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「あの子が、夫と不倫していたことは知っていました」  取り調べ室で彼女は、うなだれながらボソリと呟くように言った。  もう、精魂尽き果てた、という様子で次々に言葉が口を突いてでた。 「もう、何もかもお話します。  不倫の件は、夫が生前から分かっていましたし、夫が高価な服やハンドバッグ、アクセサリーなどを買い与えているのも見ました。  会話がほとんどなくて、夫婦の関係は元々あまり良くなかったですし、私は何も言わなかったのです。  でも、夫が離婚話を切り出してから、許せなくなりました」 「敬一郎さんは不審死をしていますね。  それについては」  鷹山は穏やかな口調だった。 「いくら何でも、長年連れ添った夫を殺そうなんて思いませんよ。  誰かに殺されたような気がするんです」  語気を強めて言った。 「ただ、あの子にケジメを付けさせようとしました。  大学に言えば、自主退学を求められる可能性がありますし、就職に響くかもしれないと知ッていました」  腕を組んで鷹山は黙って(うなづ)いた。 「最近になって、あの子の部屋から毒物の痕跡を、メイドが見つけたのです。  問い詰めると、隠し持っていたナイフで切りつけられました。  殺されると思って、持っていたハサミで ───」  捜査の結果、その物質は金属の精練副産物に含まれる劇物だった。  水に溶けやすく無味無臭なので気づきにくく、手がかりなしに特定するのは困難である。  食事の中に少しずつ混入して継続すれば衰弱死を装うことも可能である。  橙沢の胸の傷は軽傷だった。  刃に厚みがあるハサミで、深く刺すことは困難である。  そして胸を突くのはありがちな失敗である。  肋骨(ろっこつ)が内臓を守っているから、刃が通らないからだ。  治療が終わるとすぐに逮捕された。
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