1.特別な電話

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1.特別な電話

 はかせに電話をかけるときは、きちんとした格好をすることにしている。  ぼくなりの、はかせへの敬意だった。  首もとには、はかせから贈ってもらった黒色の細いクロスタイ。ピンはつややかな深みのある青色。  それをつけると背筋が自然と伸びる気がする。  礼儀正しく一礼してから、特別な電話機のダイヤルを回す。コール音は一回。  受話器の向こうから、はかせの落ち着いた声が聴こえる。 「やあ、どうしたね」  声はいつも少し遠い。 「はかせ、聴いてくださいよ」  ぼくは勢いよく話した。最近の応答型人工知能を組み込んだ「ウサギ」シリーズについて。  人間の手のひらにおさまるくらいの小さなウサギ型の機械は、自動で走行し、地上のありとあらゆる情報を収集して自己学習を繰り返す。そして人間の問いかけに答えてくれるのだ。  答え方は音声以外に、文字、映像、複合タイプと、さまざまな種類がある。 「音声はわかるが、文字と映像はどうやって見るのかね」 「目からどこにでも映し出せるんですよ。映写機みたいに。ウサギをディスプレイにつなげば画面からでも見られます」  はかせは愉快そうに笑った。 「うさぎの映写機か。子どもは喜ぶだろうね」 「のんきなこと言わないでくださいよ。こちらは大変なんです」  ぼくは苦々しく言った。ほんとうに大変なのだ。  「問いかけに答える」という名目で、ウサギシリーズはあちこちから情報を引っ張ってくる。出どころは不明だ。真偽の判定をウサギシリーズはしない。  その上、原本や原物の情報を勝手に書き換えて『答え』として出してしまう。  大切にしていたオリジナルを書き換えられた人々と、ウサギシリーズを便利に使う人々と、ウサギシリーズの『答え』を分析するように頼まれたぼくたちの研究所と、あちこちで大混乱だ。 「研究所はどうなっているのかね」 「朝から晩まで、オリジナル探しと真偽判定に明け暮れていますよ。休むひまもありません」  昨日も夜遅くまで、『百年前のある詩人がT町で暮らしていた頃の写真』の真偽判定をやっていた。「正しい写真なら本に()せたい」という依頼。  結果は、「『百年前の詩人の写真』と『百年前のT町の写真』を組み合わせた架空の写真」。  もとの写真自体は二枚ともオリジナルだった。それをウサギシリーズは絶妙に書き換えて本物のような一枚にしてしまう。  架空の写真を「資料」として本に載せるわけにはいかないのだ。  似たような依頼や、もっと複雑な結果はいくらでもある。  ぼくの切実な疲労感は、はかせに伝わっているのだろうか。どうも伝わっていない気がする。 「最新のウサギシリーズは翼がついて、成層圏まで飛ぶらしいですよ。そのうち宇宙にも行くんじゃないですか」  どこまで情報を集めに行く気だろう。どん欲すぎる、と嫌みのつもりで口にしたけれど、はかせはおかしそうに笑った。 「機械のうさぎが月のうさぎに会いに来るのかね」 「クレーターに落ちて動けなくなればいいんですよ」  ぼくの悪口にはかせはまた笑う。 「そうかね。でもわたしからすれば、うさぎの『答え』は、みな『届けたいもの』の集合体だろう。ただただ、いとおしいよ」  不思議なことをはかせが言う。 「『届けたいもの』?」  ぼくは耳をそばだてて、その意味を理解しようとした。
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