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雨粒が屋根に当たり、どろどろと鳴っている。うるさいとは感じない。愉快だ、天然の打楽器だね、と君に言う。君は、言い得て妙ですねと返す。
「今日は少し掃除をしたら、本を読んで過ごそうと思うんだ。君はどうする?」
「わたしも片付けを予定していました」
「君の部屋はいつもキレイだよね?」
「共用スペースを……」
「それはごめん」
大抵は私が読みかけの雑誌や洗濯物を散らかしているのだった。
手伝いを申し出ると、まずは自分の部屋を何とかするよう押し戻される。溜めた食器や満タンのゴミ箱も何とも思わなくなっているのだから、慣れとは恐ろしいものだ。
手始めに、床に積みあがった本を棚へ戻す。戻しきれないものはベッドの端へ重ねる。書籍と生活必需品だけで埋まるようではやはり部屋が狭いんじゃないか、と本部へ報告すべきだろうか。普段の態度を改めるのが先だとか何とか、言いくるめられそうな気もする。
まとめた食器を持って共用スペースへ向かう。水を流しへ溜め終わると、君が「これは大切なものでは」と近寄ってきた。手にあるのは、古風なラミネート加工が施された細長い紙片……栞だ。挟まれた押し花は、赤色が鮮やかだ。
「ありがとう。懐かしいなぁ……もうなくしたと思って、諦めてた」
君は「大切なものをなくしてはなりませんよ」と呟く。
「ただでさえものをよく失くすのですから」
「君から随分と助けられているね」
「……頼ってくださるのは有り難いですが、あなたの日頃の行動にも改善の余地はあります」
「いやぁ、ぐうの音も出ない」
私が食器類を洗い、拭き終わるまでに、君も共用スペースの整頓を終えてしまったようだ。テーブルの上には、私の書籍とピンセットなどの細々とした器具が並んでいた。
「アイマスクと抱き枕はソファの上です」
もはや言葉も出ず、身振り手振りで感謝の意を示すと君は「お手上げ」の身振りを返す。ソファに腰掛けて、青く細長い枕を抱きしめた。やや黴臭かったが、手触りは変わらない。
「いつだったか、私があまり眠れないときがあったろう? あのときに、こっちで寝てたんだ」
「今は道具に頼らずとも良い睡眠が取れているのですか」
「そうだね。嫌な夢も見なくなったし。……どうしたの」
君はテーブルの脇に突っ立っている。どこかを注視するでもなく。こんな風にぼうっとしている姿は、ほとんど見たことがなかった。
「……その際に上手く助言できなかったのを思い出していました。睡眠は理解が困難な概念です」
「君は、寝なくても大丈夫だものね」
目を閉じ、からだを横たえ、脳を休める行為は必要ない。電源を切れば、同じ効果を得られる。
「夢を見られる機能が欲しい?」
「以前も同じようなことを訊かれましたよ? くしゃみをする機能や涙を流せる機能は必要ないのかと。どれも捨象対象です」
「訊くだけなら良いじゃないか。私は夢見がちな性質なんだ。だって君はそうじゃない方の夢なら見られる。だから、そっちの夢もどうかと私は問いを投げかけたわけ」
「指示語が多いと誤解を招きますよ」
「私の会話の癖を学習済みなら問題ないだろ?」
「……そうじゃない方、というのは、将来像を指しているということで宜しいですね」
そう前置きをして。君は私の隣へ移動する。互いの膝がつく距離だと、君のからだの中から、駆動音がよく聞こえる。喉の調子が悪いときの、自分の呼吸に似ていると思った。
君が近い未来にやりたいこと。
誰かに言われたことじゃなく、君が希望すること。
これまで尋ねる機会はなかったから、と催促した。
「ですが睡眠時の記憶整理も将来像も、夢はいずれにしても架空です。現実ではありませんから」
「そういうものだと認識した上で語ってくれて良いんだよ」
「…………花を」
雨の音にかき消されそうな、小さい音だった。
私は訊き返さず、続きを待った。
「花を育て、売る職業に興味があります。先日参照した映画で、主人公の花屋が町の人々に花を売っていたんです。世間話を主とした交流を通し、町で起こる小さな事件を解決していく物語でした」
声は次第に通常の大きさへ戻っていった。言葉の勢いは増し、君の目は、隣に座る私をきらきらとうつし出す。
「客は皆、笑顔で花を買っていきました。植物は環境だけではなく、人間の精神状態までも改善してしまうのかと驚きました。……わたしたちが育てた花き類も、いつかは」
「……試しに、今から街まで行って、売ってみようか」
「……い、いえ! それは」
「っははは、冗談、冗談」
慌てて、まるで悪いことをしたかのように君が焦るので、笑って肩を軽く叩いた。
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