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共有スペースの鉢植えに見切りをつけようと先に言ったのは私だった。
大雨の後、育ったら地植えしようと話していたのだけれど。いかにも双子葉類らしい芽が出たものの、大きくはならなかった。本部からランダムに配布された種だった。様々な条件下での生育状況を比較したいのだと、係の人間は言っていた。
数本の芽がひょろひょろと顔を覗かせる鉢植えから、君は目を上げた。選択は、何度経験しても慣れない。目の色がそう言う。
「乾燥地帯のペアでは上手く育っているようですね。室温の工夫が足りませんでしたか」
「どうだろう。きわめて一般的な環境と言っていいと思うけどね。連中には、こっちでは失敗でした、って報告するしかない。もっと何か出来た、とも思うけど……植物だけじゃない。生物を育てるのは難しいよ」
「ええ。しかし……なぜこの品種だったのでしょう」
君の質問は唐突とも思われなかった。葉焼けや乾燥に強いわけでも、医薬品に利用できるわけでもない。
花が咲けばね、と言うと、君は首を傾げた。
「花が特殊ですか。花粉に特定の利用方法があるとか」
「ううん、観賞用なんだけど。色が―とても綺麗な色なんだ」
「色ですか」
「だから、咲けばさ。君にも、育ててよかったなぁって思ってもらえたかも」
実際、どんな植物でも育てているうちに愛着は湧くものだ。植物の特徴―効能により得られる見返りは二の次。その成長に関わってきたという事実が、愛着を呼び起こすのかもしれない。
「わたしは、どんな植物でも成長する過程を見られるのは有意義と捉えています。より情緒的な表現をするなら、嬉しいものです」
「おや」
「どうしましたか。わたしは、おかしなことを言いましたか」
「珍しく意見が一致したと思って」
小屋を出、野菜くずや使い終わった土を入れる有機肥料製作機に、鉢植えの土を振るい落とす。鉢植えを思いきり逆さにした私とは違い、君はゆっくりと土を入れていた。
「…………ね。それ、もうちょい育ててみようか?」
「生育が順調に進む可能性は低いと見込まれますよ。合理的に考えるなら、」
「君はまだ、合理的判断を受け入れる準備ができていないように見える」
君の鉢植えに残っている芽を優しく摘まんで、空になった自分の鉢植えへ移す。
「余ってるポットに植え替えよう。畑のすみに置いて様子を見るくらいなら、さ」
「はい。ありがとうございます」
製作機隣の棚から黒いビニル製のポットを取る。君はポットを真剣な顔で受け取り、新しい土を入れ始めた。小さなシャベルで、こわれものを扱うように。
畑の端で、何度もああでもない、こうでもないと置き場所を変えて戻って来た君の顔は、今日の太陽よりも晴れやかだ。
「―枯れても、あれは行わないのですか。あれ……何と呼ぶのでしたか」
命を失った動植物に処理を施し、保存する技術。標本作成の経験はあるかと君は訊く。
「昔、数回だけね。私個人としては、土に還すのがあるべき姿のような気がする」
「栞の押し花は? あれは標本と呼べますか」
「ううん、どうだろう。ちょっと違う気もするな。名前も知らない花だし……。忘れたんじゃないよ、花束でもらったんだ。そのまま保存加工しても、置物だとどこかにやっちゃいそうで」
「自分の管理能力の低さを実用性で補完したんですか」
なるほど、と頷かれながら納得されても。
「まぁ、珍しい品種には、本部も指示を出してくるよ。経験するならそのときだ」
「ならば、現在植生されている植物は以前ほど珍しいものではないんですね」
「…………それもある」
「も? まさか、保存するようにとの指示に違背していたのですか?」
「何も言われてないから問題ないって!」
本部も呆れ、諦めているだけかもしれないけれど。この場所をこのかたちにし、保っているのは私たちなのだから、少しの我儘は通してほしいものだ。
あなたは適当なところが多い、と君はぶつぶつ小言を散らす。先刻と比べ、随分元気に見えた。適当さや軽薄さにも、こんな使い道があるものだ。
「配属前の研修で、魚類の標本を見たんです。何種類か」
屋内へ戻りながら君は言う。喉が渇いていたので、私は冷たいミントティーを用意することにした。容器へ落ちる氷のがろがろという音の合間に、君は「水中も陸地も同じでしょう」と、私へ同意を求める視線を向ける。
「食物連鎖が存在する。水の底か土の下か差異はあれど、生命が循環するのは同じです。遺骸は新たな生命の糧になり、または何千年もの歳月を経て資源となり、どこかで後世の役に立つ。先程のあなたの言葉を聞き思い出したのです。気付いたのです。わたしが、魚類の標本を見た際に持った違和感の正体。……循環の中にない生命を、わたしはあのとき、初めて見たのです」
しかし標本も、見るものに知識を与え、知識を継承する役割を持ち、研究に利用される点では、後世の役に立つ―人工的な循環の内側へ位置付けられると言えるだろう。
「……自然界の循環に組み込まれることだけが正解だ、と断言はできないよ。私も君と似た考え方をしているけれど、生命は、役立つかどうかの尺度で語れるものかな」
「一つの尺度としてはあり得ますが、あくまでも他の基準と合わせて判断すべきように感じます。偏った視座を生じさせる危険をはらんでいます」
「じゃあ君なら、例えば、どんな『他の基準』を挙げる?」
「例えば、ですよね。……幸福度、でしょうか」
「―一個体の生命が幸せかどうか?」
「ええ。日々を幸せに過ごせているかどうか。循環の中にいようといまいと、幸福を感じながら生きているかどうか、です」
「確かにそれも、一つの基準だね」
けれど幸せだなんて、なんて人間臭くて浮ついた概念だろう。絶対的なものだと語りながら、私たちは相対的に内包するすべしか知らないのだ。
それでは、利用価値を測るのと何も変わらないのに。
笑い出した私を見、君は目を糸のように細くした。
「わたしの問いは間違っていましたか?」
「間違っている問いなんてないさ。ただ、あまりにも君らしくて」
マグに入れたお湯はいつの間にか程よく色付いている。氷と蜂蜜を放り込んでかき混ぜる私の手元を、君は不思議そうに見つめている。
「わたしの予想より些か強い色ですが、美味しそうですね。……色といえば。あの芽が成長したら何色の花が咲くのですか」
「ええと、薄紫色だったかな。青みがかかったやつ」
「……あの種は今般初めて配布されましたよね。なぜ色を知っているのです」
首を傾げ、君は問いかける。純粋な疑問だ。事実から導き出される答えと私の返答との間にずれがあった、だから問いかけた。それだけだった。
氷が不格好に崩れる音が、いやに耳についた。
「―知らされたんだよ。説明を受けたとき、詳細画像を見せてもらった」
「ああ、無作為抽出ですから、通常より念入りな説明だったんですね」
数回、軽く、君は頷いた。
ミントティーのマグを見、もう一度「美味しそう」と呟いた。
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