赤い光の海で。

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「開演一時間前になりましたので、ただいまより入場開始です。チケットをお手元にご用意の上、スタッフの指示に従ってお進みくださーい!」  スタッフの声を聞いて、蟻の行列みたいにみんながぞろぞろと動き出す。  今回のライブはStarry Night初の全国ツアーで、移動を繰り返す都合上この会場でやるのは今日の夜公演のみだ。  キャパが千に満たない狭い箱で、さらにはチケット戦争を勝ち抜いた前から六列目のセンターブロック。近い上にステージ全体を見渡せる良席。  そんな距離で生まれて初めて燈夜くんを生で見られるドキドキで、昨日は眠れなかった。 「本番中気絶しないようにしなきゃ……ソロ参戦だから諸々頼れる人がいない……」  ライブの時間は二時間。その二時間のために、何ヵ月も前からたくさん準備してきたのだ。それがやっと報われる。  正直、燈夜くんに会える緊張ですでにどうにかなりそうだったけれど、発券から今日までお守りのようにしてきたチケットの半券と引き換えにラバーバンドを貰って、わたしは会場に足を踏み入れた。  貰ったラバーバンドを腕につけ、今日のために買った推しの色である赤いリボンとイヤリングを揺らして、チケットに印字された座席に腰掛ける。  どうせライブ中は立ちっぱなしなのだ、今の内に足を休めておかなくてはいけない。  開演前の期待に膨らんだみんなの空気は、風船ならふわふわとどこまでも飛んでいってしまうだろう。  みんなクリスマスの朝サンタクロースのプレゼントを見つけた子供のように目を輝かせ、袋の中身は何だろうと、まだ演者の居ないステージを見上げてそわそわとしている。  スマホの電源を切って、荷物を邪魔にならないよう纏める。ペンライトの点灯チェックも忘れない。 『……あー、聞こえてる? Starry Nightの赤星燈夜。スマホの電源は落として、しまって。俺の声だけ聞いて』 『どうもー、銀河廻でっす。スタナイ全国ツアー【下弦の月】に参加してくれてありがとう! もう少しで会えるから、ロビーに居る子もそろそろ客席で良い子にして待っててね』 『青月一彩です。先程スタッフさんがアナウンスしてくれた本イベントの注意事項を守って、今夜は楽しんでいってくださいね!』 『翠心輝だよー、盛り上がる準備は出来てるかーってね! テンション上がるのは良いけど、他のお客さんをペンラで殴ったり、撮影録音はメッ、だよ?』 『……マイクで輝を殴んのは?』 『ダメに決まってるね!?』 『あははっ』 「ひぇえ……仲良しのノリ尊い……」  開演十分前に流れたのは、メンバーからの上演に関する注意事項のアナウンス。愛する彼らの声を聞くだけで、客席からは悲鳴が上がった。ライブが始まる前からボルテージはマックスだ。  やがて、不意に会場は闇に包まれた。世界が滅んでしまったかのような暗転の中、一瞬でざわめきは消え、観客の目線はスモークの焚かれたステージの上に自然と集まる。  そんな期待と注目の中、夜空を照らす星のように彼らは現れた。 「燈夜くん……本物だぁ……」  ステージ中央で客席を見下ろす、最愛の人。思わず呟いた彼の名前は、すぐに始まった演奏に掻き消される。  大きなスピーカーから響く重低音のサウンドと、CD音源とは違う彼らの生の歌声が空気を揺らして、直接身体を突き抜けていく。  それはときめくだとかそんな生易しいものじゃない。心臓を鷲掴みにされて直接揺さぶられるような、そんな感覚。  恋よりも激しく、愛よりも重い音の波。目の前で繰り広げられるパフォーマンスと身体全体を包む音楽で他のことすべて頭の中から消え去って、わたしは彼らの作り上げる世界を一心に受け取るだけの、真っ白なキャンバスに成り果てる。  この瞬間、間違いなくこの場の全員が感じているだろう。  わたしは、今この時のためだけに生きてきたのだ。LIVEという言葉の意味を、改めて実感した。 「……わたしも、燈夜くんも……今ここで生きてる……」  指の先まで洗練された動きと、照明に照らされて光る汗。ステージに映え翻る衣装と、絶えず振動する空気。  グループで作り上げる世界観、四人で一つのステージなのに、気付くと燈夜くんしか目に入らない。  客観的に見て、ダンスなら青月くんの方がキレがあって魅せ方が上手いし、歌は翠心くんの方が耳馴染みがいい声をしているし、体躯や笑顔のファンサなら銀河くんの方が目を惹く。  それでもわたしは赤いペンライトを祈るように胸元に掲げたまま、光に吸い寄せられる夜光虫のように他所見することなく燈夜くんを追う。  しなやかな四肢の動きも、時折掠れる低い声も、パフォーマンスに真剣な鋭い眼差しも、どの瞬間も愛おしい。  ああ、自分の瞬きが鬱陶しい。目蓋の遮る一瞬さえ逃さず、彼が呼吸する際の髪の毛の動きひとつさえ、網膜に焼き付けたかった。  立て続けに奏でられる今日まで何百回と繰り返し聴いた曲と、ファンサービスを交えながら踊り続ける彼らの圧巻のステージに、会場中の愛が爆発する。  ペンライトの織り成す鮮やかな光の海が、彼らの名を表す星空のよう。  わたしたちはこの夜に、きっと改めて世界一の恋をしている。
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