夜海

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夜海

漆黒の海を切り裂くように、船は闇の中を進んでいた。風は冷たく、星の見えない夜空が不安を掻き立てる。船長のエドワードは甲板に立ち、嵐の予兆を感じ取りながら、手馴れた様子で舵を握っていた。彼の周りには5人の乗組員が、それぞれの役割を果たしながら航海の準備を進めていた。 「この風はおかしい…何かが近づいている。」エドワードは眉をひそめながら、異様に重く湿った空気を感じ取っていた。 彼の言葉が響くと同時に、空が裂けるように雷鳴が轟き、海面が急激に荒れ始めた。暗い雲が渦を巻くように空を覆い、嵐が船を襲った。波は次第に大きくなり、船体を激しく打ち付ける。乗組員たちは全力で船を制御しようと奮闘していたが、次第に荒波に飲み込まれそうになる。 「右舷からの大波に備えろ!」エドワードが声を張り上げると、乗組員のひとり、若い水夫のトムが声を震わせながら叫んだ。「船長!あれを見てください!」 トムが指差す先には、信じられない光景が広がっていた。巨大な触手が波間から姿を現し、船へと向かって迫ってきたのだ。それはまるで、海そのものが生きているかのような、巨大で恐ろしい存在だった。 「クラーケンだ…!あれはクラーケンだ!」年配の船員であるジョージが蒼白な顔でつぶやいた。その言葉に、他の乗組員たちは恐怖に凍りついた。 クラーケンは巨大な触手で船を絡め取り、船体を軋ませながら締め付けていった。船はまるで玩具のように揺さぶられ、甲板上では乗組員たちが必死に抵抗を試みたが、次々に触手に捕らえられ、引きずり込まれていく。海に落ちた者は、瞬く間にその姿を消した。 「負けるものか!」エドワードは舵を握り締め、最期の力を振り絞って船を操作しようとした。しかし、次第に力を増す触手が彼をも捕らえ、船長は空中に持ち上げられた。「この船を守らねば…!」彼は叫んだが、次の瞬間、彼の体は触手に絡み取られ、暗い海の中へと引きずり込まれていった。 船は激しく揺さぶられながらも、やがてその動きが鈍り始めた。残された乗組員の一人、ジャックは船の中央で無力感に打ちひしがれていた。彼の目の前で、仲間たちは次々と海の中に消えていった。そして、最後の一人となった彼もまた、クラーケンの冷酷な触手に捕らえられた。 「助けてくれ…!」ジャックは叫んだが、返事はなく、ただ無限の闇が彼を待ち受けていた。彼の視界がぼやけ、冷たい海水が彼を包み込む。沈みゆく意識の中で、彼は船の最期の姿を見た。クラーケンの触手に絡め取られた船が、ゆっくりと海の底へと引きずり込まれていく。まるで、深い海の闇がそれを歓迎するかのように。 やがて、嵐は静まり、夜の海は再び静寂に包まれた。しかし、その海の深奥には、クラーケンが潜み、船を破壊し、海底へと引きずり込んだ記憶だけが残されていた。誰もが恐れ、誰もが避けるべき海の怪物。その存在は、今もなお、夜の海に不気味な影を落としている。
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