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 摂氏三十五度五分は指針に過ぎないけれど、きっかり合った日は良いことが起きそうな気がする。体温を測るのは苦手だ。水銀の筒がぬるくなる感覚が。  そう話すと君は「以前ほどではなくなったのではないですか?」と微笑んだ。 「嫌なことを先延ばしにするのが嫌になっただけだ。もっと効率的にやれないものかな」 「規則の改定には時間がかかるのでは」 「そんなの無視しちゃえば……あぁ、嘘だって。ほら、ぬるいとさ、自分の生き物っぽさが強まるから苦手なんだ。伝わるかな」 「ニュアンスは」 「そう、良かった。君の手は冷たくて好きだ」  体温、身長体重、心拍数。  それらを保存するのは、君の業務の一部だ。 「改めておはよう。今日の予定はなんだっけ?」 「少しは覚える努力をされたらいかがですか。枝が伸び放題になっている、小屋の西側の整理です」  そうだったね、と返す。本当は覚えていたけれど君に確認したくなったのだ、と口には出さずに。 「ご飯を食べたら早速取りかかろう。君は?」 「準備はできていますので、先に道具の確認を」 「お願いするよ。ええと、ホットサンドでも作ろうかな……」  キッチンへ行こうとすると、後ろからシャツの首元をトントンと小突かれた。 「失礼します。あまりにも芸術的な寝癖がついているもので」  君はいつも私のからだに触れる前に許可を取る。それは私も同じだ。 「さわってみてよ、全然取れないんだ」 「いつもに増してスモークツリーのようですね」  個性的な喩えを残して、君は小屋の裏口から外へ出ていく。  君は食事をしない。  細やかな動きを実現する頑強なボディと繊細な人工知能を持つ君の栄養は、電力だ。  昨日の夕飯の余りのサラダに缶詰の魚フレークを足したホットサンドは、すぐに食べ終わる。  いつも通り、つば広の帽子と長靴を身に付けて小屋の西側へ向かった。  様々な大きさのせん定ばさみと小型鋸を持った君が見つめているのは、つる性の雑草がこれでもかと巻きついた広葉樹だった。寒くなる季節には濃い桃色の花を咲かせるのだが、これでは次の花期にどうなるか分かったものではない。 「ここもですが、池の傍の針葉樹も相当でした」 「そこは私がやるよ。ついでにお魚の様子も見よう」  池に大きな枝が落ちないよう、気を付けながら、枯れて変色した枝から切り落としていく。はさみを握り続けていると手の平が痺れる。小鎌でちまちまと雑草を刈るほうが性に合っている。  目をこらして君の作業を眺めた。一定のリズムで雑草を刈り、抜いていくさまは、まるでダンスを踊っているようだ。疲れを知らない、機械のダンス。 「……本部からパワースーツも手配してもらうか……」  一人と一台、もとい、二人で管理するのが精一杯な広さの庭が、私たちの仕事場だ。人間とロボット―人型の機械を未だそう呼ぶなら―のペアで管理する「庭」。  条件が異なる複数の「庭」で収集したデータを基に緑なき地の再生を目指すプロジェクトに、私たちは従事している。長期間の住み込み実験に参加しているとも言い換えられるだろう。  まるで宇宙飛行士だ、とはしゃぐ気持ちはとうにないけれど。気ままに育つ植物に翻弄される毎日だけれど。  一人きりではないと思えばこそ、日々は続いていた。
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