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 かつて、異常気象を発端に、世界各地で大規模な紛争や戦争が起きたことにより、皮肉にも工学分野はかつてない発展を遂げた。  無論、どんな分野にも言えることだ。僅かに残った居住可能区域で、僅かに残った人々が生きていくには、あらゆる技術、文化の刷新と改革が必要だった。  何をするにも人出が、労働力が足りない。  新しい世界でまず求められたのは、人々の代わりに動くことができるモノだった。  工学先進国を始めとする多くの土地では、「機械たち」の力を借りることで安定的な生活が実現された。本質的労働と呼ばれる職種に限らず、あらゆる場面でヒトでないものは重宝された。  そんな中でも「機械たち」の反乱を危惧するものは一定数いたし、彼らの不安を払拭するため、安全基準は常に更新されていた。  化石じみた感覚だけれど。人間は、相変わらず機械を怖がっていた。  だから。  争いごとを起こさない人工知能の開発が始まったのも、自然な流れだった。  学習元である人間が争うのだ、荒唐無稽だと揶揄されもしたけれど。  私たちは大真面目に、夢を見ていた。  叶えようとしていた。  安全で、やさしい、友としての人工知能の創出を。  そんな、自分たちの過ちを棚に上げた謳い文句は、瞬く間に広がった。  そして、あの本部職員は。君の機能が、期待水準を上回っている―ここで私と過ごす必要がなくなったことを告げに来たのだった。  彼らが、個々の庭をサンクチュアリと呼んでいることは、私も初めて知ったけれど。敢えて君に伝えることではないと、自分の内へしまい込むことにした。 「要するに、人間サマには絶対に反抗できない便利な機械が欲しかったんだよ、お上はさ」 「その欲求、欲望は、恐怖心から生じるものでしょうか……人間の生存本能の働きではありませんよね」 「ははっ! まごうことなく理性を働かせた結果かな。本部の連中から理念を聞く限りはね」  テーブルで向かい合い、私たちはぽつぽつと言葉をこぼし合う。緑茶を入れたマグは一つだ。君は、水分補給を必要としないから。 「人工知能開発にとって、膨大な量のデータは欠かせない。一方で、データの偏在性は昔から問題視されてきた。でもさぁ、何だってそうだろ? 費用はできる限り抑えたい。だから昔から、低賃金で働かざるを得ない社会集団にデータの提供を依頼するってのはよくある話だったよ」  データの量とコスト、相反する問題を解決するには、「仕上げ」の方法を変えるほかはないとされた。  集団生活を営む人間が争いを起こすのであれば。最小単位の集団で、人間との接し方を学ばせれば良い。  人工知能の「教師」としてふさわしい人間を集めよう。短期間で様々な経験を積ませよう。静かな、自然に満ちた箱庭を転々とさせ、やさしさを調節しよう。あたたかいこころを作ろう。  完成した人工知能を複製できれば、コストダウンに繋がる。  だって機械には、自分の複製物を気味悪がる感情はないし。  生体ではないから、複製も改造も、倫理規範に違反しない。  私たちは、そう考えた。 「あの花を植えたのだって初めてじゃない。全部他の『君たち』とやってきたことの繰り返しだ」 「知っています」 「騙されてるって気付いてたんだろ。なんで、……何も、言わなかった」  君には悲しみも腹立たしさもない。そういうものと割り切ってきたのに、自分も騙す側にいるというのに、なぜか私が悔しかった。 「私が全てを話すことは禁じられていた、だけど君は、気付いても気付かなくても、言っても言わなくても、どちらでも良かったんだよ」  歪な仕組みに。私たちに課された本当の目的に。……私が、騙していることに、気付いていると。  君が怒ったところなんて見たことがないけれど。憤りをぶつけられても当然だと、私は思っていた。  君は考える素振りもなく口を開く。 「あなたに告げることは、あなたが好まないと判断したんです。共にここの植物を育てていく上で不都合は生じません。嘘は、障壁ではありません」  君に快不快はない。あるのは、目的達成に向けた判断だけ。  私が好むか否かの判断だって、君の配慮や心理的選択によるものじゃない。私が自分に都合が良いように解釈しているだけだ。  分かっているのに。  君のこころが、私はこんなにも嬉しい。 「……本当に、君は。やさしいやつだよ」 「あなたが優しい経験を蓄積させたのですから、至極当然の結果ですよ?」 「……え」 「個別具体的な比較例を挙げることは、プログラム上禁止されているようなのですが。あなたはわたしに、ひとのように接してくださいましたから」  ありがとう、と君は微笑む。 「礼を言うのは―こっちのほうだ」 「それでも、です。あなたと過ごせたこと、嬉しく、誇りに思います」 「んなの私には過ぎた言葉だよ。―また、会うときはさ」  この庭で君と過ごせるのは、あと数日しかないだろう。私からの学習を終えた君は、どこかで誰かの役に立つ。  私が再び出会えるとすれば。複製され汎用化された、君であって君ではない何かとだ。花を育て、売りたいとは言わないだろう、何か。  私は今、笑えているだろうか。友を安心させられる顔だろうか。分からない。  君が優しいと解釈してくれるなら、泣き顔でもいいか、と思った。 「ふたりで一緒に、町に花屋を開こうよ」
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