「まあ、大人になると、後悔も諦めちゃう人も少なくありませんから」  言われてみれば、そういう人も多い世の中なのかもしれません。理屈や道理を知れば、納得がいかないことも受け入れるしかない。それは後悔という枠からは少し離れてしまっているかもしれません。  女性が丸めた餌よりいくらか不格好な形で針につけて、投げ入れます。  すると仕掛けからは、墨汁をこぼしてしまったかのように釣り堀のなかは見事な暗闇に包まれます。もう水のなかは一切伺うことはできません。  どういうことなのだろうと、振り返るとそこには女性はすでにおりませんでした。 × × ×  釣り糸を垂らしてから、時計の長針が半周ばかり経ちました。  大変困ったことに、なかなか糸を引きません。  釣り堀という言葉も良くなかったのかもしれません。僕はてっきり糸を垂らせば、あれよあれよと大漁になるものとばかり思っていましたので。  先ほどから餌ばかりを奪われてしまいます。まるで餌やりにきているようではありませんか。 これは根競べになるなぁと息を巻いていると、隣で息子は早々に携帯ゲーム機を取り出そうとしております。 「陽太くん、それはいただけないな」  くりんくりんの目を僕に向けてくれます。 「なんでー? 竿が引いてるときに取ればいいじゃん」 「竿を待つのもまた、釣りなんですよ」  唇を尖らせて、納得のいってないご様子。しょうがないので、身近なもので例えてみる。 「陽太くんの好きな太鼓の達人ってゲームがあるよね」 「うん、ゲーセンにあるやつ」  太鼓の達人とは、リズムに合わせてバチで太鼓を叩く音楽ゲームだ。僕も学生時代には大層お世話になってました。 「あれは確かにタイミング良く、真ん中の丸に合わせて叩けばいいゲームだ。でもだからといってじゃあ、そのタイミングまで目隠ししててもいいよって言われたらどうする?」 「そんなの無理だよ。タイミングずれちゃうに決まってる」 「たぶん釣りも一緒だと父ちゃんは思うよ。待つっていうのは、心の中心を見ることなんじゃないかな」  そんな話をしていたときでした。  今までうんともすんともなかった陽太の仕掛けがちゃぽんと沈んだのです。  息子の名前を叫びます。ろくなアドバイスなんてできません。僕としては手伝ってあげたい気持ちがいっぱいいっぱいで、それを抑え込むのに一生懸命です。ここで手を出すような無粋な大人ではありません。  彼もまた、不慣れながらもしっかりと竿を抱えて、背中を反り、リールを全力で巻きます。  水面から飛び立つようにして、足元に転がりました。水も黒ければ、魚も黒い。それでもしっかりとした魚の形をしているのです。それは子どもの手のひらサイズくらいのメバルでした。黒くて目がどこかも皆目見当もつきませんが、それは確かにメバルだったのです。 「父ちゃん! 釣れた!」 「おお。釣れたな、息子よ」  驚きすぎて、いつもより言葉遣いが仰々しくなってしまいます。 「これは、何の後悔が釣れたんだろう」  もっと褒めてあげようという気持ちより、そんな疑問がぽろりと落ちてしまいます。 「たぶん朝のやつだと思う」 「朝? 陽太くん、朝になにか事件があっただろうか」  彼は、僕の疑問に靴を脱いで答える。  差し出された足を見ると、紺色の靴下と星柄の靴下で左右が不揃いだった。 「靴下、片っぽちがうの履いてきちゃった。ごめんなさい」  息子の回答に、次から気を付ければいいさと笑いつつ、水を入れたバケツに『後悔』を放します。するとまるで本物の魚のように、元気よく跳ねて、バケツの内側をぐるぐると回ります。 「活きが良い『後悔』だな」 「学校に行くときもよく履き違えちゃうからね」 「初犯じゃないんかい」  それから陽太くんは要領を掴んできたのか、ポンポンと『後悔』を吊り上げていきます。稚魚のような小魚から、足のサイズくらいまで、大きさは様々です。  どんな些細な『後悔』も、釣り上げて触れば思い出します。その度に陽太は、僕にその内容を詳らかにしてくれます。  なかでもこれはちょっと大きいなと思ったのは僕の顔くらいはありました。 「学校に体操服忘れてきちゃった」  ここでまさかの独白です。 「それは……まずいな……」  たしか金曜日は体育があったと言っていました。きっとたくさんの汗をかいていたに違いありません。休みを跨いでしまったあとの体操着の臭いたるや、想像するだに恐ろしい。 「陽太くん。帰ったら素直に謝ろう」 「お母さん、怖いなぁ」 「……謝れる男はカッコいいぞ、頑張れ」  息子を鼓舞しつつ、息子の釣った黒いヒラメのような後悔をバケツに移してやります。  体操着を学校に忘れたことで釣れたおよそ30センチの後悔は、大きさとして妥当なのだろうかという新たな疑問が生まれました。  もちろん息子は僕と二十歳以上は年が離れております。物事への感受性の豊かさは、大人である僕とは比べ物にはなりません。  しかし、僕はいったいどんな大きさの後悔が釣れるか分からない、この空白の時間が段々と恐ろしく感じてきたのです。  そもそも僕は「後悔の釣り堀」に行くのには乗り気ではありませんでした。  その原因はおそらく、僕の父親にありました。  両親は当時子どもだった僕からすると、仲のいい夫婦でした。今にして思えば、育児や家計についてそれなりにトラブルがあったのかもしれませんが、それをある程度子どもに隠し通せるくらいには良識のある親でした。  僕らは単なる三人家族というよりかは、お互い人生を歩むために支え合うパートナーだと考えていました。なかでも父親は、とてもユーモラスな人で、僕らのことを三匹の子豚なんかに例えていましたね。もちろん、三男は僕です。  僕は十歳の誕生日に父親と『後悔の釣り堀』へ訪れたことあります。ちょうど陽太くんと同じように、両親にわがままを言ったのです。  そのとき、何故か母親はついてきませんでした。その理由は思い出せません。ただ、僕は父親と二人で「後悔の釣り堀」を訪れました。父が二人分の釣竿を手に持って、ちょうど今日のように親子で二人並んでいました。釣れるのは僕ばかりですが、どれも小物です。今にして思えば、どれも取るに足らない物事で僕は後悔していて、僕は大きなバケツのなかに溢れる稚魚たちを眺めて面白がっていました。  そんなとき、父は一匹だけ大物の後悔を吊り上げていました。僕は父が吊り上げるタイミングをたまたま見ていなかったのです。父が両手で抱えるとすっぽり収まるサイズです。肉付きもいい、それは大きな大きな後悔でした。  すごいね、父さん。僕は回り込んで父の顔を覗き込みました。すると父はとても怖い顔をしていました。それは、何かに気付いてしまった男の顔でした。僕は父親のそんな顔を見たくなくて「どうしたの」と尋ねると、父親はもう一度釣った後悔を見て、僕を見て、そしてさりさりと笑いました。他人の食事風景を眺めるような不気味が、そこにはありました。  父親は魚拓の他、店主に魚の重さを量るように伝えました。店主は父親に「だいたい三キロくらいだね」と伝えると、父は「そうですか」とまったくの無表情でした。  父親の後悔が何か分からないまま僕らは帰路につきました。僕はその間も胸の中を蜘蛛が這っているような不安のなかにいました。  その日を境に父は段々と無口になっていきました。それどころか、酒に酔い、母や僕に暴力を振るうようになってしまったのです。会社を辞め、家に帰らない日々も続きました。  父親がたまに帰ってきた夜に僕が頭部を三針縫う怪我を負って、その数日後に両親は離婚しました。  そのとき、僕は穴の開いた頭で考えました。  父親の後悔とは、僕だったのではないかと。  そうすると、色々なことに合点がいきます。あのときなぜ僕を見て笑ったのか。なぜ店主に重さを量ってもらったのか。もう真相は分かりません。ですが僕の頭の中心には常にこの出来事がありました。これは僕にとって後悔といっても差し支えありません。  もしもこの竿が引いたとき、そして釣り上げたとき。僕に尋常ではないことが起こるのではないかという不安に苛まれます。  一時間、二時間……。釣れるのは息子ばかりです。しかし僕もまた、その竿が引いたとき、父親がいったい何を見たのか分かるような気がしたのです。  祈るように時間は過ぎ去って、日が暮れはじめた頃に受付の女性がやってきました。今日は店仕舞いですよ。と言われたとき、僕は膝から崩れ落ちそうでした。  僕は結局、一匹も釣ることができませんでした。 「なんでだろうねぇ。でも、全部の後悔が釣れるわけじゃないからねぇ」  帰り際に、店主の女性に訊ねてみるも、胡乱な言い方をされてしまい。僕のなかでは、納得できないモヤモヤとした気持ちが募ります。 「父ちゃん、疲れた?」  帰りの電車では、息子に訊かれてしまう始末だ。僕は顔を隠すよう髭を撫でるふりをする。 「ああ、少しな。でも、父ちゃんも楽しかったよ。ありがとうな」  陽太くんはたくさんの後悔が入ったクーラーボックスを足元に置くと、二カッと乳歯が抜けた上前歯を見せて笑いました。 「よかった。僕だけ釣れたから、父ちゃん怒ってるのかと思ったよ」  そんなことで怒ったりしないよと笑いながら電車を降りて、僕ら帰路へつきました。夕日が山間に隠れていく瞬間のオレンジが僕らの行く手を示してくれます。 「茜さん、ただいまです」 「あら、おかえりなさい」  妻の茜さんはエプロンをつけて出迎えてくれた。 そして息子のたくさん釣れたよ! という掛け声で妻もどっひゃーと声を出して喜んでいた。  僕もまさか、後悔を家まで持って帰れるとは思っていなかったため、茜さんのリアクションが楽しみではあった。想像に違わぬ、素晴らしいリアクションを見届けて、靴を脱ぐ。 「今日は天ぷらなのよ。せっかくだし、後悔の天ぷらにしましょう」という茜さんの提案で、少ししてから食卓を囲むことになりました。 「さばくの手伝うよ。小魚みたいだから小さい鱗がついてるかも」 「あら、ありがとう。わたしの旦那さんは優しいなー」  玄関に靴を脱ぎ捨てて自室に走る息子は、おそらくテレビゲームに没頭してしまうだろう。ああなると、部屋からはしばらく出てこないだろう。 「茜さん、ちょっと話したいことがあるんだ」  台所で真っ黒な後悔たちの鱗と内臓を落としながら、僕は茜さんに僕の父親のことについて話した。  昔、父親と「後悔の釣り堀」に連れていってもらったこと、父親が釣った大きな後悔は僕のことだったのではないか。それから両親は離婚したこと。そのことについて自分はずっと後悔していたにも関わらず、今日はまるで釣れなかったこと。  茜さんは僕の話を黙って聞いてくれたあと、彼女は僕の目をしっかりと見て微笑んでくれました。 「それはね、あなたが悔いのない人生を歩んできた証拠よ」  父親に対して、申し訳なく思う気持ちがあった。父親の人生にも、後悔はあって、あるいは夢があって、それは子どもである僕のせいで諦めざる負えない代物だったのかもしれないという可能性。それを認めることができなかった。  後悔はあった。後ろを振り返りたい気持ちもあった。自分を責める気持ちもあった。それでも、彼女は言う。尾を引くことはなかったんだと。  だから釣り針にかかることがなかった。 「それにアナタはわたしみたいな大物を釣ったんですから。これ以上釣らなくてよろしい」  コロコロと笑う妻に釣られて僕も思わず、笑みがこぼれる。愛おしい。妻はどこまでも偉大だった。 「ほら、味見」  一口だけもらった揚げたての天ぷらからは酸味のような鼻にぬける癖のつよい香りがした。まるで洗い忘れた体操着のような匂いに僕は深く息をついた。  この後悔を飲み込むにはずいぶんと時間がかかりそうでした。
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