いつか…

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定時になり、バラバラと帰宅する人がいる中、僕はいつものようにパソコンと向き合っていた。 「小田原、今日も残業か?」 小山(こやま)係長が僕の隣の席に座りながら言った。 「係長。すみません、まだ明後日の会議の資料が完璧じゃなくて。」 僕がパソコンを打ちながら答えると、小山係長は突然僕の手を掴んでキーボードから離すと、ノートパソコンを閉じた。 「係長?」 「小田原、たまには飲みに行かないか?」 「え、でも…。」 「会議の資料はもう9割出来てるだろ?明日でも出来るじゃないか。」 「僕、お酒は苦手で。」 「酒飲めない奴は飲み会に行っちゃいけないのか?俺は酒を飲みたい訳じゃない、お前と話がしたいんだよ。」 小山係長は僕の背中を叩くと立ち上がって執務室の出入口に歩き出した。選択肢が無いことを理解した僕は、机の上の物から持ち帰るべきものを鞄に詰め込み、小山係長を追いかけた。 会社の外に出ると、小山係長は行く店が決まってるようで迷わず歩き出し、数分後に一軒のこじんまりした小料理屋に着いた。 「ここのおばんざいがどれも絶品なんだ。」 小山係長はそう言って引き戸を開けた。 ガラガラガラ。「こんばんは、ママ席あいてる?」 「あら、小山さんいらっしゃい。…あ、今日は若い子もいらっしゃるのね。どうぞ、奥のカウンター。」 僕の中では、小料理屋なんて敷居が高く感じて、入るという選択肢が生まれないカテゴリーだったため、緊張しながら係長の後ろを歩き、カウンターに腰掛けた。 「どうぞ。」 おしぼりを受け取る手が震えた。 「おい、小田原。この店はまるで自宅のように寛げる雰囲気が売りなんだから、緊張なんかしたら営業妨害だぞ。」 「は、はい。」 「こら、小山さん。若い子怖がってるわよ。」 「冗談に決まってるじゃないですか。逆に緊張解そうと思ったのに。」 「身体がガッシリして怖い顔の小山さんが言うと冗談も冗談じゃなくなるのよ。」 「ママも手厳しいなぁ。」 小山係長が笑いながら言った。僕はそんな2人の会話をじっと聞いていた。 「あ、飲み物何になさいます?」 「僕はすみません、烏龍茶を。」 「烏龍茶ね。謝らなくていいのよ。嫌いな食べ物ある?」 僕は首を横に振った。 「ふふふ、良い子ね。小山さんはいつものでいいわね。」 「はい、お願いします。」 ママと呼ばれている店主が調理に向かうと、小山係長は僕の肩にポンッと手を置いた。 「いやぁ、小田原みたいな真面目な新人が来てくれて俺は助かってるよ。でもよ、俺に内緒でほぼ毎日残業してんだろ。」 残業を申告するのは当たり前だが、その残業には勿論残業手当がつくことになる。僕は自分の仕事の遅さで残業してるのだから、手当など貰うのは申し訳ないと思い、先に帰る係長には直ぐに帰ると嘘をついていた。 「わざわざタイムカードを先に退勤処理して残業してるって聞いてな。」 「…僕の残業は手当なんか貰う権利はないですから。仕事のできる係長や金宮先輩とは違って、僕は足を引っ張るばかりで。」 「あら、昔の小山さんみたいね。はい、烏龍茶どうぞ。」 僕はママの言葉にキョトンもしながらグラスを受け取った。 「…昔の係長?」 「そう。小山さんもあなたくらいの時に上司の方とこの店に初めて来ていただいてね。その時の小山さんはあなたのような感じだったわ。」 …こんなに仕事の出来る係長が僕と同じ? 僕はママの言葉が信じられなかった。
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