廃村の影

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廃村の影

深い山奥にあると噂される廃村、霞(かすみ)村。そこには、何十年も前に村人が突如姿を消したという伝説があった。理由は誰にも分からない。地元の人々はその村の存在すらも口にするのを避け、地図からも消されていた。しかし、好奇心旺盛なカップル、健太と美咲はその謎めいた村に興味を抱き、週末の冒険としてその場所を訪れることを決意した。 二人は車を降り、細く荒れた山道を進んでいく。木々は濃い緑で覆われ、昼間でも光が届かないほど暗い。「本当にここに村があるのかな?」美咲は不安そうに呟く。健太は微笑んで、「大丈夫だよ。噂なんて大げさだって」と彼女を励ました。やがて、二人の前に古びた木の看板が現れた。そこには「霞村」とだけ書かれていた。 「ここだよ。行ってみよう。」健太は前に進む。美咲もそれに続くが、胸の中に不安が広がっていくのを抑えられなかった。 村に入ると、そこには数軒の木造家屋がぽつんぽつんと立っていたが、どの家も荒れ果てており、窓ガラスは割れ、屋根は崩れていた。周囲には草が生い茂り、かつての生活の痕跡はまるで時間が止まったかのように残っていた。美咲は薄暗い雰囲気に怯え、健太の腕にしがみついた。 「なんだか、寒気がする…」美咲は震えながら言う。「もう帰ろうか。」しかし、健太は首を振った。「せっかくここまで来たんだ、少し探索してみようよ。」そう言って、彼は一番大きな家に向かって歩き始めた。 家の扉はかろうじて立っており、健太が手をかけると、ギギギと音を立てて開いた。中は埃まみれで、長い間誰も住んでいないことが一目で分かった。だが、何かが違う。美咲は家の中に足を踏み入れた瞬間、背後に何かの気配を感じた。振り返るが、そこには誰もいない。だが、その気配は消えることなく、美咲をじっと見つめ続けているかのようだった。 「健太、何かいる…」美咲が声を震わせる。「何もいないよ、気のせいだって。」健太は軽く言い放ったが、その言葉とは裏腹に、彼自身も不安を感じ始めていた。 突然、家の奥から鈍い音が響いた。二人は息を呑み、互いに目を見合わせる。「何の音…?」健太はそう言いながら音の方へと進む。美咲は恐怖で体が動かないまま、その場に立ち尽くしていた。 健太が奥の部屋に入ると、そこには古い鏡が一枚、壁に掛けられていた。鏡はひび割れ、汚れていたが、ぼんやりと自分たちの姿を映し出していた。「ただの鏡だよ。これが音の正体かな?」と健太が言う。その瞬間、鏡の中の彼らの姿が突然消え、代わりに見知らぬ顔が映し出された。 その顔は、まるで今にも泣き出しそうなほど苦しげな表情をしており、目は真っ黒に染まっていた。美咲は悲鳴を上げ、後ずさる。「健太、出よう!ここはおかしい!」だが、健太は動けなかった。まるで何かに操られるように、鏡をじっと見つめている。 その時、家全体が揺れ始め、風もないのに窓がバタンバタンと閉まり始めた。「早く、ここから出るんだ!」美咲は健太の手を引っ張り、扉の方へと急いだ。だが、扉は開かない。まるで見えない力が彼らをこの家に閉じ込めようとしているかのようだった。 突然、鏡から真っ黒な影が伸びてきて、健太の足を捉えた。「助けて…美咲!」彼は叫んだが、その声は徐々に消え、やがて健太自身が鏡の中に吸い込まれるように消えていった。 美咲は叫び声を上げながら扉を叩き続けたが、どんなに強く叩いても開くことはなかった。最後に、鏡の中に残された健太の姿が見えた。それは、もう彼ではなかった。真っ黒な目をした影が、鏡の向こうから美咲を見つめていた。 翌日、霞村を訪れた警察が見つけたのは、倒れた家の中で独り震える美咲だけだった。彼女の口から出てきたのは、「健太が…あの鏡に…」という言葉だけだった。 村に伝わる「消えた村人」の伝説が、またひとつ増えることとなった。
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