9回裏

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 沖瀬(おきせ)高校のナインは緊張していた。9回表を終わって2-1。次の9回裏、つまりあと1回抑えれば優勝。甲子園に行ける。何度もあと少しで甲子園への出場を逃してきたが、今度こそは行けるかもしれない。誰もがそう思っていた。 「よし、9回裏だ! ここを抑えれば甲子園だぞ!」  監督はとても緊張している。今度こそ行ってほしい。みんなに甲子園の大歓声を聞かせたい。そんな思いで続けてきた。 「はい!」  ナインは守備位置に就いた。ナインも緊張している。でも、これを頑張れば甲子園だ。僕たちならきっとできる。誰もがそう信じていた。  エースはとても気合が入っていた。最初のボールがど真ん中に来る。 「ストライク!」  見逃しだ。よく球が走っている。さすがはプロも注目のエースだ。女房役も張り切っている。 「ストライク!」  次の玉はストライクゾーンをずれたが、空振りで2ストライクだ。三振で抑えられると思った。 「ボール!」  だが、3球目はボールになった。だが、エースの表情は変わらない。とりあえず抑える事が最優先だ。三振はその先だと思っていた。 「くそっ・・・」  エースは4球目を投げた。ボテボテのゴロで、セカンドがとり、ファーストに投げた。1アウト。あと2つのアウトで甲子園だ。みんな、盛り上がっている。 「よし、抑えた!」 「あと2つだぞ!」  だが、次のバッターの打球はショートの頭上を越えて、レフト前に落ちた。シングルヒットだ。このランナーが帰れば同点だ。だが、あと2つ抑えれば甲子園だ。その思いが彼らを後押ししていた。 「くそっ、ヒットか・・・」 「大丈夫大丈夫、あと2つ抑えれば甲子園!」 「ああ」  エースはみんなの声に励まされ、次のバッターに挑む。次のバッターは準決勝でホームランを放った強打者だ。ホームランを打たれたらサヨナラ負けで、甲子園の夢が途絶えてしまう。打たれてはだめだ。とても緊張している。  だが、次のバッターの初球はボテボテのゴロになった。ショートがとってダブルプレーにしようとした。だが、ファーストがセーフだった。ヘッドスライディングで何とか間に合ったようだ。エースは少し残念がった。だが、あと1つ抑えれば甲子園だ。 「よし抑えた!」 「あと1人だぞ!」  監督も緊張している。絶対に甲子園に行けると頑張ってきた。そしてもうすぐ、その努力が実を結ぶ時が来るだろう。 「頑張れ頑張れ!」  初球はライトに飛んでいった。誰もがサヨナラホームランを覚悟した。だが、ぎりぎりでファウルになった。 「ファウル!」  エースは深く息をした。まだまだ終わっていない。あと1つ、しっかりを抑えよう。 「ストライク!」  2球目はストライクだ。あと1球のストライクで甲子園に行ける。 「ボール」  だが3球目はボールになった。あと1球だったのに残念だ。だが、次でストライクならばという事に変わりはない。 「はぁ・・・」 「大丈夫大丈夫」  エースは深呼吸をした。大丈夫大丈夫。みんながついてるから。 「ボール・・・」 「またボールなのか」  エースはいらっていた。どうしてストライクが入らないのか。あと1つなのに。 「落ち着け落ち着け!」  監督は落ち着けと指示をしている。だが、エースの気持ちは収まらない。 「ボール!」  5球目もボールになった。これでフルカウントだ。次で勝負が決まるかもしれない。誰もが緊張していた。 「これでフルカウントか」 「頑張ろう!」 「うん!」  ナインはみんな、サインを出し合って、あと少しで甲子園だと指示を出して、みんなを励まそうとしていた。  エースは6球目を投げた。だが、白球はレフトスタンドに吸い込まれていく。エースは白球を呆然と見ている。入らないでくれ。ここまで頑張ってきたのに、サヨナラホームランで甲子園を逃す子は嫌だ。  だが、白球はレフトスタンドに吸い込まれた。逆転サヨナラ2ランホームランだ。そして、沖瀬高校の夏は終わった。あと1つ勝てば甲子園だったのに。あまりも残酷な最後だ。 「えっ・・・」 「ホームラン・・・」 「そんな・・・」  誰もがその場に崩れ去り、その中には泣く選手もいた。 「大丈夫か? つらいよな・・・」  だが、立ち上がり、挨拶をしなければならない。泣いていない選手は泣いている選手を起こし、ホームベースに集まるように指示をする。泣きながら、彼らはホームベースに向かっていく。 「さぁ、並ぼう!」  挨拶をすると、サイレンが鳴り響いた。それは、夏の終わりを知らせるサイレンだ。  その後、監督のラストミーティングが行われた。監督も泣いていた。あまりにも残酷な結末だったからだ。 「大丈夫か?」 「うん」  エースは涙が止まらない。あの1球さえなければ、あと1回のストライクだけで甲子園に行けたのに。 「負けた事は負けたけど、これをこれからの人生に生かしていけよ」 「はい!」  エースは涙ながらにこたえた。監督にはその気持ちがわかった。 「きっとこれが力になる時があるんだ」 「はい!」  夏の甲子園は青春の1ページに過ぎない。だけどそれは、汗と涙に彩られた筋書きのない人間ドラマで、1ページに収まらないほどのドラマだ。だけど、そこに進めない高校が山ほどあるのも事実だ。彼らにも、知られざるドラマがあるだろう。
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