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次に言えば良いだろう。
今日は言うにはタイミングを逃したらまた仕切り直しで。
言うには何か物と一緒にあげた方がもっと喜ぶか。
そう、何度言い訳をして伝えるチャンスを自分で手放してきたか。
澄んだ瞳で僕を見つめる君の姿は変わらなく美しい。
ただ一つ、僕の声はもう伝わらないこと以外は。
【その振動を、もう一度】
「アレイシアが負傷したそうだな」
上司の声にハッと我に返る。
「あ。ええ、はい。外傷としては全体的には軽いものが多いのですが」
「鼓膜をやられたと聞くが」
「……はい」
「モーズの『デスボイス』か……。相変わらず厄介だな」
忌々しそうに上司が呟く。
南の山脈に巣食う「モーズ」。凶暴性はそこらの魔物とは桁違いであり、長年討伐対象とされているが、未だ倒されたという報告は聞かない。
狡猾で知能が高く、防御力が段違いに高いという厄介さもあるが。奴の一番危険な所は『デスボイス』というスキルを放つところにある。
このスキルは奴の叫びを浴びた者の体の一部を不可逆的に破壊するというデバフが発動する。効果はランダムであり、手の骨を折られた者、心臓を潰された者、視力を失った者と被害は大小さまざまである。だが、奴の叫びで壊された器官はどんな治癒魔法でも絶対に直すことは出来ない。最早最上級の呪いと同等のスキルだった。
僕の騎乗する魔獣・アレイシアもその被害を受けた。咄嗟に僕を庇ったがために、アンチスキルの陣を展開する間もなく真正面から浴びてしまった。
その時の恐怖は今も僕の心臓を凍らせる。
美しいアレイシア。
戦場で見かけて敵の騎獣にも関わらず一目ぼれした美しい戦闘獣。
君に再び会うために死に物狂いで戦場を駆け巡った。格上の敵にも拘らず、君をぞんざいに扱う相手が許せず、気がつけば血糊でなまくらとなり果てた剣で敵の首を貫いていた。
僕の執着を知っている味方からは「魔獣狂い」と噂され気味悪がられたが、褒章で君を下賜された僕にはそんな呼び名は気にもならなかった。
上位魔獣を飼うには分不相応な僕がアレイシアを使役するために、僕はがむしゃらに働き、武勲を上げ、褒章の全てをアレイシアのために使った。
その手中の珠であるアレイシアを危険な目に合わせた。
もしアレで生命を維持する器官を破壊されていたら……。きっと今頃僕は上手く呼吸が出来なくなっていただろう。
「そうなるとアレイシアはもう処分せざる……」
「いえ!まだ僕らは戦えますッ!耳が聞こえなくともコマンドは使用できますから!まだアレイシアは戦場を駆けられますッ!」
「そうか……。ならば良いが」
戦うために造られた生き物である戦闘獣が負傷した場合の行く末は殺処分と決まっている。
だが、アレイシアを生かすことを使命とする僕は、アレイシアの生存をギリギリまで粘るため、アレイシアにありとあらゆる可能性を教え込んでいる。
コマンドもその一つだ。
戦士として僕自身も何が原因で唐突にアレイシアに指示を出せなくなるか分からない。
だから声で、手のサインで、体を叩く振動の数で。僕はアレイシアへの指示出しの手数を手間を惜しまず、ありとあらゆる方法で教え込んでいた。
だからアレイシアは最後まで戦える。駆け抜けるための体躯が無事である限り。例え僕が死んだとしても。
だからその時の僕はアレイシアを生かすことが出来たことだけで満足していた。アレイシアに最低限のことしか教えなかったことを後からじわじわと後悔していくとは思わなかった。
僕がアレイシアに教え込んだことは戦闘技術だけではなかったということを。
:::::::::::
クルルーン。クルーン。クルルルル……。
不機嫌なアレイシアの鳴き声が僕を責める。
「アレイシア……。ゴメンなぁ」
だけど僕はアレイシアの要求に答えることが出来ない。
アレイシアが何を要求してるか分かっているが、僕はそれを正しく与えることが出来ない。
何故ならもうアレイシアの鼓膜は正しく機能しないから。
僕はこの愛しい獣が欲しがっているたった一言を伝えられないのだ。
「愛している」という言の葉の一片を。
「何やってんだよ」
「迂闊だった……」
「むしろ息を吐くたびに言ってるかもしれないくらい、お前垂れ流しだったじゃん!」
「そんなに言ってた?」
「寝言ですら『アレイシア!君は地上に舞い降りた天使だ愛してる!』『息を吸ってるだけで君は美しい愛してる!』『最早生きているだけで尊過ぎる愛してる!』あとえーと……」
「ごめん。五月蠅かったな……」
「もういいよ今更。隣室のヤツら含めて全員で耳栓買ったから」
「え、隣まで響いてたの?」
アレイシアのことで自室で頭を抱えていたら、同室の男に「この雨でうっとおしい日に湿っぽい溜息で湿度を上げるな。キノコ栽培の副業は当部屋では認めておりません」と大衆食堂まで引きずられた。
そして僕の悩みを聞いてくれている。僕の金で頼んだ酒を飲みながらだが。
「お前のことだから、それは真っ先に教えていると思ってたわ」
「戦闘中に使うコマンドじゃないから……」
アレイシアにはありとあらゆる不測の事態を想定して、基本動作から戦闘コマンドまで全てを教え込んでいた。だから戦場で走り続けることに支障は全くない。だが戦闘以外のコミュニケーションに関しては僕は言葉でしか与えてなかった。
まさか戦うことが全てである戦闘獣たるアレイシアがこの言葉を求めるとは本当に思ってなかったのだ。アレイシアの美しさに感極まって抱き着くたびにうっとおしそうに僕を見やるから、僕の一方通行な想いでしかなかったと思ってすらいた。
「こんなことになるなら、言葉を惜しまずにもっと伝えていれば……!」
「いや、もう十分すぎるくらい伝わって自己肯定爆上げしまくってるだろあのケダモノちゃん。言っとくけどあの猛獣を綺麗だ美しいだ思ってるのお前だけだかんな。何だかんだいって、あのツンデレ傲慢獣、お前にべったりだもんよ」
「そうかなあ」
「おっまえ気付いてないだろうけど、あのケダモノ、お前が誰かと一緒にいる処見ると、たちどころにオカンムリで暴れてたからな」
「好戦的だから常に気が立ってたんだと思ってた!」
「好戦的なのはお前の周りに人がいる時だけだよ!あのケダモノお前が居ない時なんざ、すべてを無視して生きてるからな!俺なんか同室ってだけで何度アイツに厩舎内で後ろ脚で頭狙われているかお前知らねえだろ!」
「そ、そうなんだッ?」
「毎回消臭剤を振りまいてお前の匂いを消して決死の覚悟で厩舎に入る俺の苦労を思い知れ!」
「加齢臭気にしてるんだと……」
「俺とお前同い年!加齢ちゃうわ!」
「ごめん!一回り年上だと!」
「老け顔なだけじゃいッ。本ッ当にあのケダモノちゃん以外に興味持ってないな!お前!ちょっと、そこのお姉さん!この失礼なやつの金でエールもう一杯追加ぁー!」
「はい、喜んでー!」
結局、衝撃の事実を知っただけで何も解決できないまま僕の悩み相談室は終了し、べらぼうに高い相談料(エール代)だけが僕に請求された。
:::::::::::
クルルーン……。グルル……。
今日も要求が通らず、ご機嫌が悪い僕の美しいアレイシア。
君が僕のこの一言をこんなに必要としてくれているなんて、夢にも思わなかったよ。
「今日も大好きだよ。愛してる、アレイシア」
ポンポンと耳のあたりをさすりながら僕はアレイシアに愛を伝える。
ガーッ!
「怒らないで、アレイシア。上手く伝えられなくてごめんなぁ」
それでも愛しいこの獣の鼓膜にこの思いの振動は伝わらない。
虚しく空気をささやかに震わしていくだけだ。
音のない世界に突然放り出された君がどんなに心細く思っているか。
生きていてくれるだけで幸せなんだという気持ちがどれだけ傲慢な思いだったか。本当にごめんな。思慮の足りない飼い主で。
だが、僕たちは生きている。
伝える手段は一つ失われてしまったけど僕は諦めない。
今、僕はアレイシアに新しいコマンドを教えている。正確にはコマンドではない。僕の気持ちを伝える新しいリズムをこの獣に教えているというのが正しい。
命令と違って感情なんて曖昧なものだから、正しく意図を理解してくれるかは賭けに等しいけれど。だけど賢く気高い君ならきっといつか気付いてくれると信じている。今度はありとあらゆる手段で愛の言葉を伝えていくよ。
まずはこのリズムが君の体だけでなく、心に届いてくれますように。
そう願いながら根気強く新しく作ったリズムを僕はアレイシアの体に刻み込んでいく。
いつか君がこの振動で喜びのあの甘い声を上げてくれる日を願って。
でも……。
「もう一度だけでも、この声で届けたかったな……」
アレイシアを抱きしめながら、僕はそっと愛しい獣に口づけた。
ー了ー
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