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 東京都蕨塚区の警察署で、鷹山 剛(たかやま つよし)は席を立った。  同じ捜査一課の刑事である、朧月 十座(おぼろづき じゅうざ)に目で合図すると、覆面パトカーまで一言も言葉を発せずに走っていく。  勢いよく運転席へ滑り込むと、ミラーとステアリング、ブレーキの確認をしながら言った。 「殺人事件だって言い張ってる、こんな話、聞いたことあるか」  助手席の朧月がくるくると指を回しながら、 「生真面目にパトカーを確認するあたり、危機感はないようですね。  ふふふ、それより僕の好みのシチュエーションじゃないですか」  不気味な光を(たた)えた双眸(そうぼう)が、少し濁っているような気がするのは、オカルト好きな彼の言動のせいだろうか。 「一晩泊ってくるか」  何の気なしに言ったのだが、 「本当に良いんですか」  小躍りしそうな勢いで明るい声が返って来た。  周囲に犯人が潜伏している可能性を考えて、サイレンは使わずに制限時速を軽く破って急行する。  少し手前の路地に停め、屋敷に入っていくと驚いた。  というより朧月のほうは興奮してキョロキョロ見回しながら「ほう」とか「うわあ」とか言ってうるさい。  こんな古城のような家で変死体が見つかったら、オカルト狂でなくても神秘を感じてしまうだろう。  被害者の書斎へ通したのは、自分をメイドと称した石川という若い女だった。  果たして、洋風に設えた木のドアが並ぶ2階の真ん中の左手の部屋の鍵を開けると、メイドを手で制して現場に踏み込む。  たくさんの死体を見てきた2人でも、息を飲むほど壮絶(そうぜつ)な死に顔だったからである。  外傷はないのだが、目を剝き苦悶に歪み切った顔の輪郭。  毛髪はまだらに抜け落ち、両手の指の間にむしり取ったと思われる毛が絡みついていた。  口からは吐瀉物(としゃぶつ)と一緒に血が吹き出し、喉にはかきむしった跡が生々しい。  鼻からも下腹部にも、液体と固体が入り混じって、出る物はすべて絞り出したように身体を汚し、臭いが充満している。 「こりゃあ、気の毒な仏さんだな」  しゃがみ込んで顔を覗き込んだ鷹山が言う。  現場の写真を撮った後、被害者の妻である麻美の強い希望もあって、朧月を残していくことにした。
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