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生活保護申請
I市福祉事務所の相談窓口に親子風の男女。
男は白髪の生え始めた40代、夏なのにスーツを着ている固い雰囲気である。
女はまだ20代。明るい髪色に派手な装飾の服装だ。
「これで笹石加奈子さんの生活保護申請は受理されました」
窓口の対面に座るポロシャツを着た若手職員は生活保護業務を担当するCW。安岡と書かれた名札をつけた30代の男性である。
「それでは安岡君、この件はよろしく頼むよ」
「承りました。……しかしこうしてカウンターを挟んで備前さんとお話するなんて変な感じですね」
「これからは困っている人を見かけたら助けてあげられる人間になろうと思ってね」
「とんでもない! これまでも、でしたよ。しかしさすがは備前さんです。退職されても最強の査察指導員と呼ばれた腕は健在ですね」
「はは……そんなに立派なものじゃないよ」
軽やかに話す備前と安岡を交互に見比べて女は言う。
「パパって公務員だったの!?」
すると備前は即座に眉をひそめた。
「馬鹿野郎。その呼び方はするなと言ったろう」
「あ、ごめんなさい……」
加奈子は手で口元を隠すがそれを安岡は不信に見た。
「笹石さん。今、備前さんのことをパパって言いましたか?」
困った顔をする加奈子をかばうように備前が代わりに口を開く。
「誤解を招いて申し訳ない。先程も話したとおり家出したばかりの少女でね、まだ家庭内での癖が抜けていないんだよ」
「そうなんですか?」
「ああ、本当にただの近隣住民さ」
「ま、まぁそれは信用していますが……」
安岡は加奈子を見た。
「ごめんなさい。でもパパ、本当の父親より優しいから……」
加奈子は神妙に尻すぼみで言った。
「すみません、別に嫌なことを思い出させるつもりはないんですよ。そうですよね、備前さんはいい人ですもんね、わかります」
安岡は取り繕うように派手な身振り手振りで言った。
「でも笹石さん運が良かったですよ。お近くに備前さんが住んでいて」
「そうなんですか?」
「ええ。なんせ備前さんは我々CWを束ねる査察指導員の中でも最強と言われていた人なんですから」
「パパすご……」
「生活保護業務だけでなく、税務、納税、保険その他、市役所内の広範囲に精通し、不正は絶対に許さない。だけど必要な支援は見落とさない。そんな最強の指導員だったんです。そんな備前さんが支援を要すると連れてきたんだ、大丈夫、この保護申請は通りますよ」
「安岡君……ちゃんとケース会議に諮る前に滅多なことを言うものじゃないぞ? どんな調査結果が出るかまでは俺にもわからないのだから」
「あ、そうでしたね。すみません」
安岡は舌を出すように笑っていた。
「は~……パパがそんなにすごい人だったなんて……人は見かけによらないね」
加奈子は感心したように言った。
「いやいや笹石さん、すごいって一言で済ませましたけどね。税理士、行政書士、公認会計士と……あとなんでしたっけ?」
「いいんだよ安岡君、そんなことはどうでも」
「とにかく笹石さん。備前さんはたくさんの資格を持っているんですよ。……いやぁI市も惜しい人材を失ったものですよ」
「安岡君そのくらいにしてくれよ。俺はそんなにできた人間じゃないんだからさ」
「またまた。そんなに謙遜しなくても。正直、なんでわざわざ公務員なんかやっているんだろうと思うような資格でしたけど、こうやって退職されたからには事務所とか構えちゃったりするんですか? 今はどうされているんです?」
「うん、実はそのことで俺からもひとつ相談があるんだけどね」
「あれ? もしかして俺のこと引っこ抜いて使ってくれるとかですか?」
安岡は喜々として笑っていた。
「いや? そういう類の相談じゃないんだ。実はね……」
備前は少し顔を寄せて小さな声で言った。
「俺も生活保護を申請したいんだ」
その少しもふざけていない表情を見て、安岡の顔は青くなった。
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