たとえこの先、見届けられなくても

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 この特殊能力に気付いたのは、幼少期だった。  公園に落ちていた髪飾りを拾い、持ち主に届けたいと神様に願う気持ちで目を閉じ念じたら、物の記憶が脳内に溢れてきて、視えたのは同じ幼稚園の子だった。  半信半疑のままそれを届けると、失くした物だと喜んでくれ、この力は神様が授けてくれたものだと思った。  その出来事をきっかけに落とし物を拾ってはその記憶を視るようになるが、直美は不思議なことに気付く。  それは記憶が視える物と、視えない物があること。  視えない物に関しては手掛かりがなく「ごめんね」と告げ、その場にそっと戻す。  それだけでなく、もし視えても物の記憶を視るだけであり、持ち主の素性は分からない。  よって、届けることが叶わなかった物は多数あった。  そんな現実に心が折れたのは、小学二年生の時だった。  どうせ持ち主には届かない。だったら最初から関わらなければいい。  落ちている物から目を逸らし、この力さえも消えてしまえばいいのにと。そんな考えを巡らせていた時に、大切な物を落として泣いていた。  それを見つけてくれたのが彼で、あの言葉で分かったような気がした。  記憶が視えるのは、魂が宿った物。  思い入れがある、大切な物なのだと。  その後の直美は、人と物が悲しい別れをしないようにと届けるのが自分の役割なのだと思い。落とし物を積極的に拾っては、出来る限り届けるように努めた。  しかし。  この力には脳への負担も大きく、震えるような激しい痛みに耐えられず、倒れることもあった。  それから自分の中でルールを作り、記憶を視るのは一日一回だけ。体調が悪い時は絶対に使用しない。  そんな制約を決め、この能力を使いこなしていた。  しかしそんな取り決めを破り、物を届けることに執着し出したのはいつ頃からだったか。  思い出せなかった。
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