いつか…

1/6
前へ
/6ページ
次へ
僕は今日もいつもと同じ駅のホームに佇む。 新社会人となり半年が経過した。いつも同じ電車に乗り、同じ時間にコンビニに寄って昼食を買い、同じ時間に会社に出勤してタイムカードを切る。 定時なんて概念はない。多分、僕は仕事が出来るタイプではなく、他人よりも人一倍時間が掛かっているのか、帰るのは終電に近い時間だ。 家に着く前に、家の側にあるコンビニに寄り夕食を買って帰るのもいつもと同じだ。 誰が待つでもないアパートの扉に鍵を挿し回すとガチャッと音が鳴る。この音を聞くと僕は今日も自分お疲れ様と思い、暗闇に通じる扉を開ける。 真っ暗な狭い玄関に足を踏み入れ、パチッと明かりを点ける。無駄なものは置かない無機質な部屋が現れて、僕はまたルーティンのごとく、手洗いを済ませて、スーツからラフな部屋着に着替え、部屋の真ん中に置かれた低いテーブルでコンビニ弁当を開封し、小さな声で「いただきます。」と言ってから一口頬張る。 新作の弁当も中々だな。 ふと時計を見ると間もなく日付けが変わろうとしていた。 「…はぁ、今日、僕は何をしてたんだろう。」 温かい弁当は、冷めきった心を潤し、それは眠らせていた感情を目覚めさせるキッカケにもなる。 僕の人生が何年あるのかは分からない。その内の24時間がまた経過した。この24時間、僕は何をしていたのだろうか。勿論、仕事をしていた。むしろ、それしかしていない。 会社の昼休みの時間もコンビニ弁当を食べながらパソコンを叩いて過ごした。これも毎日同じだ。 いつからか、昼飯に誘われることも無くなった。 別に会社で苛められたり、上司から嫌味を言われることも無い。会社の人たちは皆良い人だ。 僕の方から関わりを絶っていただけ。誰かに深入りすると、それは将来自分が傷付くリスクを負うだけだ。自己保身のために、僕は僕以外を信じない。いつからか、そんな性格が生成されていた。 誰にも深入りしない、自己保身のための人生。 それは正しいのか。 その答えは、とうに自分で分かっているはずだ。 間違っていると。 こんな毎日、本当に人生を生きていると言えるのだろうか。こんな仕事と家の往復のために、僕は難関大学を死ぬほど頑張って合格し卒業したのだろうか。高校時代も、難関大学に入るために毎日勉強の日々、中学、そして小学校も良い高校にいくために友達と遊ぶことよりも勉強の日々…あれ、僕って勉強だけの人生なのか? 友達との楽しい思い出は? 修学旅行さえ、参考書片手に皆に付いていくだけ。運動会も真剣に競技をするだけで楽しいなんて感情は無かった。 僕は何のために生まれてきたのだろう。 そう考えると自然と涙が溢れて止まらなくなる。 これも毎日、日付けが変わった後に起こるルーティン。 結局、その後風呂に入ってベッドに横になれば、悩みよりも疲れが勝って気が付けばスマホのアラートで目覚める時間となる。 そして、朝になり、カーテンを開ける度に、また昨日に戻った感覚になる。 「…また会社行かないと。」 窓ガラスに薄っすらと映る、半年前と比べたら(やつ)れた姿の自分と目が合った。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加