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 見慣れないスーツ姿の人間が入口の近くでうろついている。念のため鍬と鎌を担いで近付くと、彼は「ひえっ」と叫び声を上げた。 「そ、それ、下ろしてください。本部から来ました、決して不審者ではありませんのでっ」  彼の姿をよくよく見てみると、確かに本部職員であることを示すタグが胸元にある。急用かと尋ねれば、彼は提げていた薄い鞄から封筒を取り出した。 「このご時世に紙の資料かい」 「ぼ、僕は電子メールで済ませたかったんですけど、上がオーケーしなくて」  そういえば、必須報告の電子データを改ざんして送りつけたこともあった。信用がないというか、用心されているというか。とはいえ、逆の立場なら、きっと私もそうする。 「私の素行のせいで仕事を増やしちゃってごめんね。確かに受け取った」 「いえっ、ここのサンクチュアリは一度見た方が良いと聞いていましたので。良い機会に恵まれました。……噂通り、主人はなんかおっかないですけど」  最後のは余計だ、と思いながら、引っかかった単語を繰り返す。 「サンクチュアリ? いつから庭をそう呼ぶようになったんだ、本部は」 「あ、つい最近です。理念をより表現できる名称、ってんで」 「ふぅん……」  鎌を置いて封筒を開ける。糊付けが強く、ふちがおかしなかたちに千切れた。  数枚の見慣れた用紙に、見慣れない単語が並んでいる。  歓喜も落胆もない。  事実の列挙に、何の感情も湧かなかった。  彼は私が中身を確認したのを見るや、そそくさと帰っていった。現場の作業体験もすれば良かったのに。  封筒を置きに小屋へ向かうと、バケツをぶら下げた君が裏手から戻って来るところだった。貸した長靴は大きさが合わなかったのか、動く度にがふがふと音がする。 「今のは本部の方ですか。その書類を? アナクロですねえ」 「うん……」  余計なことは言うまい。  土だらけの道具をひとまず置き、タオルや雑巾を追加することにした。帽子や靴下を放り捨てて玄関に上がり戻るまでの間、君はドアを押さえていてくれる。私が使っていた猫車には上着や肥料の空袋も入っていたが、玄関口には入りきらなかったのだ。  私はしゃがみ、君は上り框に腰掛けて。手袋やアームカバーに付いた半乾きの泥を慎重に払い落とす。 「こうして汗をかいて作業するというのも時代錯誤ですね。歴史小説を再現しているようだと、わたしはずっと考えているのです」 「っはは、まぁね、今時農家さんだってこんなのはしないな」 「自然環境へ貢献するプロセスを組み込むことで、人間の心理的負担が和らぐのでしょうか?」 「…………え?」 「善良な人間が長期間嘘をつき続けた結果、精神的疲労に苛まれるのは容易に想像できます。植物から癒しを得ることもありましょう。ここは、自然環境の向上を目的とした場所ではありませんから」 「―なぜ」  違う、と即答できなかった。  それこそが誤りだと認識するより先に、君は私の顔を覗き込んでいた。 「複数のビオトープを形成し、それぞれの環境変化を検証した上で居住不可区域の再生活動へ繋げる。それもプロジェクトの目的の一つですが、本質ではありません。本質は、わたしたち人工知能の機能を確認する箱庭としての機能です。  実験対象は、わたし自身です」
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