西暦三〇五七年の速達

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 あなたが速達を届けてくれた郵便配達の方かしら。ごめんなさいね。執事に頼んでまで引き留めさせて。お急ぎでないなら、お茶でもいかがかしら。  このお部屋は屋敷の中でも私の一番のお気に入りで、お友達が来たらここでお茶を頂くのよ。ほら、庭がよく見えるでしょう? え、あの花? あれはヒマワリよ。初めて見たのね。そうよね、今どきこんな旧時代の様式を守った庭も花もなかなか見られないから。それにこの家は都内だけどちゃんと明かりがつくから心配ないわ。最近のエネルギーの供給の不安定さには困るわよね。トウキョウは特に人も建物も多いから、停電が起きることが多くて不安よね。  え? 私が着ている物? 初めて見た? これは旧時代のこの国の衣装で、着物というものよ。私が着ているのは真っ白だけど、もっといろいろな色の物があるのよ。……そうね、私は髪も肌も白いわ。実は瞳だって、ほら……と言いたいところだけど、瞳だけは薄い灰色らしいのよね。……まあ、妖精の女王様みたいだなんて、素敵な褒め言葉ね。とてもうれしいわ。  ところでお茶の時間に、私のロビーも一緒でいいかしら? ええ、ロビーというのはここにいる犬型支援ロボット。私の普段の行動を手助けしてくれるの。  あら、あなたも犬型支援ロボットをお連れになっている? 名前はヒソカ? 変わったお名前ね。郵便配達人の支援ロボットは道案内や通信システムを備えていると聞いたけど……、ああその通りなのね。  あなたはずいぶんお若いようね。お年は? ……十六歳って、学校は? ……ああ、辺境の星から地球に出稼ぎに来たのね。確かに郵便配達の仕事は高給と聞くから。どちらの星? ……まあずいぶん遠くから。エネルギー鉱山があることで有名な星ね。……故郷の星に弟さんがいらっしゃる? 重病でずっと入院している弟さんに地球の最先端の医療を受けてほしくて、地球に出稼ぎに来ているね。確かに地球の医療は今ではどんな病気も怪我も治すことができるから。ご両親は……、あらごめんなさい。鉱山の落盤事故で亡くなられたなんてお気の毒に。じゃあ今は弟さんは一人で待っていらっしゃるのね。  弟さんと通信は? ああ、あなたのヒソカを使うと、弟さんと会話ができるのね。  弟さんはどのようなご病気なの? 差し支えなければ聞かせてもらえる? ……呼吸器の病気なのね。エネルギー源の鉱石を使って機械から空気を体に取り込んでいるのね。それには大量の鉱石が必要でしょ? ……え、病院の裏に鉱山がある? そこで大量に採掘できるのね。それなら心配ないわね。でもあなたが早く弟さんに再会できるといいのだけれど。  そうだ、地球政府は天の川銀河のあらゆる星の子供たちに支援の手を差し伸べているわ。申請だけでもしてみたらいかがかしら? 地球総裁のハクセツ・コウミョウドウが先日のトウキョウでの会見で名言されていたでしょう? ニュースは見ている?  え、あんなおじさんの言うことは信用ならない? どうして? ……故郷の星を地球軍に命令して勝手に開発しているから? ふふ、きっとそれは地球総裁が辺境の星の住環境を良くしようと、整備して下さっているのではなくて? ……ちゃんと毎日きれいなお水が飲めるようになったのは、地球軍が整備してくれたおかげかも? そうよ、その通りよ。  あら、私ったら少しおしゃべりが過ぎたようね。せっかくお誘いしたのに、あなたにまだお茶を召し上がって頂いていないなんて。目の前のテーブルにお茶の道具はもう来ているようね。紅茶のいい香りがするわ。うちの執事は音を立てずに食事やお茶の準備をすることができるのよ。耳の良い私でも全然気づかないくらい静かにね。さあ、どうぞ召し上がって。  ……なんて美味しいお茶かしら。そう思わなくて? クッキーはお手元にあるかしら? それも絶品のはずよ。うちのシェフたちは何だって美味しく作るから。  それで、次はあなたのお仕事のお話を聞かせて下さる? 私、家にいることが多いから、お客様が来るとその方のことをいろいろ尋ねてしまうの。ちょうど今のようにね。  郵便配達の仕事は過酷だって聞くわ。そもそも西暦三〇五七年の現代において、手紙なんて書く人は皆無だから、当然郵便事業だって過去の遺物だもの。紙に文字を書いたことのない人だっているくらいだし。  でも郵便事業は細々と今も続いているわよね。私もときどき利用するわ。……え、何で手紙を使うのかって? ハガキ一枚出すのだって、切手代に六三五万円かかるのに? しかも今回は速達だから、その何倍ものお金がかかっている? ふふ、そうね、今回の速達を出すのにかかった切手代だけで、都心に百階建てのビルが一棟建てられるわね。郵便なんて金持ちの道楽と言われてしまえば確かにそうかもしれない。  郵便なんてわざわざ使わなくても、今はあらゆる場所から自分のアバターを相手のもとに送って話せるから。  しかも手紙や速達はその切手代の高さから、重要な情報が記されている可能性が高く、今では郵便強奪人が配達中の配達人から手紙を奪う事件も頻発している。配達人の中には強奪人により殺害されている方もいるとか。……あら、あなたの先輩も配達中に強奪人に殺されてしまったのね。お気の毒に。  あなたは大丈夫なの? え、今日強奪人に狙われた? まあ、大変。怪我は? 顔に?……ああ、うちの執事が手当をしたのね。私への速達のためにそのような怪我を負わせてしまい申し訳ないわ。  どうしたの? 声の調子が変わったわね。……今日襲ってきた強奪人たちのこと? 自分と同じ緑色の瞳だった? ……緑色の瞳は、辺境の星の民の特徴ね。自分と同じように貧しくて地球に出稼ぎに来ているのかもしれない? そうだとしても手紙を強奪することは、地球法に違反しているわ。捕まったら裁判にかけられ、刑務所に入れられるのよ。  ……どうしたの? その強奪人に何か言われたのね。『この手紙を私に届けると、恐ろしい運命が待ち構えているーー』そう言われた?  ふふっ。あら、ごめんなさい。笑ったりして。物語の中の話みたいね。私が悪い魔女で、この手紙が新しい強力な魔法の呪文だとでも言っているみたい。世界を支配できるほどのーー。やあね、冗談よ。そんなに怖がらないで。  でも、そこまで心配なら手紙を一緒に見てみる? あら、そんなに困った顔をなさらないで。いいのよ、私が見ていいと言っているのだから。  ……はい、これよ。こんな文字は見たことない? そうよね、そうだと思うわ。どうして凸凹なのかって? この文字は、触って読む文字だからよ。点字と言うの。かつての地球では、目の見えない人がこの点字を触ることで文章を読んでいたのよ。  そう、この文字は郵便と同じで無くなろうとしているもの。今の地球の医療では目が見えなくても簡単な手術で見えるようになるから、点字を使う人なんてほとんどいないわ。ーー私と、私の知り合いのごく数人をのぞいて。  そうよ、私は昔からずっと目が見えないの。だから執事や支援ロボのロビーに助けてもらって生活しているの。どうして手術をしないのかって? 時として視覚から受ける情報が私の思考を邪魔することがあるのよね。私は考えることが仕事の一つだから。それに昔から目が見えないからその状態に慣れているの。  え、手紙に書いてあること? ーーちょっとした秘密のパーティーのお誘いね。ね、大したことじゃないでしょう?  そうそう、あなたに何かお礼をしないとね。危険な配達の仕事を誠実にやり遂げてくれたのだから。この速達の差出人が、郵便局でわざわざあなたを配達人に指名したのも納得だわ。……え、報酬を受け取るから結構です? 謙虚なのね、でも私が好きですることだから、どうぞ受け取ってちょうだい。何か望みの物をあなたに贈りたいの。  ……ヒマワリがいい? 庭に咲いているヒマワリのこと? 故郷の弟は一度も花を見たことがないから送りたい? ああ、そうね、あなたの故郷の星は鉱山ばかりで花が咲かない星なのよね。あなたは本当に立派ね。弟さん想いで素敵だわ。でもどうやって花を送るの? 民間の物体転送装置を使う? でもそれってとても高額でしょう? 転送費用が貯まる頃には、ヒマワリはとっくに枯れてしまう。それなら私の転送装置を使うといいわよ。ちょうど私の知り合いが宇宙船であなたの故郷の星の近くにいるのよ。その船にヒマワリを転送して、あなたの弟さんのいる病院に届けさせるわ。遠慮しないで、これは私からのちょっとしたお礼。病院の場所は? ーーわかったわ。必ずここに届けさせるから。今執事を呼んでヒマワリと転送装置の準備をさせるわね。ーータナカ、こちらに!  そう何度も頭を下げないで。あなたが危険を冒して郵便を配達してくれたおかげよ。仕事だからって言っても、あなたが『届けたい』と思ってくれたことが私は嬉しいの。  ……もう帰る? あら、そうよね。お仕事中にお引き留めして、申し訳なかったわ。お客様が来たら、ついいろいろとお話を聞きたくなってしまうの。  最後に質問をしたい? いいわよ、何でもお聞きになって。  私の名前? おかしなことを聞くのね。あなたが届けてくれた手紙に書いてあったでしょう? 『ハクセツ・コウミョウドウ』と。何だか慌てた様子ね。そうね、地球総裁と同じ名前よ。  でも、テレビで見る地球総裁はおじさんであなたのような美しい女性ではない? まあ、うれしい。美しい女性だなんて。  ーーたまたま私が地球総裁と同じ名前なのよ。そうそう、『ハクセツ』というのはね、この日本の言葉で『白い雪』と書くのよ。何もかもが真っ白な私そのままの言葉でしょう? 私もとても気に入っている名前なのよ。  それでは御機嫌よう、郵便配達人さん。執事が玄関まで送るわ。また誰かが私に郵便を送るときにあなたが届けてくれることを祈るわ。あなたは強奪人から郵便を守り、私にしっかり届けてくれる素敵な配達人だからーー。
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